第五十二話 衛星国
「あの人が、皇女殿下……」
先ほどまでここにいた威勢の良い、ペガサスにまたがって飛んで行った騎士が皇女殿下なのか。
カリンは初めて見る皇女にしばらくの間、呆然としてしまった。
「カリン様、大丈夫ですか?」
心配したレーテルが声を掛けて、やっとカリンは我に帰った。
「あっ……は、はい。大丈夫ですが……」
カリンはまだ今の状況が良く分かっていない。
ずっと町娘として過ごしていたカリンは、王族などとは一生縁がない世界に住んでいた。
それが成り行きとはいえ、レーシング王国、シュトラ王国、そしてアイヤール王国の王族たちと会話する機会に恵まれた。それは、とてつもなく凄いことなのだ。
普通は、自国の王族の顔さえ見たことがない国民の方が圧倒的に多い。貴族でさえ、王族と会話できるのは大貴族だけで、下級貴族などは話す機会さえない。
つまり、王族とは国民にとって雲の上の存在なのだ。
しかし、そんな雲の上の存在の王族たちから見て、さらに雲の上の存在が七大雄国の一角であるエースライン帝国の皇族なのだ。
カリンにとってはスケールが大き過ぎて、話についていけない。
そもそも、それほど高貴な身分の帝国の皇女様が、内戦中の戦場に単騎でペガサスに乗って舞い降りてくることが、カリンには理解出来ない。
皇女様とは、お城の中で優雅に午後のお茶会を楽しんだり、夜の舞踊会で華麗に踊ったりしている存在ではないのか。
いや、もしかしたらカリンが勝手にそう幻想しているだけであって、本来帝国の皇族とはこういうものなのか。
「あ、あの、すいません。私、全く分からなくて……。なぜエースライン帝国の皇女殿下が、まるで騎士のような姿で現れたのでしょうか?」
質問を受けたレーテルとフォーゲンは互いに顔を見合った後、言葉に詰まってしまった。
それを見て、シャスターが大笑いする。
「エルシーネは普通の皇女じゃないからさ。城の奥でおとなしく暮らしているよりも、前線で戦っているほうが好きという変わった皇女なんだ」
「……変わっているの?」
「ああ、変わり者だよ。エルシーネがドレスを着ているところなんて見たことがない。さっき着ていた鎧、あれが彼女にとっての正装さ」
シャスターが面白そうに話す。
その後ろで、レーテルとフォーゲンは顔を下に向けたままだ。二人も当然、エルシーネのことは知っている。しかし、知っているからこそ、何も発言をしない、できないのだ。
エースラインの皇族に対して失礼極まりない言い方が出来るのはシャスターぐらいだ。
「……何となくだけど、分かったわ」
シャスターの説明でカリンは少し理解できた。
世の中には色々なお姫様がいるということなのだろう。しかし、なぜそんな勇猛な皇女様が、アイヤール王国の内戦に現れたのか。
「アイヤール王国はエースライン帝国の衛星国だからでございます」
カリンの疑問に答えたのは、フォーゲンだった。彼としては、エルシーネの話題から逸れたので一安心したのだ。
「アトラ大陸に百数十もある国家の中で最強を誇る七大雄国。その一角であるエースライン帝国の周辺国家は、彼の国の庇護を受けているのです。そして、庇護を受けている国々を衛星国と呼ぶのです」
フォーゲンはカリンを見つめて微笑んだ。
「カリン様の暮らしていたレーシング王国もエースライン帝国の衛星国ですよ」
「そうだったのですか!」
自国がエースライン帝国の衛星国とは知らなかったカリンは顔を赤らめた。しかし、一般の国民が知らないことは当然なのだ。
「衛星国とは、庇護を受けているとはいえ、属国ということではありません。つまり、エースライン帝国は衛星国の国々に内政干渉はしてきません。どの国にも完全なる主権を認めて下さっているので、普段は表立って帝国が出てくることはありません。だから、国民が知らないのは無理ないことなのです」
衛星国であっても内政干渉はしない、自国内の問題は自国内で解決させる、それがエースライン帝国の基本方針だ。
だからこそ、レーシング王国の国王であったオイト国王が自国民に対して残虐非道な行為をしていたとしても、そのことに対してエースライン帝国がやめるよう干渉したり、軍隊を派遣して制圧したりすることはなかったのだ。
それだけ聞いたカリンは「それじゃ意味がないじゃない」などと不謹慎なことを思ってしまったのだが、事は国家対国家の高度な政治的な領域だ。
「カリンには到底理解できないことさ」
と、シャスターに一言で片付けられてしまったカリンは、何も反論できずに黙るしかなかった。
そんな内政干渉のエースライン帝国が、今回のアイヤール王国に干渉してきたのは珍しいことなのだ。
それだけ不毛な内戦が長引いているアイヤール王国に対して、見かねた帝国が前国王との約束を果たしたのだろう。
「衛星国の利点は、周辺国同士の無用な争いが起きないことです。エースライン帝国は衛星国同士の戦争を禁止していますから。また、外敵に対してもエースライン帝国に援助や助力を求めることができるのです。そして我々にとって外敵というのが、まさに東のフェルノン山脈なのです」
フォーゲンは一旦視線を空に向けた。その視線の先には遠くの山々が見える。フェルノン山脈だ。
しばらくすると、再びフォーゲンは視線を元に戻した。
「十五年前、フェルノン山脈から現れた外敵によって、アイヤール王国は侵略を受けたのです」
それはアイヤール王国にとって大きな災いの出来事だった。




