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第四十二話 緊張の糸

 目にも止まらぬ速さというものを再び目の当たりにしてカリンは呆然とした。


 当然ながら、ゴブリン・ジェネラルは絶命していた。

 おそらく自分が殺されたことに気づく間もなく死んでしまったのだろう。



「あぁー、もうやってられないわ!」


 エルシーネはもう一度嘆いた。

 ゴブリン・ジェネラルを瞬殺で倒したことを誇ることなどしない。彼女にとっては当たり前のことだからだ。

 それよりも兄にいいようにこき使われていたことに、感情が持って行かれていた。



「フェルノン山脈の北端の先ってザール平原だっけ?」


 シャスターがゴブリン・ロードが向かったと思われる場所を尋ねると、エルシーネは大きなため息をついた。


「そうよ」


「あの一帯を任されている十輝将(じゅうきしょう)は?」


「アルレート将軍」


「あぁ、こりゃダメだね」


 シャスターは苦笑した。

「ダメだ」というのは、「ゴブリン・ロードにとって」という意味だ。

 シャスター自身、アルレート将軍に直接会ったことはないが、彼の噂はいくつも聞いている。

 アルレート将軍は完璧な戦術を実践することで有名だった。彼にかかれば、仮にゴブリン軍が二倍、三倍の兵力を持っていたとしても敵わないだろう。


 さらに個人の戦力だけで考えても、アルレート将軍は桁違いに強い。

 ゴブリン・ロードを造作も無く倒してしまうだろう。

 さすが帝国内有数の穀物地帯でありながら国境地帯でもあるザール平原の守護を任せられている将軍であった。



「そうよね。今頃、ゴブリン・ロードもこんな風に死んでいると思うわ。ゴブリン軍全軍もだけど」


 エルシーネは倒れているゴブリン・ジェネラルの死体を冷たい目で見つめた。

 そもそもエースライン帝国を襲うこと自体が愚の骨頂なのだ。たかがゴブリンが五万、十万と攻めてきたところで、エースライン帝国はビクともしない。



「奴らは最初で最後の教訓を学ぶことができたようだね」


 シャスターがその場を離れようとしたその時、黒い影が現れた。星華だ。


「敗走するゴブリン、全て片付けました」


 相変わらず、完璧に任務を遂行しても無表情のまま淡々と報告する星華にシャスターは微笑んだ。


「ありがとう、星華。それじゃシャイドラに戻ろうか」





 四人は城を出た。

 外はまだ太陽の光で眩しい。カリンは思わず手で日光を遮った。

 ふとその時、日光が透かされて手に流れる血が赤く見える。


(あっ! 私、生きているんだ)


 その瞬間、カリンを虚脱感が襲う。

 今までの疲れが一気に出てしまったのだ。


 初めての出来事ばかり、しかも数えきれぬほどの多くのゴブリンとの戦闘、そしてゴブリンの死……全て片付いた今、張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったのだ。


「あ、あれ、私どうしちゃたんだろう……」


 両足をついてその場にへたり込んでしまったカリンは立ち上がろうとしたが、うまく立つことが出来ない。さらに悲しいわけではないのに涙が溢れてくる。


「あれ……!?」


「俺に掴まって」


 立ち上がれないカリンの前にシャスターが膝をつく。


「で、でも……」


「いいから」


 カリンは恥ずかしさを我慢してシャスターの首に両手を回した。するとシャスターはそのままカリンを両腕で持ち上げた。


「吐き気はないか?」


「うん、少し気持ち悪いけど大丈夫」


「なら、良かった。戦っている間は気持ちが集中しているから気付かないけど、魔物とはいえ初めて間近でたくさんの死体を見たんだ。感情がぐちゃぐちゃになるのは当然さ」


 静かに笑うシャスターの優しさが、この時ほど嬉しいと思ったことはカリンにはなかった。


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