第二話 出会い
町に向かいながら、少女が少年に話し掛ける。
「そういえば自己紹介がまだでした。私はカリン。この町……フェルドという名前の町ですが、その町長の孫です」
「俺はシャスター。さっき話した通り、自由気ままな旅人だ」
歩きながらシャスターは思いっきり両手を伸ばした。初夏のこの時期、北に広がる山脈からの風が心地よい。
「シャスターさんですね。あっ、私のことはカリンでいいです。それにしてもシャスターさんはとても強いのですね。騎士をあんなにも簡単に倒すなんて」
「俺もシャスターでいいし、敬語じゃなくてもいいよ」
シャスターは伸ばしていた両手を下ろした。
「それに剣の腕前はまだまだだし、それほど強くもないかな。あの騎士たちが弱かっただけだよ」
かなりの謙遜だとカリンは思った。
仮に騎士たちが弱かったとしても、シャスターの動きはシロウトのカリンから見ても常人ではないことが分かるほどだったからだ。
しかし、本人がそう言っているのであれば、それ以上褒めるのは止めておいた方がよさそうだ。
カリンは話を変えた。
「それじゃ、お言葉に甘えて……ところで本当に深淵の森を抜けてきたの?」
「そうだよ」
シャスターはまるで森でピクニックから帰ってきたように簡単に答えたが、そんなはずがないことをカリンはよく知っている。
深淵の森が魔の森と呼ばれている所以は、ただ単に広大なだけではなかった。森に一歩でも入ったら最後、誰一人として戻ってこないからだ。カリンの町の住人だけでも、この数年の間に森に入った十数人が行方不明になっている。
人々の間では森全体に魔法が掛かっていて、森に入った者を逃がさないからだと言われていた。カリンも小さいころから深淵の森には絶対に近づくなと口うるさく言われていた。
しかし、この少年は深淵の森から出てきたというのだ。
信じられるはずがない。
「何日も森の中を彷徨ってさ。服もこの通りボロボロになってしまったし、食料も昨日で食べ終わってしまって。いやー、ほんと大変だったよ」
その割には全く大変そうな感じはなく、あっけらかんと笑いながら話している。
ますます疑わしいとカリンは思った。
しかも、シャスターが深淵の森を抜けてきていないと分かる、決定的なあることに気付いてしまった。
「深淵の森を抜けてきたというのは嘘でしょう? そもそも旅人というのも怪しいわ」
カリンが疑いの目を向ける。
「え、何で?」
「だって、キミ、手ぶらだもん」
旅人が荷物も持たずに旅をしているなんてあり得ない。まして、深淵の森を抜けてくるなんて到底無理だ。
カリンの指摘はもっともだったが、シャスターは急に笑い出した。
「な、なに笑っているのよ」
「これ、知らない?」
シャスターは右手で無造作に空中に小さな円を描く。するとそこに突然黒い空間が現れた。
「な、なに、それ!?」
カリンの驚きを無視して、シャスターはその空間に手を入れる。そして再び手を出した時、手には新品の服が握られていた。
「魔法の鞄、魔法のカバンだよ」
「魔法の鞄?」
カリンは不思議そうな顔でキョトンとしている。
「これは亜空間に荷物を入れておくことができるマジックアイテム。これがあれば、重たい荷物を持つ必要なく旅ができるんだ。まぁ、長旅の時の必需品さ」
シャスターが新品の服をそのまま亜空間に戻す。その一連の動きをカリンはまじまじと凝視している。
「そんな便利なものがあるんだ!」
カリンは驚きながら、なおも亜空間を見つめている。
「かなり高価で貴重なマジックアイテムなのでしょうね……」
カリンはマジックアイテムを初めて見た。
マジックアイテムの存在自体はカリンも知っている。そして、マジックアイテムには様々な種類がたくさんあることも聞いたことがある。
ただし、マジックアイテムはとても高価であり、一般の店には置いていない。
さらに貴重なマジックアイテムともなると、危険なダンジョンの奥に隠されていたり、凶暴な魔物が所有していたり、王家の家宝だったりするらしい。
いずれにせよ、カリンのような一般の人たちには縁のない代物であった。
「魔法の鞄は高価だけど、マジックアイテムの中では比較的ポピュラーなものだよ。都市の高級店になら売っていることも多いし。ただ、亜空間に入れておけるバッグの容量によって値段が違って、大容量になるほどすごい値段になるけどね」
「確かにこれなら手ぶらで旅ができるわよね……疑ってごめんなさい」
カリンは亜空間からシャスターに視線を戻すと頭を大きく下げて謝った。
シャスターほどの剣の腕前とこの魔法の鞄があれば、魔の森と呼ばれる深淵の森でも抜けることが可能だと思ったからだ。
「謝る必要はないよ。それに魔法の鞄を知らないことを笑った俺も悪かった」
シャスターも頭を下げた。
「それじゃ、お互い様ということで、ね!」
カリンが屈託ない笑顔を見せる。シャスターもつられて笑った。
「それじゃ、町に向かいましょう」
「あ、もうちょっと待って」
シャスターが開いたままの亜空間に向かって何やら小声で呟く。
するとシャスターの全身が突然光ったかと思うと、今までボロボロだった服が先ほどの新品の服に変わっていた。
「!!」
カリンは大きく口を開いたまま、唖然としている。
それはそうだろう、シャスターの服装が目の前で一瞬で変わったのだから。
「これは魔法の鞄にオプションで付けることができるマジックアイテムで、魔法の鞄の中に入っている服や装備品を一瞬で装着することができる便利なアイテムなんだ。さすがにボロボロの服のままカリンの住む町へ行くのは失礼だから、新品の服に着替えてみた」
「服装なんて気にしなくてもいいのに……」
あまりにも驚きすぎて、カリンは当たり前の言葉しか口に出せなかった。それをシャスターは真に受けた。
「あれ、こっちの変身には驚かなかった?」
「いや、いや、いや! とんでもなく驚いたって!!」
やっと呆然状態から解放されたカリンは大声で叫んだ。
「驚いてくれてよかった」
「そんな凄いことができるのなら、最初に教えておいてよ!」
「いやー、教えておかないほうが面白いでしょ」
無邪気に笑うシャスターを見ながら、カリンはまだドキドキしている心臓に手を当てる。
魔法の鞄にも驚いたが、服装が一瞬で変わる方が驚きの度合いが高かった。町娘のカリンにとっては常識からかけ離れた光景だったからだ。
それを分かったうえで、シャスターはカリンに何も告げずに変身したのだ。
この少年は無邪気なのか、性格が悪いのか、はたまた天然なのか。
いや、違う。変り者なのだ。
しかも、ただの変り者ではない。
さきほどの魔法の鞄……おそらくカリンが一生働いて稼いだお金でも買えるかどうか分からないほどの高価な代物だろう。
それに、一瞬で服装が変わるマジックアイテム。あれだって魔法の鞄同様にとんでもなく高価なはずだ。
普通の旅人が買えるはずがない。
ということは、シャスターはかなりの大金持ちだということだ。
さらに騎士三人を一瞬で倒した剣技。
そして、金色に輝く髪と深紅の瞳を持つ均整な顔立ち……。
「間違いない、きっとどこかの国の王子様だわ」
将来、国王となって国を治めるために、若いうちから諸国放浪の旅に出て経験を積んでいるのだ。
「でも、こんな軽い感じの王子様で大丈夫かしら。まぁ、この国の国王よりはマシだろうけど」
「おいおい、心の声が全部聞こえているよ」
「……あっ!」
独り言のつもりだったが、思っていた以上に大きく呟いていたようだ。でも、変り者の部分は声に出ていなくて良かったとホッとした。
「俺は国王でもなければ、王子でもない。勝手な想像をしないでくれるかな」
「えー! 私の推理、当たっていると思ったのに」
残念そうな表情をしながらカリンは歩き始めた。
でも、だからといってシャスターのことをそれ以上根掘り葉掘りは聞かない。無理やり聞くのは失礼だと思っているからだ。
代わりにカリンは自分のことを話し始めた。
レーシング王国についてと、自分が騎士たちに襲われた経緯を。
レーシング王国は国王の下に二人の領主がいて、それぞれの領土を支配していた。
カリンの町……フェルドの町を含めて二十五の町と百近くもの村、そして一つの都市、その領土を治めているのがデニムという名の領主だ。
そのデニムにカリンは気に入られてしまったのだ。一度は領主に仕えることを断ったものの、領主は先程の騎士たちを使って実力行使に出たのだ。
しかし、カリンは騎士たちに反抗したため、怒った騎士たちによって殺されるところだったのだ。
「そこにあなたが現れて、私を助けてくれたの」
整理しながら話していると、改めて自分がかなり危険な状況であったのかが再認識できた。シャスターには感謝してもしきれない。
「本当にありがとう!」
「いやいや、たまたま小屋で寝ていただけだし。でも、まぁ助かって良かった」
少し照れ隠しをしている表情だった。この少年は変わり者だと思っていたので、少しはかわいい所もあるのだなとカリンは思った。
「それにしても、なぜその領主、えーと……デニムだっけ、カリンは仕えなかったの?」
「あんな奴に仕えるなんて、絶対に嫌!」
カリンの表情が一気に変わる。騎士たちの前では「領主様」と言っていたが、シャスターの前では言葉を着飾る必要はない。
「仕えると言えば聞こえはいいけど、要は領主に奉仕するためだけの奴隷よ。今まで何人もの少女が連れ去られ、誰一人として帰って来なかったわ」
領主のデニムは三十代半ばであり独身らしい。そして国王の長男でもあった。
「二人の領主とも国王の息子なの。ただ、長男は最悪だけど、次男は良い領主みたい。噂でしか知らないけど」
レーシング王国は国土の半分を王領として国王が治めており、残りの半分の国土を二人の領主で等分していた。
地理的にみると、王国の北半分が王領、南半分の西部がデニム、そして東部が次男の治めている領土となっている。
そして、レーシング王国には大河が東から中央を抜けて南に流れており、ちょうど次男の領土だけが大河で王領とデニム領土と離されていた。
「国王の統治している王領に対して、デニム領は西領土、次男の領土は東領土と呼ばれているわ。私たち領民は王領や東領土に行くことはできないから、あまり詳しいことは知らないけどね。違う領土に自由に行けるのは、貴族や国外から来る商人たちぐらいだから」
ただ、領民は領土内ならば行き来できる。カリンが奉公していた教会も同じ西領内にある唯一の都市ノイラにあったからこそ勤めることができたのだ。
また、町や村から若い娘たちがデニムに連れ去られて二度と帰ってこないことをカリンが知っていたのも、領内を行き来して色々と聞いていたからだった。
「それにしても、まさか侍女になることを断っただけで、騎士を使って襲ってくるとは思わなかったけど」
カリンの表情にはまだ少し怖れと怒りが残っていた。
国王とデニム、次男の領主はそれぞれ騎士団を持っていた。カリンを襲ったのはデニムの領土に所属する西領土騎士団の騎士たちだ。
さらに、デニムは騎士団だけでは満足せず、独自に集めた傭兵隊も持っていた。しかも騎士団よりも傭兵隊のほうが重宝されているらしい。
傭兵とは金で雇われている戦士のことだ。それが正規軍の騎士よりも格上に扱われるとは、普通ではあり得ない。
「デニムという領主は一体に何を考えているの?」
「強い戦士が好きなのよ」
デニムは強い戦士を集めることに熱心だった。それで彼のもとには傭兵たちが集まり、傭兵隊ができたのだ。
最初の頃は当然ながら騎士団の方が格上で傭兵隊を嘲っていたが、徐々に傭兵隊には強い者たちが集まり、今の傭兵隊の隊長が現れてからは、その隊長との試合において騎士団の誰も敵うことができなくなってしまった。
それで傭兵隊と騎士団との立場が入れ替わってしまったのだ。
「それにしても、強い人間を集めて自分の力を誇示するとは……デニム自身は力の弱い人間なんだろうな」
よくあるパターンとして、シャスターはデニムという男を決めつけたが、カリンの答えは予想外だった。
「領主は傭兵隊の誰よりも強いわ。おそらく傭兵隊長よりもね」
「えっ、そうなの!?」
意外な答えに驚いたシャスターが足を止めた。
「うん。だって領主は魔法使いだもの」
カリンが悔しそうに頷く。
さらに「なんであんなゲス野郎に魔法なんか……」とブツブツと独り言が聞こえてくる。
そんなカリンを見ながらシャスターは面白そうに笑ったが、笑われた本人はいたって真面目だった。
「笑いごとじゃないの! 魔法使いってとても強いのよ。私は直接見たことはないけど、デニムは手から炎を飛ばすらしいし、そんなの誰も敵うはずないわ」
真剣に話すカリンにシャスターは笑うのを止める。
「なるほど、火炎の魔法か。そりゃ強そうだね」
カリンに軽く相槌を打ったシャスターは再び歩き出した。




