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グレイの正体


 夜会は思った以上に楽しかった。


 グレイのエスコートはスマートで、アレクサンドラに嫌味を言いに来る人間や気軽な関係を持とうとする紳士たち、それにグレイに興味を示す令嬢達を軽やかに躱した。


 アレクサンドラが気を張らずとも、グレイがすべて対応してくれるので心は穏やかだ。側にいて当たり前の顔をしているグレイをちらりと見る。


「どうした?」

「手慣れているなと思って」

「慣れてはいるな。すり寄ってくる人間はどこにでも沢山いる」

「夜会でこれほど安心できる時間を持てたのは初めてよ」


 アレクサンドラの言葉に、グレイは目を細めたが何も言ってこなかった。


「何か飲むか?」

「そうね、少しいただこうかしら」


 二人は人気の多い場所から、ゆっくりとした足取りで離れる。軽食が用意してある小部屋へと向かう途中、ジャニスと鉢合わせした。


「あら、サンドラ」

「お母さま」


 アレクサンドラは一番会いたくなかった母親に、顔が引きつった。グレイをどう紹介しようかと頭を必死に回転させる。


 焦るアレクサンドラをよそに、ジャニスは丁寧にグレイに挨拶をした。


「ウィンサム公爵閣下、娘をありがとうございます。まさか来ていただいているとは思わず」

「ウィンサム?」


 聞きなれない名前を聞いて、アレクサンドラは眉を寄せた。ジャニスはちらりと娘を見て、ため息を零す。


「まあ、この方がどなたかも知らないの?」

「シーグローヴ伯爵夫人、申し訳ないが……」


 グレイが困ったような顔をして、ジャニスの言葉を遮った。ジャニスは不思議そうに二人を見ていたが、そのうち何かを悟ったのか、軽く頷いた。


「わかりましたわ。ですが、身分を隠しての接触は良いことばかりではありませんわ。悪い面もございますのよ」

「肝に銘じておきます」


 アレクサンドラはグレイの腕に預けていた手をそっと離そうと力を抜いた。しかし、グレイは逃がさないとばかりに力の抜けた手をしっかりと握りしめる。


「サンドラ、ちゃんと釣書を見なさいと言っておいたわよね?」


 ひゅっと息をのみこんだ。ジャニスの言葉で、彼がお見合い相手だと察した。青ざめた娘の顔を見て、ジャニスは咎めるような目をグレイに向ける。


「拗れないようにきちんと話し合った方が良いですわ」

「わかっています」

「それならいいのですけど」


 ジャニスの指摘はもっともで、グレイはしっかりと頷いた。


「サンドラも逃げようとするのは止めなさい」

「……」


 答えることができなくて、目を伏せた。



 グレイが連れ出した先は、ランドン公爵家の自慢の庭園だった。庭と言っても完全に二人きりではない。所々、夜会会場の熱から逃れた人たちが集まり、親しい距離で語らっている。それに夜会会場での喧騒もしっかりと聞こえていて、給仕の者たちや護衛が静かに往来していた。

 他の人から会話が盗まれない場所まで来て、ようやくアレクサンドラはグレイに声をかけた。


「ねえ、どういうこと?」


 ずっと黙っていたせいなのか、緊張のためなのか、声が掠れた。情けないと思いながらも、自分がとてもショックを受けていることを自覚した。グレイはつないでいた手をそっと離した。


「サンドラが婚約破棄の手続きに入ったからと、シーグローヴ伯爵夫人から打診を受けたんだ。シーグローヴ伯爵夫人と僕の母はとても良い友人同士でね。君の婚約がなくなったら、と二人の間で随分前から約束が出来上がっていたらしい」


 それは先ほどのジャニスの言葉から推測できた。アレクサンドラは無理に笑った。顔がこわばっているのが自分でもわかる。


「わたしがお見合い相手だと知っていて付き合ってくれたの?」

「タウンハウスで会ったのは、本当に偶然だ」


 グレイは努めて冷静に言葉を紡いだ。アレクサンドラの疑うような目は彼に向けられている。


「……タウンハウスで会った時、わたしの顔を知らなかったという事?」

「僕は結婚にあまり興味がない。絵姿も送られていることは知っていたが、見ていなかった。家を通して結婚の申し込みをしていた令嬢だと知ったのはロドニーと部屋に引き上げた後だ」

「そう」


 目を伏せて、グレイと過ごした時間を思い出す。短い間だった。ルーベンとの時間を思えば瞬くほど短く。

 その間にアレクサンドラはすっかり彼を信用し、好ましく思うようになっていた。ルーベンとの婚約破棄で自信を失い、心が弱っていたのもあるかもしれない。


「サンドラ」


 彼はそっと彼女の名前を呼んだ。アレクサンドラはどう反応していいのかわからず、目を伏せたまま身じろぎせずに立っていた。ゆっくりと、どこか遠慮がちに彼の手が伸びてきて、アレクサンドラの両手を握りしめた。


「結婚するかもしれないから、君と話してみたかった。本当はすぐに名乗るつもりだったんだが……結婚を申し込んでいると知れば逃げられる、とロドニーに言われてそのままになってしまった」

「そうね、それは否定しないわ」


 なんせ、アレクサンドラはお見合いから逃げるためにタウンハウスに来たのだから。ロドニーが意味ありげに二人にするのも、屋敷に戻る手配をしたのも、二人の仲を取り持ちたかったのだろう。


「僕は君と過ごす時間が楽しかった。結婚相手だからとかそういうのではなくて……ずっと一緒にいられることが嬉しいと思ったんだ」


 それは信じられた。グレイはいつだって穏やかに笑っていた。アレクサンドラはそのことを思い出し、自分が何に拘って傷ついたのか、はっきりと理解した。


「知らないところでお見合いが進んでいて、その相手がグレイだったなんて自分がとても滑稽だと思ったの。わたし、グレイに結婚を申し込みたくて、社交界に戻ろうと思ったから」

「そう思われても仕方がないよな。だけど、僕は君を好ましく思っている」

「まあ、それだけ?」


 好ましく思っている、と告げられて責めるような声を上げた。グレイはアレクサンドラの両手をぎゅっと握りしめた。


「そこから先は、これから育んでいきたい」

「だったら、自己紹介からしてちょうだい」


 唇を尖らせると、グレイは彼女の手を離し一歩下がった。そしてどこか芝居がかった仕草で右手を胸に当てる。


「初めまして。クラレット・グレイ・ウィンサムです」

「ごきげんよう、アレクサンドラ・シーグローヴですわ」


 二人は視線を合わせ、同時に噴出した。気取った貴族のやり取りが何故かとても滑稽に思えたのだ。


「細かいところは後で釣書を見るけれど、わたしが知っておけばいいことは何?」

「そうだな。僕の母が現国王の第一王女であることと、父からすでに公爵位を継いでいること、あとは王位継承権は持っていないことぐらいか」


 その華やかな生まれに目を丸くした。


「嫌だわ。婚約破棄された女なんて、相応しくないじゃない!」

「そんなことはない。僕が君がいいと思ったんだ」


 それが通じないような気がして仕方がなかった。アレクサンドラは疑わしげな眼をグレイに注いだ。


「嘘はつかないで」

「君の婚約破棄を前提に整えられているんだ。何も問題はない」

「言われてみればそうね」


 これから申し込むのではなく、出会う前から申し込まれていた。時系列的には確かにグレイの家の行動の方が先だ。それでもなんだか腑に落ちなくて、落ち着かない。このもやもやが言葉にできなくて、アレクサンドラは少し苛立った。


「――シーグローヴ伯爵が調べているかはわからないが」


 そう前置きをして、グレイは自分の過去を話し始めた。アレクサンドラは静かに語るグレイの言葉に耳を傾けた。


 第一王女の一人息子であること、準王族として期待されていたこと、十八歳の時に病気になり魔力がほとんど失われたこと、それに伴い王位継承権を失ったこと。


 そして。


「婚約解消?」

「そうだ。僕も婚約をしていたんだ」


 アレクサンドラは言葉を失った。グレイは穏やかで、こうして一緒にいても安らげる人だ。婚約者であった女性はどうして婚約解消してしまったのか。たとえ王位継承権がなくなっても、準王族には変わりはない。


「僕の国では魔力がすべてだからね。平民と変わらないぐらいになってしまったことが許せなかったのだろう。男女としての情があったわけではないが、短くない時間を婚約者として過ごしてきたんだ。だが、魔力を失って彼女は去っていった。それからは結婚に希望が持てなくなってしまった」


 国が変われば価値観が変わる。アレクサンドラは婚約者であった女性の気持ちはわからなかったが、婚約解消してくれてよかったと思ってしまった。


「君が嫁いでくる国は魔力がすべてだ。サンドラは価値観の違いに苦しい思いをするかもしれない。それでも僕の手を取ってもらえないだろうか」

「――ええ、喜んで」


 アレクサンドラは心からの笑みを浮かべた。


「ありがとう」


 ゆっくりとグレイの頭が下がった。アレクサンドラもそれに合わせて目を伏せる。

 そっと触れるだけのキスだったが、とても暖かく、涙が出そうになるほど胸が高鳴った。


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