第六十三話 ひとりだけの反乱(カリンの時間旅11)
エミリナには何が起きたのか分からないでいた。
しかし、カリンにはよく分かる。
(間違いない。奥の間全体を覆う巨大な防御壁、その中に私たちはいるんだわ)
「アークス、何をしたの!?」
何が起きたのか分からないが、何かが起きたことはエミリナにも分かった。
そして、それをアークスが行ったということも、それが良くないことだということも分かっていた。
だが、心配そうに見つめるエミリナにアークスは優しく微笑む。
「エミリナ様、最後まで王家に縛られることはありません。ひとりの女性として残りの命を精一杯、自由に生きてください」
「待って! そんなことをしたら、あなたが反逆者になってしまうわ!」
エミリナもまたアークスと長く一緒にいた分、彼の言葉を聞いて何をしようとしているのかが分かってしまった。
エミリナは必死になって止めさせようとするが、病み上がりの身体はまだ思い通りに動かない。
「私のことはいいのです。貴女と一緒に過ごせただけで幸せでした。今度は私がそのご恩をお返しする番です」
「待って、アークス! 駄目、私のためなんかに……」
泣きじゃくるエミリナの涙をハンカチで拭うと、アークスはもう一度だけ優しく笑った。
「貴女の悲しみや苦しみに比べれば、私が受ける汚名など大したことではありません。気になさらないでください」
「アークス……」
「しばらくの間、この部屋で辛抱していてください。必ずエミリナ様をここから逃して差し上げますから」
アークスは背を向けると、部屋から出ていった。反乱を起こしたことを宣言しに向かうのだろう。
「アークス、アークス……、アークスのバカ!!」
エミリナの心からの悲痛な叫び声は部屋中に虚しく響き渡るだけだった。
結局、その夜アークスはエミリナの元に戻ってくることはなかった。
そして、次の日もその次の日も現れなかった。
エミリナはずっとベッドで寝ていた。微熱が再発したからだ。
エミリナの部屋には非常用の食料が用意してある。それらを食べて薬を飲んでいるが、それでも身体は怠いし起き上がるのも一苦労だった。
アークスが研究していた魔女の呪いを抑える神聖魔法のおかげで、左肩の赤い模様はまだ薄いままだ。
一週間という死への期限を少しは延ばすことができているようだが、それでももう長くないことが感覚で分かる。
しかし、今はそんなことを言っている場合にはではない。
「アークスを止めなくちゃ!」
アークスはエミリナのためにクーデターを起こした。
だったら、今度はエミリナがアークスを止めないといけないと思ったのだ。
動かない身体を無理やり動かして起き上がったエミリナは、ベッドから降りるとよろめきながらも歩き出す。
そして扉に手をかけて部屋を出た。
その時だった。
突然、頭の中に声が響いてきたのだ。
『エ……リナ……』
「誰!?」
エミリナは直接頭に響いてきた声に驚く。
もちろんカリンではない。カリンも突然のことで驚いていた。
その声はとても小さく聞き取れなかった。
しかし、確実に声はしたのだ。
エミリナでもカリンの声でもない、第三者の声だった。
『エミリナ……』
今度はしっかりとその声が聞こえた。
それと同時にカリンに緊張が走った。その声を聞いたことがあったからだ。
重く暗い地の底から聞こえてくるような、その声の主は……魔女だった。
エミリナの頭の中で、魔女の声はどんどん大きくなっていく。
『エミリナおいで、エミリナおいで……』
すると、エミリナは声のする方へ歩き出した。
その声に導かれているように迷いもなく歩いている。
まるで自我を失った操り人形のようだ。
(エミリナ女王!?)
まさか、魔女の壺が置いてある部屋に行こうとしているのか。
(エミリナ女王、駄目よ!)
カリンは必死になって止めようとするが、当然カリンの声はエミリナには届いていない。
エミリナはふらつきながらも、やっと封印された魔女の壺が置いてある部屋の前にたどり着いた。
片手をかざすと扉が開く。
『そのまま階段を降りてくるのだ』
エミリナは従うがまま、螺旋階段をゆっくりと降りていく。
『最後の子孫に封印を解かれるとは、ジギスも哀れな男よ』
魔女は甲高い声で笑った。
この四百年間の恨みを晴らそうとしているかのようだ。
そして、ついにエミリナは階段を降りた。
目の間には魔女の壺が置いてある。
『さぁ、エミリナよ、壺の封印を解くのだ!』
(絶対に開けちゃ駄目!)
しかし、エミリナは壺の上を覆っている蓋に手を掛けた。
(やめて、エミリナ女王!)
カリンは必死になって叫ぶが、壺の蓋はエミリナの手によって少しずつ開いていく。
そして、カリンの叫びも虚しく、ついに魔女の壺の封印が解かれた。




