アレックスとララ
アレックスの話です。
彼女と出会ったのは、アカシア辺境伯領のキラキラ光る森のなかだった。
初めて訪れたのは、アレックスが9歳である。7歳離れたアレックスの兄が辺境伯に滞在する騎士たちに剣術や体術の特訓を受けたい、ということでアレックスもついていったのが始まりだった。
幼いアレックスには、16歳になる兄たちの練習についていけるはずもなく、途中で離脱し見学をしたりしていたのだが、ついには暇になった。そんなに集中力も続くわけがない。
兄や騎士団長に声をかけ、護衛を連れて近くの森へ探索に行ったのだ。
「なんだかこの領地は、ずいぶんと妖精がいると思わない?」
「自然豊かですし、妖精が好む地形なのでしょうか」
「なるほど」
妖精たちのキラキラした光が多く見え、アレックスは護衛とそんな話をしながら歩く。しかし、あまりにもきょろきょろしすぎて地面からせりあがった木の根に躓き、盛大に転倒してしまった。 草に隠れて全く気づかなかった…アレックス心配する護衛をよそに、恥ずかしい気持ちもあったが、転倒した際に手のひらを草で切ってしまったらしい。深くはないが、圧迫すると血がにじむ。
護衛が治癒魔法をかけようとすると、妖精たちが急に集まってきた。
『だれだ?』
『ち』
『でてるう~』
『きしだんのでんか』
『きてる』
『こいつか』
集まってきたと思えば、突然妖精たちがしゃべりだした。アレックスも護衛も驚きを隠せない。妖精たちは光の粒子のままだが、不思議なことに声だけはしっかりと聞こえる。複数が集まって会話をしているではないか。
「殿下…おさがりください。妖精が会話をするなど…」
「いや、攻撃的にならないほうがいい。先ほど、この領地は妖精が好む地形、などと話しただろう。そのせいか」
妖精たちはアレックスの怪我した手に近づく。
『ララになおしてもらおう』
「…ララ?」
アレックスが誰の名だ?と思った瞬間である。草むらから一人の少女が出てきた。
木陰から漏れる太陽の光で、シルバーブロンドはキラキラ輝き、瞳はアメジスト。身なりは整っているので、いいところの令嬢だろうか。
護衛がアレックスの前からどかないので、アレックスはその令嬢を観察した。
「あら?騎士団の方でしょうか。道に迷われましたか?」
桃色の血色の良い唇が、丁寧な言葉を紡ぐ。
「わたくしは、アカシア辺境伯が娘、ララ・アカシアと申します。この森は騎士団の駐屯地と我が家の敷地でつながっております故。駐屯地までご案内いたしましょう」
ララは相手の返事を待っていると、妖精たちがララに群がった。
『ララ~けがしてる』
『おてて』
あらまあ、とララはアレックスと護衛を見比べた。そしてアレックスが手を隠していることに気づき、距離を詰める。敵意はないと判断したアレックスは、護衛に手をかざした。
「差し出がましいですが、治癒魔法を使ってもよろしいですか?」
「ああ。すまない。恥ずかしいが転倒したのだ」
「この辺は草が生い茂っておりますもの。お気を付けくださいね」
ララはアレックスの手を両手で包み込んだ。白くてきれいな手に、アレックスはドキリとする。一瞬で、ララとアレックスの手は暖かな光につつまれた。傷口が静かに閉じていき、擦りむいた跡すらも残らなかった。
「ありがとう」
「とんでもございません」
『ララ、よかったね』
『よかったね、でんか』
『よかった』
妖精たちが賑やかになる。しかし、妖精たちの会話の中に、不穏な単語が混ざっていたことに、ララは気づいたようだった。
「…殿下?」
アメジストがアレックスの碧の瞳をじっと見つめ、ぎょっとした顔になる。
「ああ、申し遅れたね。僕はアレックス・ジル・ネス。辺境伯の娘の君は、ゴードンから話を聞いてると思うけど…。兄と一緒に駐屯地へ来ているんだ。ちょっと暇を見つけて散策へ来たんだけど…」
アレックスは治癒で治った手を見つめて、バツの悪そうに微笑んだ。
「無礼な振る舞いを。申しわけございません」
「いや、いいんだ。ララと呼んでも?」
「もちろんです」
「これも何かの縁だ。アカシア領にいる間は、アレックスと呼んでほしい。もちろん僕に接する態度も、僕がいいっていうからにはもう少し気さくにしてくれないか」
「…ですが」
うっと詰まるララに、アレックスは強引に話を進める。
「ちょっと聞いてもいいかな。アカシア領はなぜこんなに妖精が多いの?そして、会話」
「どうやら、アカシア領は妖精に好まれる地形のようです。豊かな緑と綺麗な水。そのおかげで妖精たちはいきいきと生活していける、と。会話についても、同じような原理でしょうか…」
なんとなく濁されたように思うが、大人という責任者がいない場所で領地の妖精のことを多く話すわけにもいかないだろう。これは直接ゴードンに聞いてみよう、と思ったアレックスだった。
その後、二人は年齢も一緒ということが判明したことで、少しずつ会話が広がる。ララはアレックスと護衛を森の出口…騎士団駐屯地の敷地の方まで送り届け、そのまま別れた。
それから毎年アレックスは兄と共にアカシア領へ訪れ、時間を見つけてはララと逢瀬を重ねた。逢瀬と呼ぶにはとても青い、穏やかな時間だった。
そんなある日、ララはずっと、何か言いたげな顔をしてアレックスと森で会っていた。なぜか妖精たちも静かで、姿を現さない。アレックスは、ララから話してくれるのを待っていたが、気になりすぎて自分から聞いてみた。
「ララ、何かあった?」
「ええと、実はアレックス様にお伝えしないといけないことがあるのですが…」
ララは傍に控えていた護衛達を下がらせる。何か秘密の話だろうか。
向かい合って談笑していたララとアレックス。ララは離れた護衛の二人に会釈をし、ずいっとアレックスに近づく。
シルバーブロンドの髪が、キラキラ。目の前を揺れた。
鼻先をかすめる、彼女の香り。
「えっ、ララ?」
アレックスの耳元で、ララが静かにささやく。
「アレックス様なら、もうご存知かもしれませんが、わたし、妖精の愛し子なのです」
そこまで言い終えて、ララは適切な距離に座りなおす。
「…どうしてそれを、今僕に?」
そう、初めて領地を訪れてから2年。何度もララとこのように護衛つきで二人で会っていたが、なぜこのタイミングなのだろうか。ララはにっこり笑って、応えた。
「だって、アレックス様は妖精たちにも優しくって、悪いようにはしませんでしょう。わたしが特殊であると知っても、自分の良いように扱ったりはしない、そう感じたからです」
愛し子の存在は、王家と信頼のおける一部の貴族の重鎮たちが秘匿することになっている。しかも魔法で他言しないように誓約の魔法をかけているのだ。
「わたしからこのことを明かしたのは、アレックス様が初めてです。それだけ、アレックス様は、わたしにとって特別な存在になったということですね」
ほんのり頬を染めて、愛の告白のような言葉をさらりとつぶやく。これは…自覚有なのだろうか?いや、ない。特別な存在とは、特別な友人という意味だろう。そうか、友人か。アレックスは、ララの手をぎゅっと握って笑った。
「特別な秘密を共有することができたんだ。身分関係なしに、僕たちは運命共同体ってことだね」
「運命共同体…」
「そう。僕は君に害なす者から、君を守って見せるよ。今は年に数回しか来れないけどさ。僕の特別な人を護らせてね。」
ララは握られた手を見て、きょとんとしたが、はにかむように微笑んで肯定の返事をした。
そう、きっと初めて会ったあの瞬間から、ララは特別な人だったのだ、とアレックスは改めて実感した。
ララ「(…殿下ともなる立場なら、女性の手を握るのも容易いことなのかしら…)」
アレックス「(女の子の手を握ってしまった)」