第十八話 参戦
翌朝、日が昇るのと同時にハルテ国王軍は進軍を始めた。
レーテル姫たちは百人の騎士と共に、ハルテ国王陣営の最後尾に付いている。
そして午後を大きく過ぎた頃、ハルテ国王全軍がキノス平原に到着した。
キノス平原では両陣営とも千人程度の兵士たちが常に展開しており、その間で小競り合いが続いていた。
しかし、今回のような大規模な戦いが行われるのは初めてだ。
ハルテ国王陣営の本隊が到着すると、一気に兵力が増え陣形が拡大した。
しかし、同時に百メートルほど先に見えるブレガ陣営でも陣形が拡大している。
どうやら、ブレガ陣営の斥候たちが、事前にハルテ国王陣営の全軍投入の動きを察知していたようだ。
そこで、ブレガ陣営も全軍を投入してきたのだろう。
つまり、昨夜フォーゲンが話していたハルテ陣営一万と、ブレガ陣営八千との戦いになろうとしていた。
「いよいよですね」
レーテル姫は少しだけ声を震わせていた。
それはそうだろう、まだ十二歳の少女が戦場に来ることなど普通はあり得ない。緊張して当然であった。
「姫さま、お気持ちを楽にしてください」
フォーゲンがレーテル姫の両肩に優しく手を置くと、震えている姫の身体が少し落ち着いた。
フォーゲンはレーテル姫を自分の前に乗せて、キノス平原まで馬を走らせてきたのだ。
「我々はこの辺に陣を組みましょう」
フォーゲンの指示のもと、レーテル軍はハルテ国王陣営の後方に陣を組んで待機しようとしたが、そこに来るはずもない人物が現れた。
「ほぉ、レーテル姫も来られたのですか。それは感心ですが、あまりお荷物にならないように気をつけてください」
突然現れた嫌味たっぷりの宰相タジサルに、フォーゲンは眉をしかめた。
「こんな後方に宰相自らが、わざわざおいでとは何用かな?」
「ああ、そうであった」
タジサルはわざとらしく咳払いすると、レーテル姫の前に立った。
「レーテル姫は至急、自らの軍をまとめてハルテ国王本隊の横に陣形を展開せよ、とハルテ国王からの御命令です」
これにはフォーゲンも驚いた。
後方で戦いを静観するつもりだったのが、国王本隊の横ともなるとそうも言っていられない。
「では、確かに伝えましたぞ」
タジサルは笑いながら去って行った。
彼としてはレーテル姫の魔法使いを人身御供に使うことは諦めたが、代わりに本隊横でこき使うことができるようにしたのだ。
嬉しくて仕方がないのだろう。
「兄上の命令なら仕方がありませんね。行きましょう」
レーテル姫の軍は国王本隊の右横に移動した。
ハルテ国王陣営の陣形は、中央、右翼、左翼の三つに展開しており、さらにそれぞれが前列、中列、後列と分かれていた。つまり、前後左右に九つの部隊となっている。中央の中列である真ん中の陣が国王の本隊だ。
「レーテル、ただ今参りました」
「遅かったな」
挨拶のため、フォーゲンとシャスターだけを一緒に連れてきたレーテル姫に、ハルテ国王は相変わらず素っ気ない対応だ。
しかも、ハルテ国王は機嫌が悪かった。
大兵力で一気にブレガ陣営を潰すつもりだったのだが、ブレガ陣営も大兵力を充ててきたからだ。
つまり、ハルテ国王軍の動きがブレガ陣営に筒抜けだったということだ。おそらくハルテ国王軍の中にブレガ陣営の密偵が潜入していたのだろう。
その責任を取る形で複数の隊長格を処刑したが、それでもハルテ国王の怒りが収まらない。
こうなってしまっては、たかが百騎ほどのレーテル姫の兵力でも必要になってくる。
しかし、ハルテ国王はレーテル姫に頼むようなことはしない。
「せっかく参戦しに来たのだから、お前にも戦わせてやろうと思ってな」
「ありがとうございます」
優しさからの提案ではないことを知っているレーテル姫はすぐに退出しようとしたが、国王が止める。
「ちょっと待て、レーテル。その魔法使いのガキは置いていけ」
「えっ!?」
「ガキとはいえ、魔法使いなら多少は役に立つだろう。貴様を魔法使い部隊に入れてやる。ありがたく思え」
後半の言葉は、シャスターに向けたものだった。
レーテル姫に拒否権はない。
心配そうに見つめるレーテル姫に、少年は片目をつぶって微笑んで見せた。
「……分かりました。シャスター、私に恥じをかかせぬ戦いをしてきなさい」
「かしこまりました、レーテル姫」
レーテル姫とフォーゲンが本隊から去った後、残されたシャスターはゆっくりと周りを見渡した。
ハルテ国王の周りには、昨日国王の間にいた貴族たちやタジサルたちがいた。
しかし、誰一人として戦いに赴く姿をしていない。つまり、ここにいる者たちは自らが戦うつもりはないのだ。
国王本隊は軍の中央にいる、戦闘が始まってもすぐに戦いになる部隊ではない。
それに、もし敗戦が濃くなっても本隊に守られながら撤退すれば、彼らが死ぬことはないのだ。
「こいつらは一体、何しに来ているのだろうか?」
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
ハルテ国王に睨まれながらも、シャスターは平然としている。
「貴様は我が精鋭の魔法使いたちを弱いと言い放ったそうだな。そこで、貴様を魔法使い部隊に入れることにした。しかし、これは建前だ」
「……どういうことですか?」
「どうせ非力な貴様は真っ先に殺される。そうなれば役に立たなかった魔法使いをよこしたレーテルを背任罪で幽閉することができる。シューロン地方も、俺が直接治めてやろう」
「……」
「だから貴様は、せいぜい自分の生意気さを後悔して死ぬがよい」
ハルテ国王は残忍な笑みを浮かべて笑った。周りの貴族たちも笑っている。
タジサルなど大笑いしている。生け贄にしたい願いが潰えた後に、再度願いが叶ったのだから、嬉しくて仕方がないのだろう。
その光景を見てシャスターは改めて再認識をした。
アイヤール王国はレーテル姫が国王になるべきだと。
「それで、その魔法使い部隊はどこ?」
シャスターはハルテ国王に尋ねた。
敬語すら使わないのは、使うに値しないと判断したからだ。
「国王に対してその口のきき方、無礼であるぞ!」
タジサルが剣を抜いたが、ハルテ国王がそれを止めた。
「よい、タジサル。レーテルには不敬罪も追加することにする」
「ははっ!」
タジサルは頭を深く下げた後、シャスターを睨む。
「おい、貴様! ハルテ国王の御慈悲で命拾いしたな。ただし、殺される時間が少し延びただけだが」
再び笑いが起きる。シャスターを馬鹿にした貴族たちの笑いだ。
しかし、シャスターは気にも留めていない。
「そりゃ、どうも。それよりもさ、魔法使い部隊はどこ?」
「貴様! さっき口のきき方には気をつけろと……」
「で、どこ?」
シャスターはタジサルの言葉を遮り、再度聞き直した。
あまりにも失礼な少年に、タジサルは怒鳴り声を上げようとしたが、少年を見るなり無意識に後退りしてしまった。
恐ろしいほど冷たい目をしていたからだ。
タジサルの身体から一気に汗が流れ出る。
「こ、この中央前例の一番先頭だ。さ、さっさと行け!」
「分かった」
冷や汗を流しながらも、なんとか威勢を張ることだけはできたタジサルの横を通り抜けると、シャスターは悠然と歩いて魔法使い部隊へ向かった。




