第六十五話 二つの正義(カリンの時間旅13)
アンデッド化を食い止める術は、もはやない。
アークスの表情が一瞬歪んだ、その時だった。
遠くから誰かが走ってくる足音が、聞こえてきたのだ。
「ネズミが一匹迷い込んできたらしいの」
「ガイムか……女王陛下、ここは私に任せて頂きたい。鎖の拘束」
アークスが詠唱すると、魔女は鎖で縛られてしまった。魔女は抵抗することもなく床に倒れた。
「防御壁」
さらにアークスは詠唱した。
今度の防御壁は女王の部屋の中だけを守る小さなバリアだ。
その直後だった。
荒く息を切らせたガイムが、扉を思いっきり開けて入ってきたのだ。
「アークス!!」
ガイムの視線はアークスを捉え、同時に床に倒れて苦しんでいるエミリナ女王を捉えた。
「貴様―! エミリナ女王に何をした!?」
ガイムは剣を抜くと、アークスに斬りかかった。
しかし、この部屋に張られているバリアのせいで、ガイムはアークスに指一本触れることができない。
「慌てるな、ガイム。エミリナ女王は無事だ。苦しんでいるのは一時的な発作のようなものだ。この防御壁の中では影響はない」
アークスは魔女をちらっと見つめた。苦しいはずがない。魔女は二人の出会いが最悪になるよう楽しんでいるだけなのだ。
「やはり、死の薬をばら撒いたのは貴様か!」
「死の薬? ……あぁ、あれのことか。あれは爆発的な勢いでシュトラ王国中に空気感染する」
「なんだと!」
「今夜中にシュトラの全国民が死に絶えるということだ」
アークスは先ほど魔女から聞いたことをガイムに伝えた。
(何を言っちゃっているのよ!? アークス!)
アークスのあまりにも冷たい態度に、カリンは怒りすら覚えていた。
(正直に事実をガイムさんに話して、二人で魔女を倒せばいいじゃない……あっ!)
そこで初めてカリンはアークスの意図に気付いた。
今ここで真実を話したら、魔女がこの場で裏切り者のアークスを殺してしまう可能性が高い。
仮にそうならないで、ガイムと二人で魔女に対峙したとしても、魔女の身体はエミリナ女王だ。傷付けることはできない。
つまり、戦うにしても手も足も出ないのだ。
(アークス……)
しかし、当然ながらガイムはそんなことを知る由もない。
「貴様! シュトラの国民を何だと思っているのだ」
ガイムはアークスに向けた怒りを何度も何度もバリアに向けて斬りつけた。
「そんなことをしても防御壁は破られぬ。それよりも自分のことを心配した方が良いのではないか?」
「何だと?」
(ガイムさん!?)
カリンも驚いた。
いつの間にか、ガイムの身体が床に倒れ、幽体となったガイムだけがバリアを斬り続けていたのだ。
「何だ! これは!?」
当然ガイムも驚いた。
「なぜ……、私の身体が足元に倒れているのだ……? まさか、私は……」
「お前はすでに死んでゴーストになったのだ。怒りに我を忘れて、ゴーストになったことさえ気付かずにいたようだな」
アークスは苦笑した。
しかし、アークスの後ろ姿を見ていたカリンは気付いた。彼の肩が少しだけ震えたことを、その震えを止めるために力強く腕を組んでいることを。
アークスは苦しんでいるのだ。
(ガイムの死を一番悲しんでいるのは、アークスなのね)
それなのに魔女に気付かれぬよう、敢えて敵対する行為を取るしかないのだ。
カリンは今見ている光景を以前ガイムが見せてくれた指輪の映像で見ていた。
あの時はガイムの視点から映されたものだったから、エミリナ女王を監禁して国民をアンデッドにしたアークスのあまりにも残酷な行為を絶対に許せないと思っていた。
しかし、アークスの視点から見ると、全く真実は違うことが分かる。
アークスはどんな汚名を着てでも、エミリナ女王を守ろうとしているのだ。
(アークス……)
カリンは辛い気持ちになりながら、アークスの後ろ姿を見続けた。
同じ視線でも魔女はアークスの心境に気付いていないだろう。なぜなら、魔女は嬉々として二人の戦いを楽しんでいたからだ。
「お前が言っていた『死の薬』だが、正式には『死んでアンデッドになる薬』だ。ただ殆どの者が自我の無いアンデッドになるのだが、さすが騎士団長だ。見事、自我のあるゴーストになったのだな」
「ふざけるな! 国を奪いたいのなら実力で奪えばいいだろう。何故、国民を殺す必要がある?」
「死人の国をつくりたいからさ」
そんなものアークスはつくりたいはずがない。
全てはエミリナ女王を救うための方便だ。
「アークス、お前は絶対に許さない!」
ガイムが叫んだ、その時だった。
ガイムもアークスも、そしてカリンも驚愕することが起きた。
「ガ……イム……」
エミリナ女王の口から声が溢れたのだ。
「エミリナ女王、ご無事でしたか!」
ガイムは剣を下ろしひざまずく。意識が戻ったのだろう。
ガイムは歓喜の驚きだったが、アークスとカリンは違う意味で驚いていた。
この声は魔女ではなく、本物のエミリナ女王の声だったからだ。
「エミリナ女王……」
驚いているアークスの横で、エミリナ女王は上半身をゆっくりと立ち上げた。
「ガイム……」
「はっ!」
「おねがい……たす……けて」
その言葉を聞いた瞬間、ガイムは行動に移っていた。再び剣を握ると防御壁を破壊し始めたのだ。
「エミリナ女王、もうしばらくお待ち下さい。このガイムが必ずお助けします!」
「無駄だと言っているのが分からぬのか!」
アークスが叫ぶ。
彼にとっても魔女を払い除けられるチャンスなのだ。ガイムに邪魔されたくはない。
どうすれば良いのか考えている間に、エミリナ女王がガイムにペンダントを投げ渡したが、それを防ぐ余裕はアークスにはなかった。
アークスはエミリナ女王の額に手を当てると、小声で呪文を唱える。
「睡眠」
眠りの神聖魔法だ。
アークスはエミリナ女王を眠らせようとした。エミリナ女王が眠るということは魔女も眠るということだ。
眠らせた後で魔女を追い出す方法を考えようとしているのだろう。
しかし、このままでは……。
(私も寝てしまうわ)
カリンは必死になって抵抗するが、無理だった。
徐々にカリンも眠りの淵に落ちていく。
しかし、その時再びエミリナ女王の声が聞こえたのだ。
(ガイム、おねがい……)
(シュトラの民を……たすけて……)
(そして、私を……)
エミリナ女王の最後の言葉を聞いて、カリンは愕然とし、そのまま意識を失った。
(私を……殺して……)




