第十三話 戦地へ
翌朝、シャスターとカリンはレーテル姫と共に朝食を食べた後、出発の準備を始めた。
ただし、時間をかけて準備する程のものはない。レーテル姫から貰った食料を魔法の鞄に入れただけだ。
レーテル姫は城門の前で二人を見送ることにした。
「お二人ともお元気で」
レーテル姫は手紙を差し出す。
「どうか、よろしくお願い致します」
丁寧に頭を下げたレーテル姫だったが、なぜかシャスターは手紙を受け取ろうとしない。
「俺は渡しません」
「えっ!?」
意外な言葉にレーテル姫は慌てた。
昨夜は渋々であったが、渡してくれると約束したのに、今朝になって心変わりでもしたのだろうか。
「何かあったのでしょうか?」
「もし戦地にいる水氷の魔法使いが本当に奴だった場合、俺は奴のことが嫌いなので、手紙を渡すことはお断りします」
シャスターは素っ気なく答える。
「そんな……」
レーテル姫の目に涙が浮かぶ。
しかし、涙が溢れる前にシャスターが言葉を続けた。
「だから、レーテル姫自身で手紙を渡してください」
言葉の意味が分からず、涙を溜めたままキョトンとしている少女にカリンが言葉を足す。
「レーテル姫も私たちと一緒に行きましょう! 手紙を託すよりも、直接話した方が感謝の気持ちが伝わりますよ」
やっとレーテル姫は理解できた。
自分も二人と一緒に、水氷の魔法使いに会いに行くことを提案されているのだ。
シャスターとカリンの気持ちは、とても嬉しいものだった。レーテル姫も本心としては感謝を直接伝えたい。
しかし、それには大きな問題が立ちはだかっていることも同時に分かっていた。
「それは……無理です」
レーテル姫は残念そうに答えた。
レーテル姫が戦地に行くということは、ハルテ国王陣営に完全に与することになってしまうからだ。
今までも地理の上では、シューロン地方はハルテ国王陣営に入ってはいるが、実際には中立を保っていた。しかし、レーテル姫が戦地に向かえば、必然的にハルテ国王陣営に入ることになる。つまり、中立の立場を一変させることになるのだ。
それは政治的に問題を引き起こすことになりかねない。
だからこそ、レーテル姫は自分が行くことに大反対するはずのフォーゲンを見た。
しかし、そんなレーテル姫の心配は全くの杞憂だった。
「姫さまもシャスター様たちとご一緒に」
「えっ!?」
再びレーテル姫は驚いた。
フォーゲンは反対どころか、行くことを促しているからだ。
「フォーゲン……?」
「姫さまの好きになさることが、姫さまにとって一番大切なことだと諭されました」
フォーゲンはシャスターを見て微笑みながら、昨夜の会話を思い出していた。
昨夜、自分の話が終わったフォーゲンは国王の部屋から出て行こうとした。それをシャスターが相談があると言って、呼び止めたのだ。
「レーテル姫のことなんだけどさ……」
シャスターは唐突に話し始めた。
レーテル姫は年相応には見えない思慮深さと冷静な判断を持っている。
しかし、それがかえって自分の本心を出せなくさせていると、シャスターは感じていた。
それをフォーゲンに伝えたのだ。
「本来であれば、レーテル姫はもっと強く自らの王位継承を主張するべきだったんだ。しかし、まだ自分は子供で国王には不適格だと思ったレーテル姫は、兄たちに王位継承を譲ってしまった」
シャスターの言葉は的を射ていると、フォーゲンは認めざるを得なかった。
確かにあの時、レーテル姫が国王即位を宣言していれば、今とは違った状況になっていただろう。
「そんなレーテル姫が、今回のことで自分の本心のまま動いたんだ。それは凄いことだと思うよ」
レーテル姫は、雨を降らせた旅人が、ブレガ陣営の傭兵になっていることまで調べ上げて、感謝の手紙を書いたのだ。それは自らの意志で動いたということだ。
「あんな奴に手紙を書きたいなんて、正気の沙汰とは思えないけど」
「……」
「まぁ理由はどうであれ、レーテル姫がさらに自分で一歩を踏み出したがっていることは間違いない。だから、俺はレーテル姫を奴のもとへ連れて行こうと思う」
突然の発言にフォーゲンは驚いた。
しかし、驚きながらもフォーゲンはその意図がよく分かっていた。確かにシャスターの言う通り、レーテル姫のことを考えれば一緒に連れて行ってもらえる方が良いことは分かる。
だが、それでも姫の身を案じれば、無茶なことには変わりがないのだ。
「申し訳ございませんが……」
フォーゲンは断ろうとした。
しかし、そんなフォーゲンを見透かしたようにシャスターは言葉を遮った。
「レーテル姫の気持ち、それを止めてしまえば、姫はこれからも自分の本心を話せない、気を遣い過ぎて自ら動けない人間になってしまう。フォーゲンはそれでもいいの?」
「……」
「レーテル姫のことを……いや、これからのアイヤール王国のことを考えれば、連れて行くべきだ。レーテル姫の安全は俺が保証する。それでも反対するようだったら、無理矢理にでも連れて行くよ」
そこまで言われたら、フォーゲンとしては反対は出来なかった。
「分かりました。シャスター様のお考えが正しいと思います。シャスター様、よろしくお願い致します」
深く頭を下げながら、フォーゲンはシャスターの提案を受け入れた。そして、レーテル姫のために腹を括ったフォーゲンの動きは速かった。
その夜のうちに姫を守るための屈強な騎士を百人選んだのだ。
さらにシャスターに、ハルテ国王軍に参陣して欲しいと願い出た。
なぜなら、レーテル姫が直接ハルテ陣営を通り越して、水氷の魔法使いがいるブレガ陣営に行くことは難しい。そこで、まずはハルテ国王への援軍ということにして、戦場に向かうことが良いと判断したからだ。
「分かった。その通りにするよ」
シャスターは快諾した。フォーゲンはもう一度頭を下げると、詳細な打ち合わせをシャスターと始めたのだった。
そんな昨夜の状況を思い出しながら、フォーゲンはレーテル姫を見つめた。
「形式上、この騎士たちはハルテ国王への援軍ということになりますが、実際には姫さまをお守りする護衛です。姫さま、まずはハルテ国王の元に向かってください」
フォーゲンはチラッとシャスターを見た。
「そこから先のことは、シャスター様が水氷の魔法使いに会えるように上手く手配して頂けることになっております。安心してご出発してください」
「フォーゲン……」
「シューロン地方のことは我々にお任せください。姫さまがお戻りになるまでしっかりとお守りします」
フォーゲンはレーテル姫に微笑んだ。
「ありがとう、フォーゲン」
許してくれたフォーゲンに、レーテル姫は泣きながら抱きついた。
フォーゲンも優しくレーテル姫を抱きしめる。
「姫さま、どうかご自身の思うがままに行動してください」
まるで今生の別れのような光景に、周りにいた誰もが目を潤ませていた。
当然、カリンもだ。
しかし、その中でひとりだけ全く感動していない者がいた。
「何言っているの? フォーゲンも一緒に行くよ」
「えっ!?」
全員の感動が一瞬で吹き飛んだ。
しかも、フォーゲンはもちろん、カリンも聞いていない話だった。
「フォーゲンさんも一緒に行くって、どういうこと?」
カリンの驚きにもシャスターは淡々としている。
「だって、フォーゲンが一緒に行かないと、レーテル姫のことを証明できないし」
「あの……証明とはどういうことでしょうか?」
フォーゲンがおそるおそる尋ねた。嫌な予感がしたからだ。
「もちろん、レーテル姫を国王にするための証明だよ」
楽しそうに答えるシャスターとは対照的に、ゆっくりと言葉の意味を理解したフォーゲンは天を仰ぐ。
その横でレーテル姫は、あまりにも大きな衝撃で固まってしまっていた。




