球界アスクレピオス
ちょっと強引な女神さま。
何も無い、真っ白な空間。
その中心にはぽっかりと穴があるように見える場所。
それは穴ではなく、何もない中に唯一存在する浮島のような場所だった。
何故か畳が敷かれた12畳ほどの部屋があり、壁も屋根もないがぼんやり明かりが灯っているのがわかる。
見れば宙には幾つかの暖かい光を放つ光球が浮かんでいた。
「…本当に女神様、なんですね。」
それらを見て、しばし呆然としていた俺は口を開く。
先程まで膝枕されていたのだが慌てるあまりに飛び起きてお約束通りに女神様とおでこをぶつけ合う仲になった、痛い。
「そうよ、私は女神ナスターシャ…若くして命を投げ捨てようとしていた優しい貴方を止めるためと、その優しさに報いるためにここへ呼んだの。」
「…やめてください、優しさなんて欺瞞だ、だれもかれも口ではお前は優しい、いつか幸せになる日も来るだなんて言ってましたけど現実は違う。神さまなら知ってるんでしょ、俺がどんなに食い物にされて…それでも道徳的であろうとした結果どうなったのか?」
「悲しい事、憂うべき事です…貴方は常に他者を尊重し、愚痴を言いながらも優しくあろうとした。それでも非道徳的な人に辛い目にあわされたのは知っています、辛かったですね…シン。」
悲しげな顔で、女神…ナスターシャは俺を抱きしめる。
ふわりと良い匂いがして頭がくらくらした。
「やめてくれ、そうやって俺を甘やかしたあいつは結局俺を裏切ったんだ、良く知りもしないあんたにそんなこと言われても信じられやしない。」
最後に俺を裏切り消えた女は最初、優しい顔で近づいてきた、けれど結局は俺を性欲のはけ口か、財布がわりにしかみていなかった。
「…貴方のような辛い経験をした人だからこそ、私は加護を授けようと考えています。」
「加護?それ貰えたら幸せになれるんですか?」
「残念だけどそれがあれば幸せになると言うものではありません、けれどその一助にはなると思います。」
正直疑ってかかっていた。
なんせあまりに話ができすぎている。
「…まあ、貰えるものは貰いますけどね。」
抱きしめられたままでいるのに気恥ずかしさを覚えてぶっきらぼうに肯定する。
「良かった、では…貴方のこれからに、新天地での生活に幸多からん事を。」
そう言って、ひときわ強く抱きしめられた。
身体の芯から温まるような穏やかな感触。
柔らかなナスターシャの肢体が衣服を通してもはっきりと感じられてドギマギした。
「な、あのっ…ちょっと?」
「契約の接吻です…球界アスクレピオスへようこそーー」
綺麗なエメラルドグリーンの瞳が近づいて、その桜色の唇が俺の唇に触れる。
啄ばむようなバードキスだったが、今までの暗澹とした気持ちが一瞬、どこかへ消えてしまったような気がした。
だが、待て。
今聞き捨てならない言葉が出てこなかったか?
ようこそだって?
何処へ??
あたりが突然暗くなり、周囲を星が流れていく。
流星が流れ飛ぶトンネルの中心に堕ちていくような不思議な感覚。
ナスターシャの気配は遠ざかり、光がキラキラと流れては消え、また新たに生まれる。
幻想的な光景だ。
やがて地球にも似た青い星が見えた。
その周りには土星の輪にも似たアステロイドベルトがまるで、杖の先についた宝珠を囲む二匹の蛇のように絡み合っている。
周りには星雲が見えるが、近しい星は太陽にも似た、しかしふた回りは小さな恒星が2つ。
月にも似た衛星もまた小さなものが2つ。
その光を身に浴びながら、俺の身体はアスクレピオスの地表へと重力に引かれて堕ちて行く。
それこそが俺、狭間真がこれから暮らすことになる異世界、球界アスクレピオス。
双頭の蛇と、それぞれ双子の太陽神と月の神に護られた惑星の全景だった。