アデルミラの記憶
その人はとても綺麗な人で、だけどとても残酷だった。
神の娘である私は、全属性の魔法が使える。
彼はそれで、私に興味をもったらしい。
私は小柄で、髪の毛も目も真っ黒で、突出する魔力以外なにも持っていなかったから。
彼は私よりずっと背が高くて、銀色の髪に琥珀色の瞳の美しい人だった。
「すごいなあ。全部使えるのか?」
初めて彼と会った時、彼は目をキラキラと輝かせて私を讃えた。
特出する魔力を見せることが争いの元になると神と母に言い含まれていた私は、森の中でひっそり暮らしていた。
彼はある日森に迷い込み、魔力を使い果たしたところを私が助けた。
寝ていると思っていて、魔法を使って火を起し、水を注いで、野菜を風を使って切っていたら、彼が背後に立っていて、驚いた私は煮えたぎった水で火傷を負いそうになった。それを救ってくれたのが彼だった。
抱き起こしくれながら、彼は頬を紅潮させて私に話しかけた。
彼が興味あるのは、私の魔力、魔法。
気が付かない振りをして、彼に好かれている、愛されていると思い込み、私は彼に傾倒していった。
彼のために食事を作り、服を洗って、甲斐甲斐しく彼の世話を焼いた。
森に彼がやってくるのが待ち遠しくて、とうとう待ち切れなくて、街へ出かけた。
黒髪に黒い瞳、野暮ったい服を着ている私は、街の娘達から不躾な視線を浴びて、やっぱりこなければよかったと後悔した。同時に華やかな彼女たちにも憧れた。
森に戻ろうとしたとき、彼の姿が見えた。彼の他にも女の子たちが傍にいて、私は恥ずかしくなって顔を背けた。
彼に好かれている?
彼が一度でもそんなことを言ったの?
自分の思い込みでこんなところまで出てきた自身を恥じて歩き出した時、信じられないことが起きた。
「アデルミラ」
彼が私の名を呼び、追いかけてきた。
「どうした?こんなところまで?」
彼は優しく微笑んでくれて、私は泣きそうになった。
*
泣きそうになったじゃなくて、泣いていた。
瞳から頬を伝って枕を濡らした涙。
体を起こして、ここがヴィサの家であることに気が付く。
「ヴィサの家……。どうしてこんな家を…」
ヴィサが住んでいた家は、私――アデルミラが森に住んでいた時の家とかなり類似していた。
窓に近づき、まだ明けていない空を眺めていると、あの時が戻ってきたような気持になる。
けれども、私はアデルミラではない。
アンネだ。
明るい茶色の髪に青い瞳を持つ可愛らしい少女。
真っ黒な髪と瞳を持つ鴉のような女ではない。
「……ヴィサ」
夢でみた優しい笑みのヴィサ、アンネとして過ごした時に見せた不機嫌そうな顔。
きっと、不機嫌そうなあなたが本当のあなただったのね。
「思い出したくなかった……アデルミラの記憶なんて」
アンネであった私はヴィサに愛されてはいなかったけれども、嫌われてはいなかったはずだ。
不機嫌そうな顔ばかり見ていたけど、そこには愛情を感じられた。
妹みたいな存在だったのかしら。
それとも娘?
アデルミラの記憶の封印を解こうと思ったのはなぜ?
アンネが嫌いになった?アデルミラのように?
問いかけてみるが、答えるものがいるはずがなかった。
「……アンネ?」
窺うように扉を叩かれ、コブちゃん声がした。
「ゴブちゃん……。おはよう。ヴィサはどうしている?」
扉越しに聞いてみたが返事はなかった。
「ああ。彼はいないのね……」
封印を解く時に彼は決断を下したのだろう。
私から離れることを……。
「約束を破って酷い人……」
酷いなんて本当は思っていない。
ただ悲しいだけ。
あと一年、あと一年と少し、アンネとして彼と楽しく暮らしたかった。
「ゴブちゃん。パンでも焼こうかな」
アンネとして何度もパンを焼いたけど、焦がしてばかり。
それはまるで、あの時のヴィサのよう。
私は彼にパンの焼き方を、魔法を教えた。
アンネに彼が教えたように。