第五十四話 エミリナのカリン(カリンの時間旅2)
カリンはしばらくの間、手鏡を見ながら呆然としていたが、ふと我に帰ると、頭の中を整理しはじめた。
この状況は異常だ。しかも、彼らが異常なのではない、カリン自身の身に異常なことが起きているのだ。
それを確かめるために、カリンは女性たちに質問をする。
「あのー、ここはもしかして、シュトラ王国ですか?」
「はい。シュトラ王国の王都エアトですよ、姫さま」
女性たちは真面目に答えた。
普通ならばおかしい質問だと思うはずだが、今のカリンは記憶障害を起こしている。だから、彼女たちは怪しむこともなく丁寧に答えてくれる。
カリンはさらに質問を続けた。
「ちなみに今は大陸歴何年ですか?」
「大陸暦三八七七年、シュトラ暦四二五年の九月です」
その年暦はカリンがいた時代よりも百十八年も前のことだ。
カリンは確信した。
ここは過去の時代、まだシュトラ王国が滅びる前の時代なのだ。
どういうわけか、カリンは過去に来てしまったのだ。
そんなことが現実にあり得るはずがないと思ったカリンだったが、実際に目の前の光景は非現実を受け入れるしかない状況だ。
しかも、それだけでない。
「やはり、私はエミリナ姫……ですよね?」
「はい、もちろんでございます。私たちは姫さまの侍女です」
やっと理解してくれたと思った侍女がニコッと笑う。
それとは真逆に、カリンの気持ちは混乱していた。
「そうですよね……それ以外、考えられませんよね」
カリンはもう一度手鏡を見ながらため息をついた。
過去に飛ばされただけではなく、エミリナ女王になってしまっているのだ。
いいや、正確に言えば、エミリナ女王の幼少期でまだエミリナ姫なのだが、そんなことはどうでもいい。
カリンがエミリナ自身になっていることが異常な状況なのだ。
常識を軽く超えてしまっている状況だったが、カリンは何故こうなってしまったのか、その原因を考えることを止めた。
考えても答えが見つかるはずがないからだ。
ただ一つ言えることは、この状況は何者かが仕組んだということだ。
そうでなければ、シュトラ王国の滅びる少し前の時代に、しかもエミリナ女王自身になるなど、そんな異常なことが重なって起こるはずがない。
何者かによって意図的に仕組まれた、そうカリンは確信していた。
それであれば、悲観していても始まらない。この状況を活かして、シュトラ王国を知るために積極的に行動するまでだ。
「さっきの若い騎士さんは本物のガイムさんですよね?」
「本物も何も、ガイム様はおひとりだけですわ」
侍女が軽く笑う。続けて他の侍女が口を開いた。
「ガイム様は十八歳という若さで、すでに分団長を務めています。将来は騎士団長の呼び声も高い、実力の持ち主ですわ。だからこそ、姫さまの剣術の指南役に大抜擢をされたのでしょう」
「私の指南役?」
「はい。先ほどまで中庭で、姫さまは剣術の稽古をされていたのですよ。ところが、突然姫さまが倒れられて、ここに運び込まれたのです」
そういうことだったのかと、カリンは納得した。
きっとエミリナ姫が倒れた時に、カリンの心が入り込んだのだ。あるいは、カリンの心が入り込んでしまい倒れたのか。
どちらかは分からないが、その時点から、この時代のカリンの時間が動き出していた。
「姫さまとガイム様はちょうど十歳、歳が離れています。一人っ子の姫さまは、ガイム様を兄のように慕っているのですよ」
「ですから姫さま、この度の件につきまして、ガイム様にお咎めなきよう、国王様にお伝えして頂けるようにお願い致します」
剣術の稽古中にエミリナ姫が倒れたとなれば、ガイムが責任を取らせる可能性は高い。指南役を降ろされる程度ならまだ良いが、騎士の称号を剥奪などとなってしまったら大変なことになる。
召使たちの懇願を当然受け入れることにしたカリンは、自分の年齢も知ることができた。
(八歳か、どおりで身体が小さいわけよね)
カリンは苦笑したが、残されたタイムリミットも同時に分かった。
エミリナ女王が即位するのが、十年後の十八歳の時。
そしてアークスがクーデターを起こすのが、さらに二年後の二十歳を過ぎた後だ。
「そういえば、アークスっていう少年が神殿に仕えているのを知っている?」
アークスは神官長になったのも、かなり若かったはずだ。もしかしたら、まだこの時代には現れていないのかもしれない。
カリンは取りあえず尋ねてみたが、意外な答えが返ってきた。
「姫さま、それも忘れてしまわれたのですか?」
「ん……どういうこと?」
「姫さまの家庭教師がアークス様ですよ」
「えっ!!」
これにはカリンも驚いた。
アークスがエミリナ女王の家庭教師をしていたことは知っていたが、まさか幼少の頃から教えていたとは思わなかったのだ。
「アークス様もまた十二歳という若さで、すでに上級神官になられているほどの優秀な方です。姫さまと年齢も近いということで家庭教師をしています」
「なるほど……」
「午前中はガイム様と剣術の稽古をし、午後はアークス様と勉強をする。これが姫さまの毎日の日課です」
エミリナ姫を教えているということは、それだけ国王の信任も厚いのだろう。まさに、シュトラ王国の次世代を担う二人だった。
それにしても、毎日毎日が稽古と勉強の日々なんて、姫って大変だなぁと、カリンはエミリナに同情したが、ふとあることに気付く。
(もしかして……まさか! 私自身が稽古と勉強をするの!?)
その事実を知り、カリンはがっくりと肩を落とした。




