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第18話 深夜の二人

 完全に日没を迎え、魔術館の中は静寂に包まれている。

 シエーナは客用の部屋の寝室の上で寝ないように座ったまま、夜がふけるのをひたすら待った。

 デ=レイも自分の寝室に入った。廊下から物音が全くしなくなってから、一時間ほどが経つ。


(お師匠様もいい加減、寝たわよね?)


 ゆっくりと寝台から降りると、袖をまくる。

 風呂上がりにデ=レイから借りた寝巻きがわりのワイシャツとズボンはあまりに長くて、裾も袖も余ってしまっているのだ。

 蝶番の軋む音をたてないよう、そっとドアを開けると、辺りをうかがいながら廊下を進む。

 ランプはなしだ。

 デ=レイを起こしてしまうとまずい。

 抜き足差し足、手探りで廊下の奥へ向かう。

 ここで働き始めてから、デ=レイに気づかれないように一階はあらかた調べていた。

 デ=レイは自分がこのドルー渓谷の魔術館の当主となってからの帳簿や契約書は、一階に置いてあるようだったが、先代のル=ロイドのものは見当たらなかった。

 まだ置いてあるとすれば、二階にあるに違いない。

 ちらりと入浴前に覗いたところ、二階にあるのは居間と書斎と浴室、それに寝室が二つだった。廊下の突き当たりの書斎が一番怪しい。

 どうか、ここにあってほしい。

 子供の頃に自分の名前をまだ拙い字で記し、ル=ロイドに手渡したあの一枚の紙を心の中に強く思い浮かべて、書斎のノブに手をかける。

 中は暗かったのでカーテンを開けると、外の積もった白い雪の光が柔らかく窓辺を満たし、目を凝らせば室内の捜索ができそうだ。

「ごめんなさい。失礼します」と手を合わせて小声で囁き、まずは机に向かう。

 鍵のかかっている引き出しはない。

 一番下の段から順番に開けていく。

 文房具に薄い冊子、そして術で使うガラスの小瓶たち。

 引き出しの中は色々なものが入っているが、契約書の束らしきものは見当たらない。

 机は諦め、壁伝いに設置された棚に照準を定める。

 最初に手を伸ばしたのは布に包まれた塊で、布を開くと古びた紙の束が出てきた。まさかこれかと息を呑んでめくるが、よく見てからがっくりと肩を落とす。

 どうやらル=ロイドが書いたらしき、料理のレシピだった。

 棚の真ん中に収められた大きな木箱を床に下ろすと、緊張に包まれながら掛け金を開ける。


(ここにこそ、あって。お願い)


 木箱の中はベルベットの布張りになっていて、価値のあるものが入ってそうだったが、一見して紙類はなさそうだ。

 うなだれながら中身に手をやり、下の方をよく見ようと上部に乗るハンカチをつまみ上げる。


(あら? この紋章、どこかで見たわ)


 ハンカチの角に刺された刺繍に、ふと意識がいく。

 盾の模様の上に、グリフィンと剣が描かれている。

 シエーナは眉根を寄せて、その紋章をどこで見たのかを思い出した。

 そうだ。

 父が血相を変えてシエーナの部屋に飛び込んできた、あの日。

 伯爵邸に何の前触れもなく、ハイランダー公爵が突撃してきた時。

 父はドアを破る勢いでシエーナの部屋に駆け込んでくると、まくしたてた。

「お、お前に、ファ、ファファッハイランダー公が求婚してきた」と。混乱しすぎて歯の根があっていなかった。

 発言内容を妄想かと訝しむシエーナに説明するために、父は窓の外を指差した。

 父の震える指の先を追うと、信じられないことに、イジュ邸の馬車止めには一台の異様に豪奢な馬車が停まっていた。

 その車体に取り付けられデカデカと目立つ黄金色の紋章が、このグリフィンと剣の盾だった。シエーナは窓辺で目を剥いた。


 この陰気なドルー渓谷の魔術館に、なぜあのハイランダー公の紋章が?

 首を傾げながらさらに木箱の中を探ると、華奢な香水瓶が出てきた。良く見ればその首の部分にも、小さくハイランダー公爵家の紋章が刻まれている。

 木箱の隅にきらりと光るものを発見し、つまみ上げる。眼前に翳して思わず呟く。


「まぁ、なんて綺麗なの。南の海のように透き通っているわ」


 アクアマリンだろうか。

 優しい水色に、引き込まれる。けれどカメオの原料になる貝が住む南の海から、沈没してしまった我が家の貿易船を連想してしまい、どんよりと胸中が暗くなる。

 契約書を探さないと、伯爵家の状況は今後どんどん悪くなるだろう。きっと、魔術によって繁栄がもたらされる前の、荒廃した屋敷に戻るまで。

 もうじき弟に待望の赤ちゃんが生まれるというのに。これ以上の転落は、あってはならない。

 棚に木箱を戻すと、作りつけの衣装棚の中も躍起になって探した。

 だが、見つからない。

 書斎にはないということなのだろうか。


 絶望的な気持ちになって、肩を落として書斎を出る。

 あと探していないのは、デ=レイの寝室だけ。

 そういえば、巷では庶民は金庫を寝室に置くことが多いと聞く。部屋数が少なく、そうしているのだとか。もしかすると、デ=レイもそうしているかもしれない。

 廊下を歩きながら、ピタリと足を止める。


(思い切って、忍び込んで探す……?)


 いやいや、無理だ。流石に寝室に忍び込むわけにはいかない。


(でも。きっと、ぐっすり眠っている……。もし、もしも契約書が寝室にあるのなら、今が探せる最初で最後のチャンスだわ)


 逡巡しつつも、体はゆっくりとデ=レイの寝室に向かっていく。

 手を伸ばせばドアノブに触れる位置までついに辿り着くと、シエーナは耳をそばだてた。

 寝室の中からは、物音ひとつしない。

 この扉の向こうに、契約書があるかもしれないのだ。

 この行動にイジュ家の生活がかかっている。生まれてくる赤ん坊を想い、幸せそうにお腹に手を当てるメアリーと、父を責めるために屋敷に詰めかけた荷主達の険しい顔が、脳裏に蘇る。


(家族のために、行くしかない……! 少しだけ。ほんの少しだけ探させて)


 シエーナは意を決すると、冷たいドアノブに手をかけた。

 ドアを開けると、まずは顔だけ中に入れ、さっと中を見回す。

 寝室のカーテンはしっかりと閉まっていて、目が慣れるまで何度か瞬きをする。

 寝室の壁の一面には本棚があり、真ん中にソファが置かれ、奥にあるのが寝台とサイドテーブルだった。

 サイドテーブルの上に飾られた一枚の絵画を目にした時、シエーナの心臓が跳ねた。

 飾られているのは肖像画で、見覚えがある人物だった。


(ル=ロイドだわ。出会ったのは一度きりだし、もう十三年も前のことだけど。間違いない)


 黒いローブを纏ったル=ロイドが、微笑みを浮かべてこちらを見ている。

 契約を都合の良い時点で強制的に終わらせようとする自分を、ル=ロイドが無言のうちに咎めている気さえする。

 シエーナは焦燥感に駆られながら、その下に置かれたサイドテーブルに照準を定めた。

 サイドテーブルには二段の引き出しがついていて、書類をしまっている可能性があるとしたら、それくらいかと思えたのだ。

 シエーナはドアを静かに閉めると、一歩踏み出した。

 床には非常に毛足の長い絨毯が敷かれていて、暖かい上に足音を消してくれる。

 心臓がバクバクと鳴り、痛いくらいだ。

 緊張のあまり、寒さにもかかわらず手のひらに汗が噴き出る。

 泥棒のような真似をしている。いや、真似どころか今の自分は、まごうことなき泥棒だ。

 寝台のすぐそばにいくと、デ=レイの顔がはっきりと見えた。目は閉じられていて、長いまつ毛の並ぶ瞼はぴくりとも動かない。胸は規則正しく上下していて、シエーナは彼が熟睡している、と確信した。

 慎重に膝を折り、サイドテーブルの前にかがむ。

 引き出しの取っ手に手をかけると、手前に引く。引き出しの滑りがあまり良くなくて、かすかに木と木が擦れる音がしてしまい、冷や汗をかく。

 ちらりと寝台に視線をやると、まだデ=レイは寝ていた。ホッと安堵の息をつく。

 引き出しの中は手紙やら書類がたくさん入っていた。

 もしや、と心を躍らせるが、どの紙も硬くて皺がなく、まだ新しいようだ。

 紙束の中に、子供のような可愛らしい字で書かれた手紙を見つけ、手が止まる。

 おそらく、デ=レイに治療してもらった子どもからのお礼状だ。

 こうして大切にとっておいてあることが微笑ましく、シエーナの口元が時と場を忘れて綻んでしまう。

 とてもプライベートなものを盗み見た罪悪感を覚えながら、紙束を引き出しにそっと戻す。

 そうして念のため確認しようと寝台の方へ目を向け、シエーナは凍りついた。アイスブルーの瞳が、はっきりと開いていた。

 デ=レイが、自分を見ている。

 さっきまで仰臥していたはずのデ=レイは、枕に肘をついて掌に頭を乗せ、横向きに寝転んだままシエーナを見つめていた。


「お、お師匠さま……っ」


 小さく叫んで、反射的にサイドテーブルから弾かれるように離れ、壁に肩をぶつけてその場にしゃがみ込む。


「君は一体、何をしているんだ?」


 どんな言い訳もできない。

 シエーナは壁際で座り込んだまま、完全に固まっていた。

 全てが終わった気がした。

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