祖国での区切りと、これからと
「はあ」
アレクサンドラは馬車に揺られながら、淑女らしからぬため息を漏らした。隣に座るグレイがくすくすと笑う。
「笑い事じゃないわ。本当に憂鬱なの」
「ごめん、サンドラが可愛くて」
「どこが可愛いのか、まったくわからないわ」
むっとして唇を尖らせ、グレイを見る。グレイは優しい目をして、彼女の手を握りしめた。
「もう何度も一緒に参加しているのに、まだ心配?」
「回数なんて関係ないわ。グレイもこの国の文化を知っているでしょう?」
グレイとの婚約が調った後、アレクサンドラは祖国の社交界に出るつもりはなかった。だが、グレイが悪い噂のまま祖国を後にするのも後味が悪いというので、仕方なく必要最小限の社交をすることになった。
どちらでもいいと言いながら、ジャニスも娘の評判を何とかしようと思っていたようで、グレイの申し出に飛びついていた。
いくらこの国で暮らさないと言えども、やはり貴族。評判が悪いままでは将来どこで足かせになるか、わからない。
そうジャニスとグレイに説得され、渋々アレクサンドラはジャニスが選んだ最小限の茶会と夜会をこなした。初めの頃はどこに参加しても好奇心いっぱいの目を向けられていたが、最近はグレイと一緒にいるせいなのか、奇異な目を向けてくる人は激減した。以前と同じようにはいかないが、彼女の醜聞を考えると十分な成果だ。
「心配しなくても、僕は遊びで夜を一緒に過ごさないよ」
握りしめられた手に視線を落としてから、顔をあげる。
「わかっているわ。でもグレイが一人になっただけで声をかけてくる女性が多いから……引きずり込まれないか心配」
グレイは整った顔立ちをしているが、キラキラした派手さはない。そう思っていたけれども、アレクサンドラが離れた隙に4、5人はグレイに誘いをかけてくる。あれが当然だとルーベンと婚約していた時には思っていたけれども、グレイの国のしきたりや考えを知ると異常だと思えてしまう。
「サンドラ」
グレイが物思いに沈んだアレクサンドラの名前を優しく呼んだ。そして体を寄せると、触れるだけのキスを唇に落とした。
「今夜でこの国での社交は最後だ。長居はせずに帰ろう」
グレイの言葉にアレクサンドラはそうね、と頷いた。
◆
伯爵家の夜会はとても人が多かった。グレイは馬車で話した通り、親しくしている人たちに挨拶をする。どの人もグレイとアレクサンドラが来週には旅立つことを知り、別れの言葉を贈った。
「一曲だけ踊ってから帰ろうか」
「そうね、わたしもグレイと踊りたいわ」
二人は視線を合わせ微笑み合う。寄り添いながらダンスフロアに向かう途中で、一人の夫人がすっと近寄ってきた。アレクサンドラは不愉快に思いながらその女性に目を向けた。
「よろしかったら一夜だけでも」
ちらりとアレクサンドラを見てから、うっとりとしたような微笑みを浮かべてグレイに向かって手を差し出した。アレクサンドラはぐっと奥歯を食いしばった。
グレイはルーベンとは違う。夜会会場にアレクサンドラを置いて行ってしまうことはない。でも、心の奥の方で生まれた不安はすぐに大きくなった。
そんな彼女の気持ちを汲み取ったのか、グレイは腰を抱く手に力を入れた。彼は柔らかな表情のまま、声をかけてきた夫人を見ている。
「申し訳ないが、僕には素晴らしい婚約者がいる」
「存じ上げていますわ。でもシーグローヴ伯爵令嬢も婚姻前の遊びだと理解してくださるでしょう?」
そう夫人が囁いた途端に、グレイが冷ややかな表情になった。嘲りさえも含んでいるような眼差しに、くねくねと体を揺らしていた夫人が固まった。
「私はこの国の人間ではないのでね。不特定多数と関係を持つのが美徳という感覚は理解できない。こんなにも素晴らしい婚約者がいるのに、どうして魅力のない女性をわざわざ相手にしなくてはいけないのか」
グレイの口から吐き出された言葉とは思えず、周囲がしんと静かになる。周囲の反応を気にすることなく、グレイはアレクサンドラの腰をさらに自分に引き寄せ、見せつけるように頬に軽くキスをした。
「グ、グレイ……」
「これぐらいで頬を染めるなんて可愛い。今すぐにでも二人になりたい」
意味ありげに微笑まれて、アレクサンドラはますます赤くなる。周囲の囁き合う声に、逃げ出したくなる。
「あ、あの」
果敢にも夫人は声をかけてきた。あのままどこかに行ってしまえばよかったのに、と思ったが、周囲を見渡せば好奇心いっぱいの目が向けられている。アレクサンドラはグレイに確かな想いを向けられて、お腹に力を入れた。
グレイに寄りかかるようにしながら、挑むようにほほ笑んだ。
「ごめんなさいね、貴女に興味がないみたい。遠慮してもらえるかしら?」
夫人はさっと顔を赤らめると、もごもごと適当な挨拶をして立ち去って行った。その後姿を見て、ふっとため息をつく。
「ありがとう」
アレクサンドラはグレイの目をしっかりと見て、お礼を告げた。グレイはお礼が何に対してなのか理解すると、ほのかに笑う。
「どういたしまして。でも、サンドラが誰よりも魅力的なのは事実だから」
「いつもはもっと当たり障りなく断っていたじゃない」
「サンドラ以外と親しくなるつもりはないと態度に示しても声をかけて来るんだ。これで夜会の参加も最後なんだからはっきりさせた方がいいだろう?」
音楽に合わせ、二人は囁き合いながら踊る。
「彼女、わたしがいるところで誘ったら断れないと思ったのね。婚約破棄した後の婚約だから、グレイに大切にされているはずはないと思ったのかしら?」
「それもおかしな話だ。だけどサンドラは愛されて嫁いでいくときちんと理解されたと思うよ」
ダンスが終わると、二人寄り添いながら会場を後にした。
◆◆
「おかーさまー」
娘の声と共に、ぱたぱたと走る音がする。アレクサンドラは刺繍をしていた手を止めた。扉が開き、小さな娘が飛び込んでくる。
「まあ、どうしたの?」
「これ、見つけたの」
娘を抱きしめた後、彼女の手の平を覗き込む。小さな彼女の手には一対のピアスがあった。
「まあ、懐かしいわ。一体どこから見つけてきたの?」
「屋根裏部屋の宝石箱の中」
屋根裏部屋と聞いて、この国に来た時に持ってきた荷物がそのまま残っていることを思い出した。こちらの国のことを勉強するためにと婚約期間中から公爵家に入ったのだが、持ってきた荷物はすぐに使わなくなっていた。新しいものをどんどんと義両親とグレイが買うものだから、いらなくなってしまったのだ。
「色替えの魔法道具だってライカが言うのだけど、本当?」
「そうね、お母さまはこれで色を変えてお忍びで街に行ったのよ」
キラキラと娘の目が輝く。
「そこでお父さまと出会ってね――」
アレクサンドラは娘に秘密を教えるように、懐かしいグレイとの出会いを話して聞かせた。
Fin.
最後までお付き合い、ありがとうございます(人´∀`)
誤字脱字報告もとても助かりました(全力で頼るスタイル)
いつも本当にありがとうございます!
まだまだ世間は落ち着かないし、毎日暑いし、色々ありますが、少しでも楽しんでもらえたら嬉しいですo(^▽^)o
それでは。