第七十二話 代々の口伝 2
「なんてことをしてくれたのだ!」
戻ってきて会議を再開するなり、ジギス王はホラトに怒号した。
しかし、ホラトは悪びれる様子もない。
「災いを取り除こうとしただけです。魔女と懇意にしていることを他国に知られれば、シュトラの信用が落ちてしまうでしょう」
「それは外交努力でどうにでもなるはずだ。それよりも信義を破る方がよほど問題だ!」
「魔女との信義なんてどうでもよいのです。シュトラの民の中にも、今回のジギス王の魔女との和平を快く思っていない者は多いのです。あなたは魔女とシュトラの民のどちらが大切なのですか?」
災いを呼ぶ魔女……そのような根も葉もない噂話が、シュトラの民の間で広まっていることは、ジギス王も知っていた。
「あなたは魔女を擁護していましたが、今回の件で魔女が危険だとよく分かったでしょう?」
「それは、お前が魔女の家族を殺したからだろう!」
「原因などどうでもよいのです。魔女が危険だということに変わりはありません。あなたはシュトラの部族王です。早く討伐隊を編成して魔女を討ち、この森にシュトラ王国を建国してください!」
会議の席でもホラトの意見に賛成を示す部族長が多い。やはり、魔女を嫌悪していた者は多いのだ。
こうなってしまっては、もう和平など結べないことはジギス王も承知していた。
こちらが一方的に約束を破って魔女の家族を殺したのだ。魔女が許すはずがない。
そもそも、もう一度和平を結ぶことをホラトたちが認めるはずもない。
ジギス王は改めて全員の顔を見渡し苦渋の決断をした。
「分かった……魔女と戦おう。討伐隊の編成はテオス、お前に任せる」
がっくりと肩を落としたジギスが部屋から退出する。それを見守っていたテオスも、部族長たちと笑い合っているホラトを横目で見ながら部屋から出ていった。
翌朝、部族長たちは驚愕の出来事に騒然としていた。
ホラトが何者かに殺されたからだ。
いつまでも起きてこないホラトを不審に思った従者が寝室に入ると、ベッドの上で胸から血を流して死んでいるホラトを見つけたのだ。
すぐさま殺した犯人の捜査が始まったが、全く手掛かりがない状況で誰もが困り果てていた。
そんな慌ただしい中、ジギス王はテオスを自分の部屋に呼んだ。
「お呼びでしょうか」
テオスが入ると、ジギス王は椅子に座ったままテオスに視線を向けた。
「ホラトを殺したのは誰だと思う?」
「誰だかは分かりませんが、ホラト殿を恨んでいる者も多いと聞きますし……」
「お前だな?」
「……」
テオスは言葉を続けることが出来なかった。
ジギス王に部屋に呼ばれた時、薄々こうなるとは分かっていたが、面と向かって犯人だと言われると、やはり言葉を失ってしまう。
特にそれが事実の場合は。
「お前に処分を与える」
ジギス王の冷静な声でテオスは観念した。
人殺しは重罪だ、特に殺した相手が重鎮となれば、いかにテオスが親衛隊長といえども死罪は免れないだろう。
しかし、テオスは後悔していなかった。
ホラトが死んだことによって、反対勢力は事実上壊滅したからだ。今後ジギス王が国策を進めていく上での問題は大幅に少なくなるはずだ。
これでいつも苦しんでいたジギス王を解放できる、死を目の前にしてもテオスの心は晴れていた。
「どのような処分でも甘んじてお受けします」
「そうか……では、お前の親衛隊長の任を解き、新たにつくられるシュトラ騎士団の騎士団長に就くことを命じる」
「……!?」
テオスは主君の前で茫然とした。
てっきり死罪だと思っていたのに、逆に栄転を命じられたのだ。茫然としても仕方がないが、すぐに正気に戻ったテオスが非礼を詫びた。
「大変失礼しました。死罪かと思っていましたので」
「死罪がいいのか?」
「あ……いえ、そんなことはありませんが……」
「冗談だ。しかし騎士団長の話は本当だ。魔女との戦いに備えて、今まで各部族から集めていた兵士を騎士団として一つに編成することにした。その団長をお前に任せたい」
なるほど妙案だとテオスは思った。
今まで戦いの際は、各部族から兵士を出してもらっていたが、それを騎士団として一つにまとめるということだ。
武力の中央集権化が進み、シュトラ王国が建国された際にはジギス王の力は確固たるものになるだろう。
ただ、だからこそ今まで実現をしなかったのだ。部族長たち、特にホラトの反対にあって、騎士団設立は見送られてきたのだ。
しかしホラトは死んだ。もうあからさまに反対する者はいないのだ。
「ありがたいお話ですが、私は……」
「それ以上は言うな!」
テオスの言葉をジギス王は遮った。
「今回のお前の行動は道徳的に考えれば、批判されるものだ。しかし、これから始まるシュトラ王国にとっては有難いことだったのだ」
「……」
「当然だが、俺はお前を褒め称えることはできない。だからこそ行動で示す」
そう言うと、ジギス王は椅子から立ち上がり、テオスに深々と頭を下げた。その行動だけでテオスには充分だった。自然と涙が溢れてくる。
「俺はこの真実を今後、誰にも言わない。妻を娶り子が生まれても話すつもりはない。政治の駆け引きに使われたくないからな。だが、この真実を知っておいてもらいたいという気持ちもある。今更だが、俺は本当に魔女ディネスと和平を望んでいた。しかし、このままでは国の正史にはジギス王と魔女が決裂して戦いになったと書かれるはずだ」
ジギス王は体面を気にしているのではない。
本当のことを話したら、ホラトが行った魔女への卑劣な行為を曝け出したら、それこそ再び部族が分裂してしまう。
長年のシュトラの民の願いである部族統一が、もう二度と叶わなくなってしまうかもしれない。
魔女への償いとシュトラの統一を天秤に掛けた時、ジギス王の立場では後者しか選択することができないのだ。
それでも本当の真実を残したい気持ちも強い。
矛盾しているのは重々承知だが、王としての立場と人として良心がジギス王の心の中で葛藤をしているのだ。
それを痛いほど分かっていたテオスは一つの提案をした。
「私も誰にも話すつもりはありませんが、代々の騎士団長にだけに真実を口伝していきたいと思います」
騎士団長には心技体が備わっている者がなるべきだとテオスは思っていた。
そのような者たちなら、この真実を決して口外しないだろう。
書物には残すことはできない本当の真実。
それを口伝として一人だけに伝えていくこと。
それが何を意味を成すのかも分からない。
いや、何の意味をなさない可能性の方が高いだろう。
非道な行為をした自分たちの心の平安のための免罪符だと、後ろ指をさされたとしても何も言い返すことはできない。
それに勝手なことを決めた二人を魔女は絶対に許さないだろう。
それでも、ジギス王もテオスも前に進むしかないのだ。
「俺たちの進む道は多くの者たちを犠牲にしてできた茨の道だ。それでも、ついて来てくれるか?」
「はっ!」
固い絆で結ばれた二人は、後戻りできなくなった魔女ディネスとの戦いに身を投じていくのだった。




