叔母に会いに行きました
「サンドラ! よかった、元気そうだわ!」
馬車から降りるなり、勢いよくギュッと抱き着かれた。アレクサンドラは自分とさほど背丈の変わらない叔母のイザドーラに抱きつかれて、同じように抱きしめ返す。
「叔母さまもとてもお元気そう」
「うふふふ。わたしはいつだって元気よ。さあ、あなたの顔をよく見せてちょうだい」
そう言って、彼女は抱きしめていた姪の顔を覗き込んだ。イザドーラは父であるシーグローヴ伯爵の妹で、親族の中でもアレクサンドラが一番好きな叔母だ。
イザドーラは遠慮することなく姪の全身に視線を向けた。アレクサンドラは叔母から毎年贈られるドレスを身に纏っていた。アレクサンドラに似合うだろうからと仕立ててくれるのだが、ルーベンの好みから外れるため一度も袖を通したことはなかった。
「まあ、嬉しいわ。そのドレス、着てくれたのね。あなたの華やかな金髪によく似合っているわ」
「ありがとう。でも、いつもよりも襟ぐりが開いているから少し落ち着かないの」
そう言いながらアレクサンドラは自分の胸元に目を落とす。いつもなら薄手の生地、もしくはレースで首まで覆われているのだが、今日は肌が見える。少しでも肌を隠すように髪を結い上げず、ハーフアップで緩くまとめていた。
「何を言っているの。デイドレスだからまだまだ大人しい方よ。夜会用のドレスなんて、もっと大胆だわ。胸も背中も開いているのだから、この程度で恥ずかしがっていたらこれから大変よ」
「……夜会用のドレスはそんなに開いていたかしら?」
そう言われて、今まで参加した夜会を思い出す。ルーベンの愛人との対峙が多く、独身令嬢たちが着ていたドレスの記憶がほとんどない。
「今流行りのドレスを身に纏っているのは独身令嬢が多く参加する夜会よ。貴女は婚約者がいたから参加したことがないでしょう?」
「そうかもしれないわ」
アレクサンドラは婚約していたし、婚約者持ちであっても素行が良くないルーベンは独身令嬢達に避けられていた。彼女達はより良い条件の結婚相手を見つけたいわけで、愛人になりたいわけではない。ルーベンは節操なしで評判が悪いため、関わりたくない令嬢が多いだろう。だからあまり目にしたことがなかったのかと納得する。
「さあ、続きは中でしましょう。サロンにお茶を用意してあるわ」
イザドーラはそう言って屋敷の中へと促した。アレクサンドラはそんな叔母に改まって頭を下げた。
「急に連絡してしまってご迷惑をおかけします」
「気にしなくてもいいのに。貴女に頼られて嬉しいわ」
にこりとほほ笑むと、二人はサロンへと向かった。
◆
日当たりの良いサロンにはすでにテーブルの準備が終わっていた。お洒落なスタンドには一口で食べられるケーキやクッキー、さらには軽食用の小さめのパンまでそろえてあった。
「そこに座ってちょうだい」
椅子を勧められて、腰を下ろす。静かに侍女がお茶を運んできた。イザドーラは幾つか侍女に指示をしてから改めて姪の顔を見た。しげしげと顔を見ていたが、ほんの少しだけ首をかしげる。
「少し痩せたかしら? ちゃんと食べている?」
「どちらかというと好き勝手お菓子を食べていて太ってしまったと思うわ」
「そうなのね。貴女は元々ほっそりしていたから、多少は肉がついた方がいいわ。もっと豊かな方が男性には好ましいもの」
その明け透けな言い方に、アレクサンドラは苦笑した。イザドーラは次の恋を勧めているのだろう。
「叔母さま。今はまだそういう気持ちはありませんわ」
「あら、どうして? あなたほどの器量ならいくらだって相手が見つかるわ。噂を気にしないのなら、ひと時の恋もお勧めよ」
「……新しい恋は考えられないの」
アレクサンドラは心から困ったように目を曇らせた。イザドーラが笑みを消し探るように見てくる。
「あなた……もしかしてルーベンにまだ気持ちを向けているの?」
「違うわ。ルーベン様のことは整理がちゃんとついているから」
「本当に? そんな簡単に割り切れるような気持ちではなかったでしょう?」
イザドーラがそう思うのも仕方がない。アレクサンドラはルーベンと婚約していた時、何度も何度もイザドーラに泣きついていた。
両親や兄に直接訴えるのは色々と問題があった。家族はルーベンのだらしなさを好ましく思っておらず、彼の浮気が発覚するたびに、アレクサンドラに何度も婚約白紙を考えないかと勧めていた。
特に母親はルーベンの浮ついたところが気に入らないらしく、顔を合わせれば婚約白紙の話ばかり。そのためアレクサンドラは母親から逃げまわっていた。
ルーベンの浮気を我慢してでも、婚約白紙にしたくなかった。だけど、想像以上に愛人とのやり取りは辛かった。
そんな逃げ場のないアレクサンドラを慰めてくれたのはイザドーラだ。イザドーラは優しくアレクサンドラのどうしようもない気持ちをただただ受け止めてくれた。
「わたしが用意した新居の寝台で抱き合っているのを見て、あれほどぐずぐずしていた気持ちがどこか行ってしまったわ」
アレクサンドラは気にしていないと示すように、なるべく明るい表情で告げた。イザドーラは眉を寄せて険しい表情でアレクサンドラを見つめる。
「新居の寝台で? なんていうことなの!」
叔母の声が怒りで震えている。浮気現場を抑えたことを知っていても、どこで何をしていたのかは知らなかったようだ。迂闊なことを言ったと慌てる。
「心配しなくても大丈夫よ! 別れられてすっきりしたから」
「そう、そうね。そう思う方がいいわね」
一応納得してくれたのか、眉間にしわを寄せながらもイザドーラはそれ以上は追及しなかった。沈み切った空気を振り払うように、アレクサンドラは話題を変えた。
「そう言えば、兄さまたちは王都にいるの?」
「デールは主人と一緒に領地にいるわ。ロドニーは今は王都で仕事をしているわね。時々、この屋敷にも帰ってくるわ」
「では、ロドニー兄さまにはそのうち会えるのね」
一番仲の良いロドニーがいることを知って気持ちが弾んだ。ロドニーは年が近いせいか、本当の兄のように世話をしてくれる。アレクサンドラが落ち込んでイザドーラに慰められていることも知っていた。
「ああ、それからロドニーの友人も一緒にこちらに来ることがあるの。時間が合う時にでも紹介するわね」
「ロドニー兄さまの友達?」
「ええ。留学していた時に親しくしていたみたい。何度か顔を合わせたことがあるけど、礼儀正しくてとてもいい方よ」
ロドニーの友人に会うことは今までなかったので、興味を引かれた。ロドニーはとても頭がよく、魔法についての研究をしている。そのロドニーが留学していた時の友人ということはきっと魔法を研究している男性なのだろう。
取り留めもなく話しているうちに、イザドーラがアレクサンドラに鍵を差し出した。
「折角だから、あなたに貸してあげる」
「どこの鍵?」
差し出された鍵を素直に受け取った。
どこにでもある形。貴族が好むような鍵の持ち手に繊細な細工や宝石はない。どちらかと言えば実用的で、ごく普通の丸い形だ。大きさから、どこかの部屋の鍵だとは思うのだが、思い当たる場所はない。
「わたしの秘密の部屋の鍵よ。ここにいても気が滅入るでしょうから気晴らしにね」
「叔母さまと話しているだけで十分気晴らしになっているわ」
「まあ、そう言わずにしばらく過ごしてみてちょうだい」
そう言いながら、イザドーラはアレクサンドラに住所を告げた。アレクサンドラは教えてもらった住所を聞いて驚いた。
そこは裕福な平民が暮らす一角であった。行動力がある女性だと思ってはいたが、まさか市井に部屋を持っているとは思っていなかった。
「管理する老夫婦が住みこんでいるからいつだって使えるし、建物自体に防犯用の魔法道具がたっぷりつけられているからとても安心よ」
そんなことを言われてしまえば、もう行くしかない。
アレクサンドラは久しぶりにワクワクした気持ちで胸がいっぱいになった。鍵を両手で包み込むと、気持ちが新しい生活の方へと向かう。
「ありがとう、叔母さま!」
「楽しい時間になるといいわね」
イザドーラも姪の様子に満足そうに笑みを浮かべた。