従兄の友人
「あはははは! まさか犯人捕縛君をグレイが試されることになるとは……!」
ひーひーとお腹を抱えて笑い転げているのは、従兄のロドニーだ。あれからライカが管理人のモルダーを呼び、彼がいつも利用していることを教えられたが、結局ロドニーから確認しないと信用できないとライカが譲らなかった。
ということで、ロドニーがタウンハウスにやってくることになった。モルダーがロドニーに連絡を入れてから、一時間ほどしてここにやってきたわけだ。
そして捕縛された男性は確かにロドニーの友人で、グレイというらしい。ロドニーによってようやく魔法道具の拘束から解放されたグレイは険しい顔をしてむすっとしている。
「信用しなくて、ごめんなさい」
アレクサンドラはそんな彼に、申し訳なさそうに頭を下げた。ロドニーは笑いを治めると、ひらひらと手を動かした。
「サンドラが謝ることじゃないよ。ここは母上の持ち物だ。連絡を入れずに入るグレイが悪い。それに本当に悪漢だったらどうするつもりなんだ。今回の対応はサンドラが正しいよ」
「確かに管理人にも連絡しなかったのはまずかったが……」
男の納得しているような、していないような態度に、ライカが眉を吊り上げた。
「ここには老夫婦と淑女しかいないのですよ。見知らぬ男が入ったことで、お嬢さまにあらゆる疑いを掛けられることを考えていないのですか!」
「それは……」
正論に、反論などできるわけもなくグレイはぐるぐると唸った。アレクサンドラは怒り狂うライカの背中を優しく撫でた。
「そんなに怒らなくてもいいわ。不幸な行き違いだと思うし、ロドニー兄さまもちゃんと来てくれたのよ。わたしたちだって、彼を捕縛して転がしていたわけだから」
「お嬢さま! ですが」
「それにわたしの評判なんて、すでに地の底だから」
やや自虐的に肩を竦めれば、ライカが顔を伏せておいおい泣き始めた。
「浮気されて婚約破棄したのと、見知らぬ男とあらぬ関係を疑われるのでは意味が天と地ほど違います!」
「は? 婚約破棄?」
ライカの言葉を拾ったロドニーが笑みを消した。空気がぴんと張り詰める。アレクサンドラは驚いて従兄を見つめた。ロドニーの顔からほんの少しだけ、怒りが滲みだしている。
「今、ライカが婚約破棄って……」
「そうよ。もしかしてロドニー兄さまは叔母さまから聞いていないの?」
「聞いていない。時間が取れないからと言われて、母上にはまだ挨拶しかしていないんだ。そうじゃない。婚約破棄、本当に?」
念を押されて頷いた。
「ええ。今までで一番最悪の浮気相手で……。わたしと別れさせるために妊娠したとか言いふらし始めたから」
「はあ? あのバカはそんな頭の悪い女にも手を出したのか!?」
「ちょっと、そんなにも怒らないで」
アレクサンドラは今にも飛び出して行ってしまいそうになるロドニーを宥めた。ロドニーは怒りを抑えるように、短く息を吐いた。そして、アレクサンドラを探るように見つめる。
「お前はそれでいいのか?」
「もちろん。あのまま結婚するよりも気持ちは晴れやかよ」
アレクサンドラが笑顔で言えば、ロドニーの顔が歪んだ。
ロドニーはアレクサンドラがルーベンへ心を寄せていたことを知っている。しかも、ルーベンが女遊びを始める前までは親しく交流していた。だからこそ、ルーベンがアレクサンドラを悲しませることが許せなかったし、できるならば心を入れ替えてほしいと常に願っていた。
何とも言い難い沈黙が当たりを包み込む。
「……申し訳ないが、僕はここから出た方がいいと思うのだが」
二人の会話が途切れたところで、居心地の悪そうな様子でグレイが口を開いた。はっとして二人はグレイの方を見る。
「ごめんなさい。わたしがここを出るからそのまま使ってもらっていいわ」
「いや、お前が予定通りに使えばいい」
アレクサンドラはロドニーに素直に頷けなかった。ロドニーは何でもないように笑い、アレクサンドラの頭をぽんぽんと叩く。その仕草がとても子供にするようで、アレクサンドラはむっと唇を尖らせた。
「ロドニー兄さま、わたしはもう子供ではないのです」
「まあまあ。俺たちは隣の建屋を使うから」
「隣……?」
意味が分からず目を丸くすれば、ロドニーは鍵を見せた。
「ここの棟、全部、母上が買い上げているんだ」
「ええ?」
「しかもそれぞれを繋ぐ通路ができていて、外からは独立しているように見えるが、中は行き来できるんだ」
そう言われて、間取りを思い出すが、どこにも隣につながる扉などない。
「繋がっているのはキッチンだ」
「ああ、キッチンには入っていないわ」
滞在も短期間であるため、二人が入ることはないからとモルダー夫人は半地下にあるキッチンやランドリー室を案内しなかったのだ。
「ということで、話は明日な」
「別に話すことはないのだけど……」
どうやらロドニーはアレクサンドラの婚約破棄についてきちんと説明させるつもりのようだ。ため息をつけば、ロドニーは笑う。
「内容によってはルーベンに報復しないといけないだろう?」
ロドニーの物騒な言葉に、アレクサンドラは震えあがった。
「そういうのはいらないわ! お兄さまがすでに対応しているはずだから」
「カルヴァンはなんだかんだと優しいじゃないか」
そんなことはないはずだ。
アレクサンドラはとにかくルーベンへの過剰報復を止めるために、明日、ちゃんと話すことを約束した。
二人を見送ると、老夫婦にも引き上げてもらった。ライカと二人になって、アレクサンドラは力なく長椅子に腰を下ろした。だらしなく寄りかかってしまっているが、流石のライカも文句を言わない。
「はあ、疲れたわ」
「お茶を淹れますね」
「お水がいいわ」
ライカに水を要求すれば、すぐにカップに入れて持ってきた。一気にそれを飲み干すと、ほうっと息を吐く。
「明日、ロドニー兄さまに説明しないといけないのね」
「別にしなくてもいい気がしますが」
ライカがすました顔で言うので、力なく笑った。
「そうはいかないでしょう。放っておいたらどんな報復に走るか……」
カルヴァンは社会的な報復を行うので、あまり心配していない。いざとなれば侯爵家の領地に引っ込めばいいだけだ。社交界も王都での交流も絶たれてしまうが、死ぬほどつらいことではない。
だけどロドニーの報復は違う。魔法を使って身体的な報復になるはずだ。常に足の小指を強打する程度の呪いならいいが、生きていく上で致命傷になる呪いをかける可能性が捨てられない。
「お嬢さまは皆さまに愛されていますから。そのぐらい当然かと」
ライカは何を心配しているのだという顔をするので、ますます体から力が抜ける。
「確かにルーベン様には怒っているけど、そこまでしてほしくないというのか。反省はしてもらいたいけど、それなりに幸せになってもらいたいのよ」
どれだけ長く一緒に過ごしてきたことか。
最後は二人の道は分かれ、幼い頃に描いていたような未来にはならなかったけれども、まだ彼の幸せを祈るだけの情はある。それにそろそろあのふわふわした性格を矯正しなければ、それこそ転落人生になってしまうだろう。
「お嬢さまは優しすぎます」
「そうでもないわよ」
不満そうな顔をするライカを宥めながら、もう一杯、水を要求した。