第五話 湖畔にて
国境の町ツラから、東に向かう街道を一日かけて馬で進んだところに、フェンという町があった。
盗賊ギダの説明に出てきた町だ。
このまま東に進めば王都に行けるのだが、カリンの半強制的な要望によって、三人は南に進むことになっている。
フェンの宿屋に泊まった三人は、翌日街道を東ではなく南下して進んだ。
そして、さらに三日後の夕方にスピン湖に着いた。
「綺麗な湖ね」
カリンが思わず声を上げた。
目の前にはなだらかな山脈が続いており、その麓にスピン湖があった。
湖はまるで鏡のように山々を写しており、山脈から吹く風が湖面を静かに揺らしている。
「うん、良いところだ」
ここに来るまでは、散々嫌がっていたシャスターだったが、この景色を見て気分が変わったようだ。
来て良かったと思い始めている、それほどの美しさだった。
三人は湖畔に広がる村へと入っていった。
街道の分岐点だったフェンの町は、王都から近いせいか、兵士たちも多く巡回しており、町全体が殺気立っていた。
しかし、アイヤール王国南西部にあるこの村はとても静かで、この国が内戦しているとは想像できないほどだった。
そんな村の奥の一際高い場所に小さな城が建っていた。
「あの城にレーテル姫が住んでいるのね」
ただ、直接城に行ったところで、噂の話が聞けるとは思わない。
それにもう夕方だったので、三人は村にある宿屋を訪れ、その日は村に泊まることにした。
宿屋は湖のすぐ傍に建てられていて、テラス席の前には湖が広がっている。
「はぁー、ずっとここに居たくなるわ」
テラス席で夕食を食べながら、カリンはウットリと夕暮れ時の湖面を見ていた。時々、南の山脈から流れてくるそよ風がこの時期には心地良い。
何もかもが極上の時間だった。
「田舎の料理だが、口に合うかい?」
宿屋の店主が魚料理を運んできた。
「もちろん! 最高の料理に、最高の風景、もう全てが最高です!」
「あははは、それは良かった。このメインディッシュも美味しいぜ」
店主はテーブルに魚のムニエルが乗った皿を置いた。
「この魚はこのスピン湖で、今朝捕れたばかりの魚だ。身が淡白なので、この濃いバターソースによく合う」
「いただきまーす!」
魚のムニエルを一口食べた瞬間、カリンは幸せに包まれた。
「美味しい!」
シャスターと星華も絶品料理に舌鼓を打った。
こんなにも美味しい料理と、美しい湖を見渡せるテラスがあれば、宿屋はかなり繁盛しているはずたが、どうやら今日の宿泊者はシャスターたちだけのようだ。
「みんな内戦が悪いのさ」
店主がぼやく。
辺境地ではあるが、観光名所のスピン湖には普段ならこの時期、国内外から多くの観光客が訪れていた。しかし、今この国は内戦状態であり、戦禍から遠く離れているこの地方でも客足は途絶えてしまっていた。
「あんたたち、旅人だろ。どこから来たんだい?」
「レーシング王国から。アイヤール王国を横断して、エースライン帝国に行こうと思っているんだ」
「そうなると、内戦の真っただ中を通り抜けなきゃならねぇな。悪いことは言わねぇ、スピン湖でゆっくり過ごしたら、レーシング王国に戻った方がいいぜ」
「ありがとう。考えてみるよ」
一応、店主の忠告に感謝を示す。
「ところで、あの城には誰か住んでいるの?」
シャスターが何も知らない振りをして城を指差す。店主は城を見ながら答えた。
「ああ、シュイン城か。あの城には、このシューロン地方を治めている領主様が住んでいる。ハルテ国王の妹君でレーテル姫だ」
「国王の妹が統治しているのなら、この地方は安泰だね」
「レーテル姫は俺らのような村人にも分け隔てなく優しく接してくださる。それにまだ若いのにとても聡明なお方だ」
店主の誇らしげな表情を見て、レーテル姫が領民に慕われていることが良くわかる。実際に良い領主なのだろう。
しかし、そのあとに続く言葉と共に店主の顔が曇る。
「でもよ……ここだけの話、どうやら国王とあまり仲良くないらしい」
店主はシャスターの耳元に近づいて、わざとらしく小声で話す。
「どういうこと?」
「二ヶ月近く前になるが、ここシューロン地方が旱魃に襲われてな。このままでは農作物も全て駄目になってしまうと、レーテル姫が兄のハルテ国王に食糧援助を願い出たんだが、全く相手にされなかったらしい」
「それは酷いね」
「だろう? 母親違いとはいえ本当の兄妹、しかもレーテル姫はまだ十二歳だ。その願いを全く受け付けないなんて、本当に酷い王様さ」
店主は心底憤慨している様子だった。
おそらくシューロン地方の多くの者が、店主と同じ気持ちなのだろう。
そして、ここまではギダの情報通りだった。
「幸いにもその後、大雨が降ったお陰で作物も元気になって事なきを得たけどよ」
「大雨が降った?」
「ああ、そうだ」
シャスターとカリンは目を合わせた。ここから先は盗賊ギダの情報とは違っていたからだ。
「大雨って、見ず知らずの旅人が降らしたって聞いたけど?」
「あんたも噂を信じたクチかい? でもそりゃ、あくまで噂だ。人間が大雨を降らせられるはずがないだろう」
「なーんだ、嘘だったのか。信じて損したよ」
「噂なんて、そんなもんだ」
店主は笑いながら店内に戻っていった。
「嘘だったんだ、残念」
カリンは大きなため息をついた。
「でも、景色の素晴らしい所だし、来ることができて良かったわよね?」
カリンはシャスターに同意を求めた。
しかし、シャスターはカリンの感想を無視して、星華に無言で合図をしている。
心得た星華はこの場から一瞬で消え去ったが、シャスターがムニエルを食べ終わるより早く戻ってきた。
「どうだった?」
いつになく真剣な表情になっている。
「やはり、店主は嘘をついていたようです。店主の妻に、我々が噂を知っていたことと、噂が嘘だとごまかしたことを話していました」
「やはり、噂は本当だったのか」
「まさか、店主が騙していたの?」
カリンは店主の話を鵜呑みにしたが、シャスターと星華は店主の話を信用していなかったのだ。
「なんで嘘をついていると分かったの?」
「俺が大雨の話をした時、店主の目が一瞬だけ泳いだからさ」
それで星華に調べさせたのだった。
「でも、旅人が雨を降らせたことを隠す必要があるのかしら?」
「それは分からない……でも、まぁこの話はもう終わりにしよう。こんな綺麗な夜に詮索するのは、野暮というものさ」
いつの間にか、景色は夕暮れを過ぎて、夜のとばりが下り始めていた。夏の空には星々が輝き始める。
夜の湖畔も神秘的で美しかった。
シャスターはのんびりと景色を眺めながら、料理を口に運んだ。




