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婚約破棄後の初めての夜会


 リズミカルに車輪が音を立てて道を進む。


 今夜の夜会は普段参加するものよりも少し大規模だ。ルーベンと婚約破棄をしてから初めての参加になる。そのためなのか、アレクサンドラはどこか落ち着かない気持ちだった。

 膝の上に緩く組んだ手を握ったり開いたりしていれば、向かいの席から名前を呼ばれた。


 顔をあげれば、母のジャニスが心配そうに娘を見ていた。アレクサンドラと同じ華やかな金の髪をした彼女はすでに五十歳に届きそうな年齢であったが、とても若々しく美しい。いつも微笑んでいて、しゃんとしている母があまりにも心配そうな目をしているので、アレクサンドラはなんだかおかしくなった。


「会場に着いたら、わたくしから離れてはいけませんよ」

「お母さま、わかっておりますわ」


 小さく微笑みを浮かべて答える。ジャニスはそれでも心配そうに右頬に手を当て、ため息をついた。


「できればもっと小さな規模の夜会から参加しようと思っていたのに」

「ランドン公爵夫人から招待状をもらったのだから、仕方がないわ」

「そうなのよね。確かにあなたのことをお願いしていたけど……」


 アレクサンドラはジャニスのぼやきを聞きながら、外へと目を向けた。石造りの壮麗な屋敷が遠くに見えていた。夜の闇の中、明るい光を纏ったような屋敷は昼間と変わらぬ壮麗さが見て取れた。


「そろそろ到着ね」

「思ったより落ち着いているのね」

「お母さまがあまりにも心配してくださるのですもの。なんだか急に気持ちが落ち着いてしまって」


 正直に自分の気持ちを告げれば、ジャニスはようやく笑みを見せた。


「あなたに突っかかってくる女はいるはずよ。それ以上に心配なのはダンス」


 ジャニスが何を心配しているのか聞いて、アレクサンドラは眉を寄せた。


「ルーベン様に関係した女性はわかるけれども、ダンス?」

「そうよ。あなたは婚約破棄したからひと時の恋の相手として見られてもおかしくないのよ」


 母の忠告にアレクサンドラは渋い顔になる。確かにこの国の常識からすれば、女性から婚約破棄など珍しい出来事で、しかも褒められた行為ではない。だからといって、すぐに遊べる女として見られるとは考えていなかった。


 実感が伴わなくて、ほんの少しだけ首を傾げた。ジャニスはそんな娘の様子に、怒りをあらわにする。


「想像していませんでした、と言った顔をしているわね」

「だって」

「だっても何もありませんよ。いいですか、絶対に一人にはならないで。あと、休憩室には近づかないこと」


 休憩室、と言われてさっと顔色を悪くした。夜会会場での休憩室と言えば、男女の逢引きの場所である。アレクサンドラは一度も使ったことはなかったが、ルーベンが何度か女性を連れて入っていくのを見ていた。そのシーンを思い出し、アレクサンドラの胸が嫌な音を立てた。


 ジャニスは体を前に倒すと、目の前に座る娘の両手を握りしめた。真剣な眼差しに、アレクサンドラも真顔になる。


「そう言えば、あなたに渡した釣書、ちゃんと見たかしら?」


 釣書、と言われて、屋敷に戻ってからすぐに渡された書類の一式を思い出した。封筒に入っていた分厚いそれに目を通すようにと言われていたのだが、アレクサンドラはまだ見ていなかった。


 あの書類どこに片づけたかしら。


 ライカが管理していると思うのだが、グレイ以外の相手と結婚するなんて考えられなかったから、すっかり記憶の彼方だ。

 娘が曖昧な微笑みを浮かべたので、ジャニスの視線が鋭くなる。


「まさか、まだ見ていないとか言わないでしょうね?」

「そのまさか、だったりするかも?」


 母親の目を見返すことができずに、視線をうろうろさせた。ジャニスは呆れたようにため息をついた。


「夜会から帰ったら、一度目を通しなさい」

「でも、お父さまには自分で見つけていいと」

「その話とは別よ。すぐに決まるような婚約じゃないの。こちらから顔合わせだけでもと無理にお願いしていたものだから、断るにしても筋は通さなくてはいけないわ」


 言われていることはもっともなことだった。アレクサンドラは曖昧な笑みを浮かべて、早く会場に着くことを祈った。



「まあ、ようやく来てくれたのね!」


 ランドン公爵夫人に挨拶に行けば、大げさなほどの歓迎を受けた。ジャニスはそんなランドン公爵夫人に付き合うように、とても嬉しそうな笑みを見せる。


「お招きいただき、ありがとうございます」

「堅苦しい挨拶はいらないわ」

「ですが、流石に今夜は」

「わたくしがいいと言っているのよ。アレクサンドラ嬢もお久しぶりね」


 アレクサンドラは優雅にひざを折り、挨拶をする。


「お久しぶりでございます。今日はとても楽しみにしておりました」

「ふふ。そうだといいのだけど」


 ランドン公爵夫人は優しい笑顔でアレクサンドラの両手を握りしめた。そして誰にも聞こえないほどの小さい声で囁く。


「本当に元気そうでよかったわ。あなたにはあんな男は似合わないもの」


 アレクサンドラは困ったような笑みを浮かべる。ランドン公爵夫人はアレクサンドラにしか見えないように顔を俯かせ、ひどく毒々しい笑みを浮かべた。


「何も恥じることはないのよ。可能ならば王城で拍手喝采したいぐらいだわ!」


 そんな風に思われていたのかと目を白黒させていれば、ジャニスがため息をついた。


「ちょっと、娘にそんな禍々しい顔を見せないでちょうだい」

「いいじゃない。ジャニスの娘なんだから」


 突然の砕けた言葉遣いに、アレクサンドラは母親の顔を見やった。ジャニスは娘の問うような眼差しににこりと笑った。


「彼女は元々こういう人なの。表の顔は完全に作っているのよ」

「……知りませんでした」

「状況が状況だから、色々言ってくる人がいると思うけれども、無視していいから。それから後で無礼なことを言ってきた人の名前を教えてちょうだい」


 名前を教えろと言われて、よくわからなかった。キョトンとした顔をすれば、ランドン公爵夫人はころころと笑う。


「わたくしの付き合いに下品な人間はいらないのよ」

「そ、そうですか」


 その先を聞いてはいけないようなそんな追い込まれたような気分になる。

 ランドン公爵夫人はジャニスと何かを話してから、他の人の挨拶へと離れていった。アレクサンドラはその後姿をぼんやりと見送った。


「サンドラ」

「ああ、ごめんなさい。ぼんやりして」

「驚くのは仕方がないわ。彼女はいつだって活動的ですもの」


 活動的という言葉が正しいとは思わなかったが、それでも自分の味方であることが分かっただけでもほっとする。


「さあ、挨拶をしてしまいましょう」


 ジャニスはそう言うと、アレクサンドラを促した。アレクサンドラは特にやることもないので、母親の後について行った。


 ジャニスの付き合いはとても広くて、そして懐の深い人が多かった。誰もが仕方がないことだと励ましの言葉をかけてくる。ジャニスがそれだけ根回しをしていたのだろうと感謝した。


 本来ならば、やはり女性側からの婚約破棄は眉を顰める行動であり、その上、アレクサンドラはささやかながら報復までしている。時折、男性から恐ろしいものを見るような目を向けられているのは、きっと「貴婦人の鉄槌」が知られているからだろう。ちょっと内股気味に後ろに下がるのが面白い。


 一通り、挨拶が終わった頃にはアレクサンドラから硬さがすっかり取れていた。


「挨拶は終わったから、もう大丈夫だと思うけれども」


 ランドン公爵家の夜会に招待されている人たちは上品な人が多いのだろう。アレクサンドラを変な目で見る人もいなかったし、休憩室に連れ込めるかと言った値踏みする人もいなかった。ジャニスもそのことにほっとして、いつもの笑顔が浮かんでいる。


「わたし、少し食事をしてきます。お母さまにもお付き合いがあるでしょう?」

「そうね。でも一人にするのは心配だわ」

「わたしも気を付けるから、少しぐらいは大丈夫よ」


 少しの迷いを見せたが、先ほどの挨拶でアレクサンドラを蔑む目をする人間はいなかった。それでも人目のある所にいるように、と心配そうに念を押してから娘を送り出す。


 ジャニスの過保護さをくすぐったく感じながら、軽食が用意されている場所に向かって移動した。その途中で外から入ってくる女性とぶつかりそうになる。ぶつからないようにと避けたせいで、少しよろめいた。


「あら、ごめんなさい」


 アレクサンドラがよろめいたのを見て、女性が振り返った。大輪の花を思わせる華やかな赤いドレスを着た貴婦人だ。


「まあ、アレクサンドラ嬢じゃない」


 嫌な人間と会ったものだ。二度と会いたくないと思っている人に限って、こうして会ってしまう。自分の不運を嘆きながら、アレクサンドラは咄嗟に身構えた。


 そこにいたのは社交界デビューして間もないルーベンに女遊びを唆した、一番最初の愛人だった。


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