一緒に出掛けることになりました
明るい光が部屋に入り込み、アレクサンドラはそれなりに快適な朝を迎えた。昨夜のようないつもとは違うことがあったにもかかわず、ぐっすりと寝られてしまったことに思わず笑う。
「おはようございます。お嬢さま、お目覚めでしょうか」
ライカが扉の外から、遠慮がちに声をかけてきた。アレクサンドラはゆっくりと寝台に体を起こし、返事をする。
「起きているわ。入ってちょうだい」
許可を出すと、すぐに音もなく扉が開く。白いブラウスに黒いロングスカートを着たライカが入ってきた。普段着ているお仕着せではないが、それでもパッと見た感じそういう風に見える。
「ここにいる間はもっとお洒落をしていいのに」
「これ以上はお許しください。落ち着かなくて」
どうしてもライカはアレクサンドラと一緒にいると侍女としての顔になってしまう。幼い頃からの付き合いではあるが、譲れない一線らしい。
「今日も動きやすい服装がいいわ」
「昨日買ったものを用意いたしました」
そうして持ってきたのは一目で気に入って買った薄いグリーンのワンピースドレスだ。商家の娘が着るような上品な布を使っている。ふんわりと綺麗に広がるスカート、そしてえんじ色の編み上げの太いベルトがアクセントになっていて可愛い。
「コルセットがないと本当に楽ね」
「お嬢さまはコルセットなど締めなくても十分細い腰ですわ」
ドレスを着た後、いつもとは違う色の髪を一つに緩くまとめてもらう。瞳の色も変わっていることを確認してから、鏡に向かってくるりと一回転した。
「変なところはない?」
「よくお似合いです」
身支度が終わったので、ライカと共に食堂へと降りていく。食堂に入れば、すでにロドニーとグレイが席に着いて食事をしていた。二人とも飾りのないシャツに黒のズボンという何ともラフな格好だ。ロドニーに至っては髪の毛も寝癖がついたまま。
「おはようございます」
「おはよう。よく眠れたかい?」
ロドニーはいつもと変わらない様子で挨拶を返した。アレクサンドラはロドニーの隣に座る。席に着けば、すぐにモルダー夫人が彼女の食事を運んできた。
「昨日は街歩きをしたから、ぐっすり眠れたわ」
「それはよかった」
アレクサンドラは温かな丸パンを手に取る。
「わたし、今日も街を散策する予定なのだけど……ロドニー兄さまたちはどうするの?」
「俺たちは研究所だな」
研究所、と言われて、アレクサンドラはきちんと紹介されていなかったことに気が付いた。それはロドニーも同じだったらしく、二人とも目を合わせて苦笑いする。そして、促すようにロドニーの向かいに座るグレイを見た。グレイも困ったような顔をする。
「今更な気がするが……グレイと呼んでくれ。ロドニーとは学園で知り合った」
「アレクサンドラ・シーグローヴです。ロドニー兄さまの従妹ですわ。お恥ずかしいことですが、つい先日、婚約破棄しましたの」
さらっと言ったつもりだが、ロドニーが思い出したかのように怒りを滲ませた。
「その件について、きちんと説明してほしいんだが」
「きちんと、と言われても……。昨夜言った内容しかないのだけど」
もう一度言うのも憚られて、口ごもる。なるべく感情を表に出していないつもりだったが、ロドニーは何かを感じたのだろう。忌々しそうに舌打ちをした。
「一番最初に浮気した時に、結婚するまで役に立たない魔法をかけておけばよかった」
「そんな魔法、かけなくてよかったわ。結婚後に浮気されるほうが辛いじゃない」
結婚後に愛人たちとの激闘を繰り広げるなど、絶望しかない。想像するだけでも、恐ろしさに身震いする。
「そうはいっても、この国で婚約破棄なんて醜聞にしかならないじゃないか」
アレクサンドラはロドニーを警戒したように見つめた。魔法や魔法道具の研究にはとても高い能力を発揮するが、こうした対人関係のことになるとやや偏った考えしかしない。そして、そのことによって何が引き起こされるか、想像する力が弱い。悪い人間ではないが、視野の狭い判断が時々出てくるから困る。
「いいのよ。どちらにしろ、わたしには耐えられなかったわ」
「浮気ができないようにする魔法が確かあったはずだ」
アレクサンドラが何を心配しているのか、やっぱり理解していない。ロドニーはそんなことを言い出す。大きくため息をつくと、グレイが口を開いた。
「ロドニー、流石にそこまで魔法を使わないと一緒にいられない相手との結婚はどうかと思う」
「そうかもしれないが、そのぐらい婚約破棄は本当にこの国では大変な不名誉なことなんだ。それなのにあいつは……!」
「わたしを心配する気持ちは嬉しいけど、余計なお世話よ。魔法がないと一緒にいられないなんて、どれだけわたしが愛されない人間か突きつけられているようだわ」
はっきりと言葉にすれば、ロドニーが目に見えてしおれた。自分が使おうとしていた魔法がどういう感情をもたらすのか、ようやく想像ができたようだ。
「うん、ごめん。そういうつもりじゃなかったんだ」
「もう過ぎてしまったことをあれこれ言うのはおしまい。それにちゃんと報復はしたからわたしの気持ちはすっきりしているわ」
落ち込んだロドニーを見ながら、思わず笑みを浮かべた。
「貴婦人の鉄槌を使ったのよ」
貴婦人の鉄槌、と聞いて二人は食事している手を止め、恐怖で顔色を悪くした。アレクサンドラは食事をしながら、うふふと笑う。
「とても素晴らしい魔法道具だったわ。後遺症が残らないように調整されているなんて、素晴らしいわね」
「あの道具は販売停止じゃなかったか?」
グレイが首をひねる。
「わたしの持ち物ではないわ。たまたまライカが持っていたの」
「お嬢さま、あの道具はイザドーラ様からお借りしたものです」
アレクサンドラの後ろで控えていたライカが小さな声で補足した。アレクサンドラは目を丸くする。
「そうだったの。あとで叔母さまにもお礼を言わないと」
「母上、マジで悪魔だ」
ぼそぼそとロドニーは呟いたが、アレクサンドラはあえて無視した。これ以上、婚約破棄について話すこともないので、アレクサンドラは朝食をもりもりと平らげた。今日はひどくお腹が空いていて、パンもスープもおかわりをする。
「ところで、しばらくここにいるんだろう?」
食事が終わったグレイが場の雰囲気を変えるように問いかけた。
「ええ。こちらの街に来たのは初めてなの。色々と見て回る予定よ」
「僕が案内しようか?」
驚きの提案に、手を止めた。まじまじとグレイの顔を見つめる。
「でも、ロドニー兄さまとの予定もあるでしょう?」
「予定があるのはロドニーだけだ。僕は一緒に行動しなくても問題ない」
本当なのだろうか、とロドニーの方をうかがう。ロドニーは微かに頷いた。
「うん。暇だというから誘っただけだから」
「女性二人だけでは行動範囲も限られるだろうから付き合うよ」
すぐに決断できなくて、目をうろつかせた。だが、ライカは違った。後ろに控えていたはずのライカがずいっと一歩前に出る。
「よろしくお願い致します」
「え、ライカ?」
「お知り合いの男性が一緒の方が安全です」
「そういうもの?」
滅多に一人で行動しないし、貴族街ではライカの他に護衛も一緒にいるのでよくわからない。知り合いと言えども男性といる方が問題がある気がした。
「ここは貴族街ではありませんし、お嬢さまも色替えをなさっているからこちらの流儀に合わせてもいいかと」
ライカが賛成なら、とアレクサンドラは頷いた。