第六十八話 シュトラと魔女
魔女ディネスはこの森が好きだった。
ここに移り住んでから十年、愛する夫との間に二人の子供をもうけることもできた。
一般的に魔女は町や村には住まない。
人々からあまり良く思われていないし、下手をすれば迫害されたりすることも多々あるからだ。だから魔女は人里離れた場所に住んでいる。
ディネスも十年前に誰もいないこの広大な森に移り住んでいた。
また魔女は生活のために時々外に出て自分で作った物を売ったりしている。
ディネスも薬草を煎じて作った薬を年に数度、町や村に出向いて売っていた。
その時に知り合ったのがロイであった。
魔女を好きになる変わり者、でも心から自分のことを愛してくれているロイにディネスも心惹かれた。
そして二人は結婚したのだが、魔女と結婚したことによって夫であるロイは町を追われた。
彼の住んでいた町でも魔女は忌み者と思われており、結婚などもってのほかだったからだ。
「キミと一緒なら僕は幸せだよ」
そう言ってくれるロイが嬉しかった。
それからしばらく放浪していた二人がようやく見つけたのが、この森だったのだ。
二人は広大な森の中心に小さな家を建てて住み始めた。
深き森の中心なら他の人と関わることがないと思ったからだ。
森は薬草の宝庫だった。ディネスは薬草から色々な薬を作り、それを時々町や村に売りに出掛けることで生計を立てていた。
ロイは猟をしたり畑を耕したりして全ての家事をしてくれる。それに甘えながらもディネスは魔法の研究に没頭していた。
さらに子供を二人授かり、ディネスは幸せの時を過ごしていた。
それから十年後、ディネスの家に男が訪問してきた。
「シュトラの民の部族王ジギスです。単刀直入に申すが、この森を我々に譲って頂きたい。この地にシュトラの国を建国したいのです」
生真面目な表情でジギスはディネスに頭を下げたが、元々この森はディネスのものでもない。
そんな許可は要らないと、ディネスは笑ってジギスに応じたが、一つだけ願いを申し出た。
「この広大な森は魔物が生息していないせいか、動植物の宝庫となっています。この森をむやみに破壊することだけはやめてください」
その願いをジギスは快く受け入れた。
安心したディネスはこの森から他の場所に移り住もうとしたが、それをジギスが止めた。
「貴女たちはこのままここに住んでください。この付近は貴女の自治として、我々は手出ししないようにします」
その提案はディネスにとって嬉しいものであった。大好きな森から離れなくても良いのだ。
「ありがとうございます」
ディネスは感謝の意として頭を下げると、今度はジギスが願い事を申し出た。
「こちらもお願いがあります。貴女の作った薬はとても評判が良いと聞いています。できれば、我々にも販売して欲しいのだが」
「もちろんです」
ここに、ジギスとディネスの友好関係が結ばれたのだ。
全く想像していなかった展開に、カリンの頭は混乱していた。
「えっ!? それじゃ、なんでこんなことに……」
ディネスの話が本当なら、シュトラ王国と魔女ディネスの関係は良好だったはずだ。
呪いなどとは無縁のはずなのに、どうして変わってしまったのか。
「それはジギスが裏切ったからだ」
魔女はその時のことを思い出すと、怒りが込み上げてくる。
友好関係が結ばれてから数日後、ディネスは遠くの町や村に薬を売るために出掛けていた。
シュトラ王家が買い取ってくれるようになれば、もうわざわざ遠くの町や村まで行く必要がないのだが、ディネスの薬を必要としている人々もいるのだ。
「今回は往復で二週間、予定より少し日数が掛かってしまったわね」
ディネスは久しぶりの我が家に着いた。
そこで異変に気付く。
むせる様な血の匂いが家の中から漂ってきたからだ。
不安になったディネスの思いっきり扉を開ける。
「ロイ、バルス、エラ!」
ディネスは夫と二人の子供の名を叫んだが、返事はなかった。
代わりに足元には、血に塗れた三人の死体が転がっていた。
三人の死体がディネスの愛する家族だと理解した時、ディネスはありったけの声を張り上げた。
それと同時だった。
家の中に無数の火矢が打ち込まれ、家が一気に燃え上がる。
ディネスは三人の死体を引き摺りながら、急いで扉から外に出た。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
何が起きているのか理解できないディネスは、一気に疲れが出て地面にへたり込む。
そんなディネスの肩に激痛が走った。彼女の肩に矢が突き刺さったのだ。
「少し的を外してしまったようだな」
ディネスは苦痛を我慢しながら声がするほうを向く。そこには見知った顔があった。
「お前は確か、ジギス王の側近、ホラト!」
ジギス王と会った時に、王の後ろにいた側近の一人だ。
「ほぉ、俺のことを覚えているとは嬉しいねぇ」
ホラトと呼ばれた男はニヤけた。
「なぜ、こんな酷いことを?」
「決まっているだろう、ジギス王のご命令だ」
「なっ!?」
ディネスは驚きのあまり言葉が詰まってしまった。
そんなディネスを哀れんで、ホラトは説明した。
「魔女との友好関係など、嘘に決まっているだろ。俺たちは最初からこの森を焼き払って開拓するのが目的だ。森を守ろうとしているお前は邪魔なんだよ」
「それじゃ、ジギス王との約束は……」
「だから、嘘だと言っているだろ! あんな口約束に騙されるとは馬鹿な魔女だな」
ホラトは高らかに笑った。
「お前もすぐに夫と子供のところへ連れていってやる」
ホラトは弓を構えた。この至近距離ならば外れることはない。
「死ね!」
ホラトは矢を射った。
矢は直線上にいるディネスに突き刺さる……はずだった。
しかし、突き刺さったのは、ディネスの夫だった。
矢が射られた瞬間、死んでいたロイが立ち上がり、ディネスの前で壁となっている。
「ばか、な……、この男は、死んだはず……」
死んだ人間が立ち上がって動き出す……ホラトは恐ろしさのあまり後ずさりした。
さらに矢が胸に突き刺さった状態でも、ロイはホラトに向かって歩き続ける。
「な、な、何をしている! お前たちも射ろ!」
ホラトの号令とともに、無数の矢がロイに突き刺さる。しかし、それでもロイは倒れないで歩き続ける。
しかも、夫のロイだけではない、息子のバルスと娘のエラも起き上がって歩き始めたのだ。
「ば、ば、化物……」
ホラトたちには恐怖でしかなかった。慌ててその場から逃げ出そうとする。
しかし、次の瞬間、ロイ、バルス、エラの動きが急に素早くなる。三人は走り出すと、次々に兵士たちを襲い始めた。兵士たちの腕や足、首などに噛みつき兵士を殺していく。
百人ほどいた兵士は、瞬く間に半数が殺されてしまった。
このままでは全滅だ。
ホラトは一旦撤退を命令しようとした。すると、またしても信じられないことが起きた。
死んだ兵士たちが、次々と起き上がっているのだ。
ホラトは目を疑った。
しかし、目の前で起きていることは事実だった。
さらに死んだはずの兵士たちが、今度は仲間を襲い始めた。
「ど、ど、どうなっているのだ!?」
「魔女ディネスは死霊使いだったということだ」
ホラトの疑問に答えたのは、ここにいるはずがない人物だった。
ホラトは口を大きく開けて、突然現れた人物に驚いている。
「あの化物たちはゾンビだろう。ゾンビに噛まれると、その者もゾンビになる。いいか、奴らに絶対に噛まれるな!」
「おぉー!」
現れた人物が連れてきた兵士たちが歓声を上げた。
その人物こそ、ジギス王だった。
「ジギス、ジギス、ジギス……」
ディネスはジギスを見つけると、彼の名を何度も叫び始めた。
常軌を逸した行為にジギスは一瞬怯んだが、すぐに新たな行動に移す。
「狙うは魔女ディネスだけだ。彼女を殺せば、アンデッドは自然に消滅する。いいか、ディネスだけを狙え!」
ジギスの号令と共に兵士たちは剣を握りしめ突進する。
しかし、想像以上にアンデッドの壁は厚かった。逆に一人、また一人とアンデッドに倒されていく。
「この兵力では敵わぬか……」
「ここは一旦引きましょう」
ホラトが提言する。ジギスはホラトを睨みつけたが、その提言に乗るしかなかった。
「撤退だ!」
ジギスは馬に乗り込むと、そのまま走り去った。
その後ろをホラトたちも追いかける。
「逃すな、ジギスを殺せ!」
魔女ディネスは叫ぶが、さすがに馬の速さには敵わない。
口から血が出るほど歯ぎしりをして悔しがったディネスだったが、ジギスが見えなくなるのと同時に張り詰めていた糸が切れたかのようにその場に崩れ落ちた。
「ロイ、バルス、エラ、ごめんね」
泣きじゃくったディネスは、ゾンビになった三人に火を放った。三人はそのまま燃え上がる。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね……」
「今までありがとう」
「!?」
燃え上がる炎の中から声が聞こえた気がした。
そんなはずはない。ゾンビは声が出ないし、そもそも自我がない。
ディネスはそら耳だと分かっていても、泣きながら燃えている炎に向かって話しかけた。
「みんなの仇を絶対取るからね。ジギスを必ず殺すから!」
三人の前で誓いを立てたディネスは、ゾンビになった兵士たちを引き連れて、ジギスの所へ向かい始めた。
それから一年にもわたるシュトラ軍と魔女ディネス軍との戦いが始まる。




