第四十八話 想像上の脅威
王城を破壊するほどの巨大な魔物、その魔物の名前をカリンは知っていた。
「あ、あれは……、ドラゴン?」
「おっ! よく知っているね」
シャスターに褒められたが、ドラゴンを知っていたところで嬉しくもなんともない。
それに知識として知っているだけで、見るのは初めてだった。というよりも、本当に存在することさえ、カリンは信じていなかった。
子供の頃、祖父が読んでくれた絵本の中に、ドラゴンは出てきた。
いくつもの町や村を破壊して、悪行のかぎりを尽くすドラゴン、しかし最後には勇者によって倒されてしまうという話だった。
子供ながらにカリンは、大きくて強くて残忍なドラゴンが怖くて仕方がなかった。
それが今、現実に目の前に現れているのだ。
想像上だと思っていた魔物がいるのだ。
カリンの震えが止まらないのも仕方がないだろう。
しかし、今までの経験で中で、カリンの精神力はたくましく成長していた。この状況下でも、心ではなく頭では冷静に分析をする。
「でも、私が絵本で見たドラゴンとは少し違う。と、いうより……」
「うん。あれはボーンドラゴン、骨だけになったドラゴンさ」
「それじゃ、ドラゴンのアンデッド?」
「ほお、理解が早いね! アンデッドのスケルトンと同じで自我を失っているドラゴンさ。もちろん人間のスケルトンよりも桁違いに強いけどね」
ドラゴンのアンデッドとはどれ程の強さなのだろう、大広場に建っていた時計台よりも大きいドラゴンを見つめながら、カリンは冷や汗をかいていた。
「逃げましょう」
カリンの判断は的確だし、間違ってはいない。しかし、残念ながら逃げ出すことは無理だった。
すでにシャスターとカリンは、ボーンドラゴンの視界に認識されていたからだ。
ボーンドラゴンはギラついた赤い眼で二人を睨みつけると、地響きをたてながら近づいてくる。
「誰かに操られているみたいだね」
そうでなければ、ドラゴンほどの巨大な生物が小さな人間に気付くはずがない。
「それって、あの偽者の女王?」
カリンが答えたが、それが正しいだろう。
女王が「死ぬがよい」と言った直後に、ボーンドラゴンが現れたからだ。
しかし、そうなるとシュトラ王国の民をアンデッドに変えたのは、アークスではないということになるのだが……。
「シャスター、逃げて!」
ボーンドラゴンの前脚が、考えごとをしていたシャスターに襲いかかる。
間一髪のところで避けたシャスターだったが、その風圧で遠くまで吹き飛ばされてしまった。
「痛たたたた」
瓦礫の山に突っ込んだシャスターは、埃を払いながら立ち上がる。上手く受け身を取ったので幸いなことに怪我はしていない。
「大丈夫―?」
遠くからカリンが心配そうに叫んでいるので、シャスターは手を振って無事なことをアピールする。
「カリンはさ、そこから城門の外に出て避難して。防御壁を忘れずに!」
「分かったー!」
そう叫ぶとカリンは城門を抜けて城下町の方へ走り去った。ここに居ても自分は足手まといになる、邪魔になるだけだとカリンは分をわきまえていた。
カリンが城門過ぎたことを確認すると、シャスターはドラゴンの前に立った。
「ボーンドラゴンの攻撃を避けるとは……さすがです」
ドラゴンの首の上に立っている人物がいる。
アークスだった。
「まぁ、なんとかね。ところで、女王が来るかと思ったけど」
「女王はご自身の部屋に戻られました。後のことを私に任せて」
「ふぅーん、それであんたが俺と戦うことにしたの?」
「シャスター様には申し訳ありませんが、それが女王の御命令ですので」
またも突然、ボーンドラゴンが前脚で襲ってきた。しかし、今度はシャスターも防御を取っていたので避けても飛ばされずに済んだ。
「その忠誠心からして、カリンには悪いけど、あの女王様は本物だね」
「当然です」
「中身が違っていても?」
「……」
今度はボーンドラゴンの尻尾が、まるでしなった鞭のようにシャスターに飛んでくる。
しかし、シャスターはまたも避けた。避けられた尻尾はそのままの勢いで城門を破壊する。
「あなたが何をおっしゃりたいのかは分かりませんが、私は最初から女王の忠実なる臣下です」
「ガイムが見せてくれた映像だと、エミリナ女王を拉致したあんたが悪の張本人だったけど?」
「主観的な見方によって、事実は変わってくるものです」
「確かに」
アークスの視点とガイムの視点では、同じ現象でも真逆になっている。そして、そこにはエミリナ女王が大きく関わっているのだ。
「さて、話はこの位にして、そろそろ勝負を決めたいと思います」
アークスが合図をすると、ボーンドラゴンは口を大きく開いた。
「アンデッドとはいえ、このドラゴンはレベルが三十以上あります。いくら、あなたでも勝つことは至難でしょう。もう一度言いますが、おとなしく森から出て行ってはくれないでしょうか? そうして頂けるのであれば、これ以上追うことはしません」
「それで、女王の怒りが収まると思う?」
「無理でしょう。しかし、そこは私がなんとか致します」
「断るよ」
提案したアークスとしては破格の条件だったに違いない。しかし、シャスターは悩むことさえせずに速攻で答えた。
「どうしてですか? この森から無事に脱出することが出来るのですよ」
「でもさ、ガイムとの約束があるからね。エミリナ女王を助けてあげないと」
「……そうですか、分かりました」
次の瞬間、ボーンドラゴンが口から炎を吐いた。
巨大な炎がまるで流れ落ちる滝のように襲いかかる。シャスターは避ける間もなく、炎の滝に飲み込まれてしまった。
炎の滝を見つめながら、アークスは悲しそうな表情をしながら呟く。
「ドラゴン特有のスキル、火炎の息です。魔法体系とは異なる炎では、さすがのあなたも防ぐことはできないでしょう。炎を司るイオ魔法学院の後継者が炎によって殺される、なんとも皮肉な結果になってしまいました」
それでもアークスは万全を期して、ボーンドラゴンにしばらくの間、炎を吐き続けさせた。
さらに数分が経った後、アークスは炎を止めた。
もう充分だと思ったからだ。
「かわいそうに。これ程の炎を浴びれば、跡形もなく焼失してしまったでしょう」
死者への手向として目を閉じていたアークスは、炎を止め終わるとゆっくりと目を開く。
炎が燃え盛っていた跡には何も無い……。
はず……。
それなのに……。
「な、なぜ……」
アークスはそれ以上、言葉が続かなかった。あり得ない場所に、あり得ない人物が立っていたからだ。
もちろん、それはシャスターだった。




