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第十五話 騎士団長と盗賊

 それから間もなく星華(せいか)の気配が消えた。


 傭兵隊の盗賊ギダがシャスターを守るために騎士団長室に近づいてくるのを察知したからだ。当然、星華の方が早く察知しているので、盗賊ギダが星華に気付くことはない。



 何もすることがないシャスターは、椅子に座りながら窓の外を眺めていた。しかし、部屋の天井に盗賊が隠れていることには気づいた。シャスターは星華ほど感知能力が高いわけではない。それでも盗賊の気配を察することができる程度には感覚が研ぎ澄まされていた。


 これは盗賊ギダの隠密行動が下手なわけではない。ギダは一般人はもちろんのこと、鍛錬している騎士団の幹部たちにさえも気づかれずに諜報活動ができる。だからこそ、傭兵隊長エルマの右腕として活躍できているのだ。

 当然ながら盗賊ギダは自分の行動がシャスターに気付かれているなど微塵も思っていない。


(暇そうにしやがって。なんでこんな奴を守らなければならんのだ)


 ギダは心の中でぼやいたが、この小僧を守らなければいけないことは充分承知している。だからこそ、そのジレンマが彼をイライラさせるのだ。

 そんな心の葛藤をしているギダにお構い無しに、シャスターはアクビをしたりぼんやりしているだけだ。



 そんな状況が一時間以上も続きギダの怒りが頂点に達した時、不意にシャスターは立ち上がると部屋から出て行った。

 少し落ち着きを取り戻したギダが気付かれないように後をついていく。


「騎士団内のどこかに用事でもあるのか」と思ったギガだったが、シャスターは騎士団の建物からも出て行くと城の城門まで来た。


 城の城門には数人の騎士たちが守備している。

 突然の騎士団長の来訪に驚いた騎士たちに小声で何か尋ねたシャスターは、慌てふためく騎士たちを無視してそのまま城門の外に出て行った。

 城門の外、つまり城下街に出掛けたのだ。


「何を考えていやがる!」


 ギダは呆れた。騎士団長が供を付けずに城下街に出掛けるなどあり得ないのだ。

 今回の暗殺計画がなくとも、騎士団長という高い身分なら万が一のことを考えて必ず護衛の者を数人従えるのが普通だ。城門の警備をしていた騎士たちが慌てふためいていたのも、ギダにはよく分かった。

 騎士団長になったばかりの右も左も分からない小僧でも、そのぐらいの常識はあるはずなのだが。


(よほど自分の腕に自信があるようだが、その過信が命取りになるぞ)


 ギダはそうなって欲しいと心から思いながらほくそ笑んだ。と、同時にふとあることに気付いた。


(まさか、この城下街での護衛も俺がしなければならねえのか?)


 その事実に気付いた瞬間、笑みが苦渋の表情に変わる。絶対にシャスターを殺させてはならないのだから城下街でも守らなければいけないのだ。


 とんでもない損な役回りを命じられたことと、自分自身の認識の甘さにギダはひとりで誰にも気付かれることなく憤慨した。

 そんなギダを気にすることもなく、シャスターは気楽に城下の街を歩き続ける。

 この時間はまだまだ歩いている人も多い。どこから暗殺者が現れても不思議ではない状況だ。気が気ではないギダは、いつもの数倍神経を集中させざるを得なかった。


(くそー! 小僧のせいで)


 ギダは汗をかいていた。それほどまでにシャスターを守るために感覚を研ぎ澄まさせていたのだ。

 そんなことはつゆ知らず、シャスターは人ごみの中を歩き続ける。



 そしてようやく、ある建物の前で足を止めるとそのまま中に入って行った。

 そこは都市で一番大きな酒場だった。


(酒場だと!?)


 その酒場のホールではざっと二百人ぐらいの客が飲み食いでき、いつでも賑わっている酒場だ。ギダも時々傭兵仲間と飲みに来たりしている。


 ただ、大きな酒場なのでひとりで飲みたい時や内密の話をしたりするのには不向きだ。だからこそ、ここに来たシャスターの行動が理解出来ない。この酒場でひとりは逆に目立ってしまうからだ。


 ギダは酒場に入るのを躊躇していた。シャスター同様、ギダもひとりで入れば、否応やしに目立ってしまう。尾行としては命取りだ。



 しばらく考えた後、ちょうど酒場には入ろうとしている集団がいたので、そこに紛れて後ろから一緒に入店することにした。そして、店に入った瞬間に気配を消して店の奥に入り込んだ。その間、案内をする係りの者をはじめ誰もギダに気付いた者はいない。

 盗賊だからこそ出来る芸当だ。


 ギダは隅の空いている丸テーブルに座った。店全体を見渡せる場所から、シャスターを見つけるためだ。

 ただし、広いホールなのですぐには見つけられないだろう。根気よく探そうと思って周りを見渡すと、一際大声で飲み騒いでいる集団がいる。



 この酒場は普段から喧騒に包まれている。

 大きな酒場だから当たり前と言えば当たり前だが。しかし、度が過ぎる騒ぎは周りの客にも迷惑だ。通常は他の客が注意したりする。それで騒ぎが収まる場合もあるが、注意した方とされた方が喧嘩になる場合も多い。そしてその光景を肴にして楽しむ客たちもいる。まぁ、最後には店側が用心棒を使って収めるのだが。

 だから、その騒いでいる集団もまた大きな酒場には多々ある日常的な光景だった。


 ただ一つ違っていたのは、大騒ぎしている集団に対して周りの客が誰も注意していないことだ。客だけでなく、店の人間も見て見ぬ振りをしている。

 それをいいことにその集団は相変わらず大声で叫んだり大笑いしたりしている。

 一体どんな馬鹿どもが大騒ぎしているのか、ギダはその集団を覗きこんだ。


 と、同時に愕然し激怒した。


 大騒ぎしていたのは傭兵隊の傭兵たちだったからだ。



「お前たち、一体何をしている!」


 隠密行動をしていることを忘れて、ギダが店中に響き渡る大声で怒号する。

 その瞬間、店中の喧騒が全て消えた。全員が盗賊に目を向けている。ギダは大きくため息を吐くと、傭兵隊の集団に向かって歩き始めた。


 他の客や店側が何も注意出来なかった理由もこれで分かった。傭兵隊に腕力で敵うはずがないからだ。だからこそ、ギダは常日頃から傭兵隊は秩序を持って行動するようにと、口うるさく彼らに言っていた。

 しかし、彼の指導も無意味だったということだ。


「おう、ギダか! お前がいるとは知らなかったぜ。こっちで一緒に飲もうや」


 酒場にいた傭兵は五十人ほどだ。

 もちろん、皆ギダがよく知っている顔だ。ついこの間フェルドであの小僧にこてんぱんに倒された三人もいる。


「お前たち、自分たちの立場を考えろ! 俺たちは傭兵隊だぞ。自由稼業のただの傭兵じゃない。お前たちの行動で傭兵隊全体、さらにエルマ隊長に迷惑がかかることが分からんのか!」


「そうは言ってもな、ギダ。俺たちの楽しみはこれだけだ。たまには騒いでもいいだろう?」


 シャスターに倒された斧使いがビールの注がれた大ジョッキを持ち上げながら豪快に笑う。全く悪気がない態度だ。


「騒ぐのは構わない。ただ、他の客に迷惑をかけるな」


 盗賊が風紀を諭す、よくよく考えれば奇妙なことであるが、ギダの立場では仕方がない。


「それは分かるけどよ。今日は祝いなんだ」


「祝い? 何のだ?」


 斧使いたちがニヤニヤ笑う。すると、彼らの後ろからひとりの少年が現れた。



 金髪の少年……。


 それはギダがよく知っている少年だった。

 先程まで必死になって尾行していた騎士団長のシャスターだった。


 ギダは一瞬頭の中が真っ白になる。



「な、なぜ、お前がここに……」


 かろうじて絞り出した声には驚きが隠せなかった。


「ギダよ、お前呼ばわりは失礼だろう。今や騎士団長様だからよ」


 二刀流使いが注意するが、お前呼ばわりされた当の本人はあまり気にしていないようだ。傭兵たちと楽しそうに酒を酌み交わしている。


「なぜ、騎士団長がこんなところに!?」


 やっと心の動揺が落ち着いてきたギダが再度聞き直す。


「いやー、俺たちもビックリしていたところだ。なんだって、さっき突然この酒場に現れてよ」


 斧使いが嬉しそうに話す。

 傭兵たちは誰もがシャスターの強さを充分に分かっている。だからこそ、フェルドからの帰路ではシャスターは傭兵たちから尊敬され、傭兵部隊に入ることを大歓迎されていた。傭兵隊の副隊長が決まった時、彼らは大いに喜んだのだ。


 しかし、残念ながらその後の色々な経緯によって騎士団の団長になってしまったが、それで彼らのシャスターに対する尊敬が失われたわけではない。今でもシャスターのことを仲間だと思っているのだ。


「この前みんなと一緒に飲みに行けなかったからさ。やっと一息ついたので酒場に来てみたんだ」


「嬉しいことを言ってくれるぜ、シャスター騎士団長様よ」


 斧使いはシャスターと肩を組むと、大ジョッキを一気に飲み干した。傭兵が騎士団長の肩を組むなどあってはならないことであるが、そんなことは誰も気にしていない。


「それにな、ギダ。今日は全て騎士団長様のおごりだ。気前が良いったらありゃしねぇ」


 斧使いの顔がギダに近づき、酒くさい息を吐く。


「しかもよ、俺たち傭兵隊だけじゃなく、この酒場にいる客全員分をおごってくださるのだぞ。みんなもう一度シャスター騎士団長様に乾杯!」


 その号令に従って酒場中のあちらこちらから「乾杯!」の声が復唱される。


 ギダは先ほどまで腕力のある傭兵たちだから他の客や店の従業員が文句を言えないと思っていたが違っていた。

 他の客たちはおごってくれる相手に対して感謝こそすれ、文句言うはずがない。

 店としてもどんどん注文してくれるシャスターはかなりの上客だ。大声で騒いでいても気にするはずもなかった。

 つまり、この酒場にいる全員がシャスターに好意的なのだ。


 金の使い方が上手いとギダは思った。この飲みが終わった後、傭兵たちは今まで以上にシャスターに対して好意的になる。そして、店にいる他の客たちも同じく好意的になるだろう。その客たちが帰宅後に今日の出来事を周りの人々に話す。

 するとどうなるか?

「新しい騎士団長は俺たち庶民に対してとても気さくで羽振りも良い」と噂になる。

 それだけで、シャスターの人気は上がるだろう。

 気に食わないがとても上手いやり方だ。ギダは感心せざるを得ない。



「それにしても、よく俺たちが酒場にいると分かりましたね」


 二刀流が不思議そうに聞いたが、シャスターは当たり前だという表情をしている。


「この前、みんな酒場にみんな消えて行っただろう。用がない時は飲んでいるといっていたし。だから今日も酒場かなと思ってね」


「なるほど、そこまで見通されているとは恐れ入りました」


 実際、傭兵隊の多くはフェルドから戻って来てから毎日酒場に入り浸っていた。シャスターの推理に誰も文句がつけようもなく、大笑いするだけだ。



 ギダは彼らと一緒に飲むことにした。こうなってしまったら、隠密行動どころではないからだ。

 ただ考えようによっては、これほどシャスターの身を守るのに安全な場所はないだろう。酔っているとはいえ、屈強な傭兵たちが周りにいれば、誰も迂闊に手出しは出来ない。少なくとも騎士団長室に一人でいるよりは何倍も安全だ。

 シャスターが城門を出る時、門番に最初何か聞いていたのは、傭兵たちが行きそうな酒場だったのだ。


(まさか、自分が狙われていることを知っていて、それを防ぐためにこの酒場に来たのか!?)


 であれば、この小僧はかなりのくせ者だ。さきほどの人心掌握といい、確かに油断ならない人物だ。

 エルマ隊長がくせ者と言っていた意味が、ようやくギダにも分かってきた。


 ギダはシャスターに悟られないよう一定の距離を置きながら観察することにした。

 シャスターが自分の身の安全のために酒場に来た、それは分かったが、ただそれだけのために来たとも考えにくい。おそらくは他にも目的……気前よく酒代をおごったことを考えると、例えば傭兵たちから傭兵隊のことやエルマ隊長のことを聞き出すためと考えると納得がいく。


 騎士団と傭兵隊は以前から仲が良くない、というより最悪な状況だ。だからこそ、騎士団のトップとしては相手の内情を知ることは重要なことなのである。

「そうに違いない」と確信したギダは、盗賊スキルの聞き耳を立ててシャスターの会話を拾うことに専念した。



 しかし、一時間経とうが二時間経とうが、エルマ隊長はおろか傭兵隊の話さえ出てこない。

 会話の大部分は傭兵たちが自分の武勇伝を代わる代わる話しているだけだ。それをシャスターは愉快そうに聞いている。


(なぜだ、なぜ何も聞き出さない?)


 ギダは理解に苦しんでいた。しかし、シャスターの行動は当然と言えば当然だった。

 そもそもギダはシャスターのことを過大評価していた。シャスターはただ騎士団長室にいてもやることもなく暇なので飲みに出かけただけなのだ。身の安全のために酒場に来たわけではない。気前よくおごったのも、数えきれないほどの金貨が手に入ったからそのうちの数枚を使ったにすぎない。別に傭兵隊の内情を聞き出すためではないのだ。



 結局、ギダが理解できぬまま、深夜遅くまで続いたシャスターの騎士団長就任祝いは終わりに近づいていった。


「それじゃ、シャスター様よ、これからも傭兵隊をよろしく頼みますぜ!」


「おいおい、それはお門違いだろう。シャスター様は騎士団の団長だぞ」


 どっと酒場中に大笑いが響き渡る。みんな酔っぱらっているので、思考回路が回っていない傭兵も多いのだ。


「まぁともかく、騎士団長様、これからもよろしくお願いします! なんせ傭兵隊と騎士団は犬猿の仲でして」


「え、そうなの?」


 二刀流使いの言葉にシャスターは一瞬驚いたが、確かに傭兵隊が騎士団よりも強くなった経緯を考えれば、少なくとも仲が良いとは考えにくい。


「しかし、シャスター様が騎士団長になったのだから、これからは互いの関係は良好になっていくだろうよ。なぁ、ギダよ」


「あ、あぁ……そうだな」


 急に振られたギダは曖昧に言葉を濁した。


「それじゃ、騎士団長様、これからも時々は俺たちと飲んでくれよ。騎士団長様ならいつでも大歓迎だぜ」


「ありがとう。これからも寄らせてもらうよ」


「その時はまた騎士団長様のおごりで」


 またもや酒場中が大爆笑に包まれる。そして、最後に全員でもう一度シャスターの騎士団長就任に乾杯をして、お開きとなった。



 みんなに別れを告げ、シャスターは城門に向かう。

 斧使いをはじめ何人かが城門まで警護すると申し出たが、シャスターは笑いながら断った。シャスターよりも彼らの方が酔っぱらっており、警護できる状態ではなかったからだ。


 シャスターも酔ってはいるがそこまで酷くなく、普通に歩いて城門まで向かった。もちろん、ギダも嫌々ながらも気付かれないよう尾行しながら警護している。

 そして、何事もなく城門にたどり着き、警備している騎士たちに敬礼されながら城門をくぐった。

 そのまま一直線に騎士団長室に向かい、着替えることなくベッドに倒れこむ。

 その数秒後には寝息をたてていた。



(まったく、いい気なもんだ)


 天井裏でギダは大きく舌打ちした。爆睡している人間に聞こえるはずがないと思ったからだ。

 ギダにとってはこれからが本番だ。寝ているシャスターを守らなくてはならない。酔っぱらって気持ちよさそうに寝ている姿を見ていると、ますます嫌気がさしてくる、というより殺したい衝動に襲われるが、ギダは本能を抑える。



 その時だった。



 騎士団長室の前の廊下で何かが倒れる音がした。

 その後に扉が静かに開く。


 暗殺者の登場だ。


 さきほど倒れた音は、扉の外で警護していた騎士たちが殺されて倒れた音だろう。騎士団長を暗殺するためなら、何の関係のない警護の騎士も殺す非情さだ。きっと全てを副騎士団長派のせいにするのだろう。


 ギダは天井裏からそっと部屋に降り立った。

 暗殺者はランプの灯を照らしているが、その視界に入らないようにギダは壁に沿って素早く動く。当然、暗殺者はギダには気付かない。

 だからこそ、暗殺者の行動は緩慢になっていた。あとはぐっすり寝ているシャスターを殺すだけの簡単な作業だからだ。


 暗殺者はランプを寝台に置くと短剣を両手で握る。そして短剣を大きく振りかざし、そのままシャスターの胸に突き刺した。


 いや、突き刺すはずだった。

 シャスターの胸からは赤い血が噴き出すはずだった。



 しかし、実際には暗殺者自身の胸から赤い血が噴き出している。


「……なぜだ?」


 何が起きたのか理解できないまま倒れこんだ暗殺者は、もがき苦しんでいたが、それもしばらくすると動かなくなった。

 暗殺者の後ろに回り込んだギダが、暗殺者がシャスターを襲う直前、背中に短剣を突き刺したのだ。鋭利な短剣は背中から胸にかけて貫通し、暗殺者の胸からは血が噴き出している。



 とりあえずは一件落着した。

 これでシャスターが再び騎士団長派に襲われることはしばらくないだろう。

 小さくため息をついたギダはそのまま闇夜に消えていった。



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