第八話 美しい戦女神
「もうお腹が空いて動けないけど」
イオ魔法学院の後継者として全く威厳が感じられない口調で、シャスターはエルシーネの頼み事を断った。
ただし、エルシーネもその程度では引かない。
「そんなこと言わずに、ザン将軍と勝負したのだから、私ともしてよ」
「面倒だし、嫌だ」
「お願い! じゃないと、私、ザン将軍が魔法使いのシャスターくんに大人気なく本気を出して両手を使っちゃったって、他の将軍たちに話しちゃうかも」
「!?」
驚いたのはザン将軍だった。顔を真っ赤にして抗議する。
しかし、エルシーネは飄々とした表情でシャスターに手を合わせる。
「だから、ねっ、お願い!」
エルシーネの悪どい脅迫に、シャスターは屈するしかなかった。
「……分かったよ」
「やったー、ありがとう!」
シャスターは渋々と闘技場の中央へ足を運ぶ。
そんな二人のやりとりを半ば呆れた表情で見ていたカリンは、ペガサスから降りようしているエルシーネに目を向けた。
鎧を着込んだ皇女様……腕も脚もスラリとしていて、その姿は宝飾品のように輝く白銀の鎧と相まって、まるで戦女神のような美しさだ。
赤茶色の長い髪をなびかせながら空を駆ける戦女神に率いられるペガサスの騎士たちは、さぞ誇らしく士気が上がるだろう。
しかし、この勝負はシャスターが勝つはずだと、カリンは確信した。
エルシーネの身体の線がスラリとしているということは、逆にいえば細過ぎるのだ。腕や脚に筋力があるようにも思えない。素人のカリンから見ても、戦士の身体つきではないのだ。
きっと、ペガサス騎士団長も騎士としての実力ではなく、帝国の皇女という立場だから就けたのだろう。エルシーネの凛とした美しさは戦女神として帝国軍の顔になるからだ。いわば名誉職のようなものだろうとカリンは思った。
「シャスター様、申し訳ございません」
「いいよ、いいよ、ザン将軍」
闘技場の中央に着いたシャスターにザン将軍が何度も頭を下げている。
先ほどの試合でシャスターがザン将軍に敵わなかったのは、ザン将軍が武人として最強だからだ。
ザン将軍は七大雄国の一角を占める大国エースライン帝国、その帝国の中で武人としての最高位の将軍だ。
よくよく考えれば、ザン将軍の方がシャスターより戦士として強いのは当たり前なのだ。
(ザン将軍に勝てないのは仕方がないけど、エルシーネ皇女殿下には楽勝よね。最初から全力を出してさっさと終わらせなさい)
カリンは心の中でシャスターを応援した。カリンもお腹が空いていたのだ。
シャスターとエルシーネは闘技場の中央で対峙した。見届け人はザン将軍だ。
「久しぶりの試合、楽しみだね!」
「別に楽しくないけど」
両者の表情は対照的だった。
「もう、照れちゃって。それじゃいくよ!」
「……どうぞ」
エルシーネが剣を構える。
次の瞬間、信じられないことが起きた。
突然シャスターが後方に吹き飛んだのだ。
「痛たたた……」
倒れて尻餅をついているシャスターの喉元にエルシーネの剣先が当たる。
「私の勝ちね」
「参ったよ」
エルシーネの差し出した手を取りシャスターが立ち上がろうとする。二人とも妙に納得した表情だ。
しかし、観客席には全く納得していない、というか理解できていない少女がいた。
「えっ……、いま何が起きたの? 何でシャスターが倒れているの!?」
カリンには、エルシーネが剣を構えた直後にシャスターが吹き飛んだようにしか見えなかったからだ。
「エルシーネ様の剣がシャスター様の胸を突いたのです」
驚いている少女の横で、もう一人の少女が静かに説明をする。
「エルシーネ様の動きがあまりにも速かった為、それに二人の距離があまり離れていなかった為、カリンさんにはエルシーネ様の動きが見えなかったのでしょう」
「そんな……」
後方に吹き飛んで倒れたシャスターを見て、カリンは動揺が隠せなかった。シャスターがこんなにも簡単に負けるなんて思ってもいなかったからだ。
しかし、続く星華の説明はカリンの動揺にさらに追い打ちをかける。
「それにエルシーネ様は全く本気を出しておりませんでした。それが証拠に」
星華の指差した先にはエルシーネが握っている細身の剣が見えた。
「まさか!?」
カリンは驚いた。エルシーネも左手で剣を握っていたからだ。
「エルシーネ様の利き手は右手です。しかも、剣の上下逆、つまり柄の方でシェスター様の胸を突いたのです」
「そんな……」
カリンには信じられない。
だが、星華の説明ならその通りなのであろう。
シャスターは文字どおり、手も足も出ずにあっけなく負けてしまったのだ。




