第九話 姫の依頼
レーテル姫の父であるアイヤール国王が亡くなったのは、一年前のことだった。
狩猟を楽しんでいた時に落馬をし命を落とした。国王は四十二歳とまだ若く、まだ後継者を決めずに亡くなってしまった。
そこで二人の息子のうち、兄であったハルテが国王の跡を継いだのだが、二つ歳下である弟のブレガが意を唱えた。
国王には二人の王妃がいたが、弟のブレガは第一王妃の子供だったからだ。兄のハルテの母親は第二王妃だ。
ブレガは、当然第一王妃の息子である自分が国王を継ぐはずだと主張したのだ。
ちなみにレーテル姫は第三王妃の娘だったのだが、第三王妃は二人の王妃に比べると立場も弱く、さらにレーテルが幼少の時に亡くなっていた。
そのため二人の兄は、最初からレーテルを除外し無かったものとして考えていた。
第二王妃の兄と、第一王妃の弟、二人の争いはそのまま貴族闘争となった。
なぜなら、第一王妃、第二王妃はアイヤール王国で最も有力な貴族、ヘルダ家とメルテン家の娘だったからだ。
ヘルダ家とメルテン家にしてみれば、肉親が国王になるわけである。両家とも巨大な権力を得る機会をみすみす失うわけにはいかない。
そして多くの貴族たちがヘルダ家とメルテン家のどちらかの陣営につき、国王をめぐる争いは大きな内乱を引き起こしたのだった。
「第二王妃のメルテン家は王国の西側に領土を、第一王妃のヘルダ家は東側に領土を持っているため、王都を含む西側に長兄ハルテの勢力、東側に次兄ブレガの勢力が集まっています」
レーテル姫は話し終えた後、紅茶を一口飲んだ。喉を潤したのだろう。
しかし、そんなレーテル姫の詳細な話も、シャスターにとっては正直全く興味がない内容だった。
内戦のことはギダが伝えたこととほとんど同じであったし、そもそも玉座をめぐる争いなど珍しくもない、王家ではよくある話だからだ。
「話してくれてありがとうございます。ただ、俺たちには関係ないことですし、争いを止めることもできません。このままエースライン帝国に向かいます」
シャスターはレーテル姫から依頼される前に拒絶した。
おそらくレーテル姫は二人の兄の争いを止めて欲しいと、シャスターに頼むつもりだったのだろう。だからこそ、内戦の経緯を話したのだ。
もちろん、シャスターなら二人の争いを止めることは可能だ。しかし、それではアイヤール王国のためにはならない。
自分が力ずくで争いを止めたとしても、何の解決にもならないからだ。
レーシング王国の時もシャスターにはその気持ちが強かった。ただ、レーシング王国の時は彼自身が渦中にいたため避けることができなかったが、アイヤール王国に関しては完全な部外者だ。
内輪揉めに首を突っ込むような趣味はない。内戦など無視して、旅を続ければ良いだけのことだった。
だからこそ、レーテル姫が淡い期待を持つ前に断ったのだが、レーテル姫の反応は全く違うものだった。
「もちろんです。シャスター様に兄たちの争いを止めて欲しいと、そんな図々しいことをお願いするつもりはありません。私がお願いしたいのは別のことなのです」
「別とは?」
「一ヶ月ほど前、この地方を日照りが襲いました。そんな状況下で困っていた私たちに、雨を降らせて助けてくださった旅人様がいました」
「……」
「そして、内戦中のブレガ兄が最近、水氷の魔法使いを傭兵として招き入れたと聞きました。私はその二人が同一人物だと思っています」
レーテル姫は真剣な表情で、シャスターを見つめた。
「シャスター様にお願いしたいことは、その魔法使い様に、私の感謝の気持ちを伝えて欲しいのです」
レーテル姫は深く頭を下げた。
意外な願い事を頼まれて、シャスターは苦笑するしかなかった。
しかも、今の話ではこの地に来た旅人が雨を降らしたことをレーテル姫自らが認めているようなものだ。村人たちが必死になって隠していた噂の真実をバラすとはどういうことなのか。
しかし、シャスターはそれについては敢えて問わないで話を続けた。
「いやいや。失礼ですが、やはり俺には関係ないことです。感謝の気持ちを伝えたいのなら、他の者に頼んでください」
シャスターはレーテル姫の頼みを突っぱねた。
そもそも、この地に来た理由は、雨を降らせた旅人の噂が本当かどうか調べるためだ。
そして、先ほどレーテル姫自身から真実だと聞くことができた。シャスターとしては目的を達成した。盗賊ギダが話した噂が本当だと分かったからだ。
もちろん、二つの噂の人物が同一人物かどうかは分からない。しかし、この地での調査は終わった。
「それでは、失礼します」
シャスターは立ち上がって話を終わらせた。
しかし、そんなシャスターをレーテル姫は引き留める。
「待ってください! シャスター様だからこそ、お願いしたいのです」
「……だからこそ?」
「はい。その魔法使いは、シャスター様が良く知っている方だと思ったからです」
レーテル姫の思わせぶりな発言は、明らかにシャスターに興味を持たせようとしているものだった。
「なぜ、俺が知っている人物だと思うのですか?」
「その魔法使いの傭兵は、周囲にこう話しているらしいのです。『自分はシーリス魔法学院の後継者』だと」
「ほぉ」
「シャスター様がこの地にいらしたのも、雨を降らせた旅人の噂が本当か確かめに来たのではありませんか? そして、シーリス魔法学院の後継者の可能性があるとお思いになられた」
「……」
「シャスター様がお知りになりたいことについて、私からもう少し詳しくお話をさせて頂くこともできますが」
「それはそれは……」
シャスターは興味を持ち始めた。
ただし、話の信憑性についてではない。
レーテル姫の到底十二歳とは思えない話の進め方、そして交渉術に感心したのだ。
最初に旅人の噂が事実だと、それとなくシャスターに伝えていた時から彼女の交渉術は始まっていた。
その下準備として、内戦の経緯を話したのだろう。
「……もう少し詳しく聞きましょうか」
シャスターは少し冷めた紅茶を一気に飲み干すと、面白そうな表情でレーテル姫を見つめた。




