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ハッピーエンド

作者: 河田

 目の前の窓枠の半分を占めるスカイブルーは、雲一つなく澄んでいる。そこに、赤い光が点滅しな横断する。あれが――――あれが墜落したら…… そう考えると、どうしてもこの黙考から抜け出せない。僕は今、人の死に敏感である。先刻からあらゆる考えが巡り巡って、必ず人の死に関する架空の出来事へと空想を帰着させてしまうのである。それは、僕にとって何か僕の曇った感情からくる、カタストロフィーではなく、僕の浮わついた、恍惚の、どこか悟った様な一念からくる、ハッピーエンドに近しいものであり、曇ったそれとは全く正反対に働く心機である。例えば、あの窓枠のもう半分を占める老朽のアパートを見る。アパートは古い木造建築で、どうやらベランダの数から察するに六部屋あるらしく、反対側の部屋を考慮しないのは、見るに相当縦幅のない建物であったからである。そしてどのベランダにも物干し竿が備えてあったが、そのどの物干し竿にも洗濯物の影はなく、それでもそのアパートに少なからず生活感が感じられたのは、きっとこのアパートの老朽さにあったに違いない。そして僕は思う。この老朽の館と物干し竿を見て、この館で一二人くらい縊死していてもおかしくはないよなと。さらに、鬼瓦に止まった、カラスを見れば確信する。家々の屋根であれば、カラスの一匹普通に降りてくると思うだろうが、生憎、縊死というのは飽くまでこれは僕の空想であり、都合のいい架空であるから、一応差し支えはないつもりだ。


 ――――――入ってみようかしら――――――


 例えば、僕の横で本を読んでいる女性。確か僕が此処に来る前から……… それはどうでもいい。彼女は、綺麗だった。眼鏡をかけた、知性を漂わせる雰囲気から、鼻筋の通る端正な顔と、控えめな臀部からスラリと伸びる美脚に、先とは違った恍惚を覚えた。とはいっても、この世は地獄も同然。古人曰く、佳人薄命。彼女もまたそのうち、会社のセクハラ、パワハラ、夫の不貞、親友の裏切りから、あの館にでも行って首を括るに違いない。しかしながら、それは致仕方のないことなのかもしれない。美というものは、儚さが概ね付き纏うものだから、美人の薄命はその美しさに弥が上にも美を加える様なもので、実際昔日の女優の若かりし麗らか、あどけなさの残る美しき姿を見ても、現在の劣化した、しわしわのみすぼらしい老婆と見比べるなら、よくない古今の念にたちまち浸るばかりでしょう。故に、美しいものには儚さが必要不可欠であり、彼女が夭折するのは何も惜しいものではなく、称せられるべき勲功ですらある。


 ――――――じゃあ僕が殺そうかしら――――――


 あら、綺麗な瞳。眼鏡を通して見るそれは、数奇を凝らした、高級な木材で拵えた、文房具の様な茶色の高尚さがあり、その茶の円を囲むのは、これまた綺麗なまなこで、その琥珀は、窓からの陽に照った白を滑らかに煌めかせている。ともすると、彼女は気味悪そうにどこかへ行ってしまった。どうやら僕は彼女を真正面から見つめていたらしい。ああ――――一発くらいヤらせてもらってもよかったかなあ………… 踵を返す彼女の芳香に、ついそんなことを思った。


 僕は、手持ちの本を仕舞い、図書館を出た。横断歩道を渡り、数百メートル先の高層マンションへ。つくづく思った。この街並み、幾度となく見たこの景色、こんなにも美しかったかしら。側の公園からする子供の声が。歩く僕を囲む人々の喧騒が。車と走行音が。冲天に据える陽が、そしてその陽を壮麗に囲む澄み渡った青空が。それら全てが、こんなにも美しく見ることができる。淡い。儚いよ。儚い……………… この街がこんなにも美しいのは、きっとこれっきりだろう。きっと、明日にはこの街も元通り、味気ない普通の街並みに帰っていくのかな…………………………………………………………………

 

 僕は、いつの間にか、マンションの屋上端で天を仰いでいた。雲を見つけた。燦々の、儚く美しい太陽の光を受けて、皓々と照り輝いている…………。 図書館が見下ろせた。僕は嘆息すると、今頃、窓枠の青空には、あの斑雲が館の天空に悠々と流れているのだろうと脳裡に、僕は身体を前傾した。

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