#1 遺された贈り物
2066年 3月 28日 08:01
「LaLaLa~……」
六畳一間の部屋。
意思のない歌は誰に向けるでもなく、ただ虚空に向かって消えていく。
歌う声に力はなく、ほぼ無意識でつぶやく程度だった。
食事もろくにせず、息をすることと同じようにただ部屋でお経を唱えるように歌っていた。
「……もう朝か」
気づけば今日も、一晩中歌っていた。
凝り固まった首を鳴らして窓の外を眺め、朝日を浴びながら物思いにふける。
窓を開けると汚れた空気が鼻を突いた。
眼下のぼろ布を纏った物乞いを見れば、僕はスラム街に引っ越してきたのだと嫌でも認識させられる。
誰だって嫌なことが間近に迫ったとき「もうどうにでもなれ」と自暴自棄になったり、「明日世界が滅亡したらいいのに」とか思ったりするだろう。
僕も同じように、そう願った。
でも叶うわけがなかった。
受験に失敗した。
大学に行かなければ将来は絶望的で、僕の未来は終わりだ。
AI時代に人間がやる仕事はかぎられていて、職に就かなければもうまともに生きることができない。
「……負ける、もんか~。
……困難なんか、笑い飛ばせ~」
唯一、音楽だけが僕を救った。
映像で残る歌い手たちの動画は、僕に生きる希望を与えてくれた。
ここまで僕が歌を好きになったのは父の影響であり、往年の電子音楽である“VOCALO”の虜となったのも、もちろん父が元凶だった。
現実が嫌なら、目を背ければいい。
そう気づいてからは生きるのが少し楽になった。
しかしそんな矢先、これまでの辛い現実が可愛くおもえるほどの、もうひとつの絶望が襲った。
「……負け、る、もんか~。
高い、壁は……ぅ……っ」
父が亡くなった。
2066年、現代の医療技術を以てしても治らない、不治の病だった。
僕の人生の中で、父の姿は病院で見ていた時間の方が多い。
余命僅かになった父は1年ほど前から一切目を覚まさなくなり、そのまま亡くなった。
最後はわずかに笑みを浮かべているように見えた。
父はいつも優しかった。
ゲームやラノベが好きないわゆる“ヲタク”であり、そんな父に影響を受けて自分も同じ道を辿ることとなる。
そんな父が家族に遺したものといえば、莫大な借金だけだった。
一生涯かけてもとうてい払えそうにない額。
父の治療費として母はすべてをつぎ込んだが、父は助からなかった。
「負け……る、もんか……っ!
困難、なんか……うぅ……ぅっ!!」
込み上げる悲しさと悔しさは誰にもぶつけることができない。
嗚咽は響き、誰もいない部屋で虚しく消える。
しかし。
人生、幸運と不運は波のように襲ってくる。
もし今が人生の波のどん底であったなら――この幸運は必然だったのかもしれない。
「……ん?」
窓の外に大きな箱をぶら下げたドローンが飛んできて、開いている窓にノックを二回した。
僕はぼーっとしたまま、たぐり寄せられる操り人形のようにぬらっと立ち上がり、ドローンを部屋の中に招く。
ドローンはゆらゆらと宙を舞い、部屋の中心、先程まで僕がしゃがんでいた位置に大きな段ボール箱を置いた。
「なんだろうか……」
外まで見送った後、箱を恐る恐る確認する。
ドローン宅配で届いた荷物は、父に宛てた物だった。
ガムテープをはがし、段ボールを開けると……。
「――っ!?
これは、最新のゲームハード……VRセット。
でもなんでこんな高価なものが?」
箱の中に鎮座するのは、真っ白なVRゴーグル。
電極ケーブルが何本も繋がれており、ケーブルの先には身体の各所に貼るパッドがついている。
人類史上初、ゲームの世界の入り込むことが出来る機械が、コレ。
確か初回生産版は1000万機ほどで、滅多に手に入らない代物だった。
世界初の完全没入型VRゲームの正式なタイトルは「Different・World・Summons~異世界に召喚されし者たち~」。
巷ではDWS、ディワサー、リアル異世界召喚などと呼ばれ、何年も前から世間を騒がせていた。
ゲーマーはもちろんのこと、現代に生きる人類全員が、このオンラインゲームに注目を寄せていた。
……懸賞か何かで当たったのだろうか?
それとも余命の短い父に向けて、開発会社がテストプレイとして渡したのだろうか。
もしそうだとしても、サービス開始日から一か月は経つ。
テストにしては遅すぎる……何かの謝礼か?
うちの家族には買う金がないのだから、予約しての購入だけは絶対にしていない。
真相はもう分からない。
だが、僕にはこれが天国の父からの贈り物のように思えた。
借金以外に、唯一残してくれた希望の光。
――俺の分まで楽しんでくれ。
そう、言われている気がした。
◆◇◆◇
「無価値戦争」と揶揄される第三次世界大戦だったが、戦争は戦争。
戦争ということはつまり、科学技術が進歩するわけで。
とりわけ敵のミサイルを精密に空中爆破、迎撃するシミュレーションを行う技術には、莫大な価値があった。
――完全再現電脳世界『ラプラス』。
日本を代表する巨大複合企業『アンリミテッド社』が所有する国家規模のシミュレーションシステムは、もはや一つの世界だった。
重力から空気抵抗、空気成分から原子配列までのすべてが、地球の現実世界の状態とまったくおなじモノを再現。
理想状態ではない不完全な現実を、だ。
その世界にてなんども試され計算しつくされた兵器が、じっさいに現実世界で使用された。
日本はその技術によって大国と勝負できたといっても、過言ではない。
なんせ未来を予測するびっくりどっきりメカだ。
国民は一切徴兵されず、言葉のとおりの「上の空の出来事」だった。
民間人がゆいいつ悩まされるのは、日夜鳴りやまない上空の爆発音による睡眠不足くらい。
そんな超科学のシステムが、戦争の終了とともに手持ち無沙汰になった。
ここでただで終わらないのがアンリミテッド社。
既存のVR技術を応用し、その世界にトリップできるようになれば面白いんじゃね? という発想のもと、このゲーム――「Different・World・Summons~異世界に召喚されし者たち~」が生まれた。
“人間が想像した物事はいつか必ず実現する”とはよく言うが……まさか異世界転生まで現実にできるようになるとは、数十年前の人類は想像もしなかっただろう。
「プレイ、しようか」
この日を僕は一生忘れることがないだろう。
ARゴーグルに手を伸ばし、インターネットを起動する。
「サービス開始から時間も経ってるし、しっかり下調べしてからログインするかぁ……」
数年前まではテレビをはじめとした報道、3ちゃんねるのまとめサイトや、個人的見解をまとめたブログ、大手SNSサイト、そしてもちろん公式サイト、ありとあらゆる情報を収集していた。
しかし受験を機にこれらの情報の一切をシャットアウト。
父が亡くなったことのショックで、サービスが始まってからのこの一か月すら、なにも見ていない。
世間がVRゲームに騒ぐ中、父の死はよくあることとして片づけられる。
しかし最もつらいのは、かねてより待ち望んでいた父自身だろう。
「……いや、攻略情報の検索はやめとこう。
まだ誰も見つけてないスキルがあるかもしれないし、見ないほうが固定観念に縛られなくなる」
検索に伸びた手を引っ込める。
とはいっても自然と目につくくらいには、様々な媒体に広告が出ている。
どうやら今はレイドボスの龍の魔物が押し寄せているらしく、DWS初大型イベントの開催中らしい。
だが、今日が最終日ときた。
間に合えば参加したいが……無理だろうな。
「開始に遅れたなら、いまさら追いつくのもかなわないだろうし。
自分なりにゆっくりやっていくか」
4年前、終戦とともに開発される発表があったあの日から、僕は常に情報を渇望した。
このゲームがどのような仕組みでVR世界にダイブできるのか、どういった世界観なのか、何をするゲームなのか。
夜寝る前の、妄想を膨らませる時間が毎日の楽しみで、ずっとプレイしたいと願っていた。
参加権がまさか、このような形で得られるとは思ってもみなかったため、幸運の一言に尽きる。
サービス開始以前の最も重要な情報は、ただ一つだけ。
社長兼GMの神崎によるこの言葉だった。
『ガチャ? ランダム? 運要素? ユニーク? チート称号? ぶっ壊れ種族?
この世界にあるわけがないッ! 努力は報われる、それこそがゲームの醍醐味だろう。
どのスキルも習得できる可能性があり、どんなスキルでも活躍できる可能性を秘めている。それらはぜひ自分で見つけてほしい。
――最後に。
世界を崩壊に導く【魔王】が王国に迫っている。轗軻なるゲーマーの諸君よ、大志を抱け。
……10億円の争奪戦だ』
◆◇◆◇
今一度、部屋を見渡す。
教科書とラノベを詰めた本棚。
どれも貴重な本物の紙の本だ。ホログラムインテリアじゃない。
「やっぱ紙の本が一番なんだよなぁ」
余談だが、ホログラムインテリアとは、部屋にプロジェクションマッピングのように投影する家具のことで……それもまたアンリミテッド社が開発したメガヒットデバイスの一つ。
前時代の携帯電話やスマホ、ARゴーグルのように“当たり前”になったアイテムだった。
「SA〇、GS〇、〇グホラ、デンド〇、シャンフ〇、極振りシリーズ……。
どれも僕の青春の1ページだ」
公開された情報があまりにも少ないため予習のしようもなく、けっきょくはVRゲームを題材にした創作物ばかりを読み漁っていた。
父は祖父から受け継いだものらしく、次は僕が受け継いで大事にとってある。
あとはベッドと勉強机。
それくらいしかない、殺風景なたった六畳の部屋。
僕はカーテンを閉めてベッドに横たわり、かのゲーム機をコンセントに接続して、頭からすっぽりと被った。
各種パッドを身体のあちこちに張り付け、イヤホンを耳に差し込む。
ほどなくして、機械の合成音声が頭骨に響き渡る。
《――神経接続10%……――》
頭蓋骨と鼓膜を刺激し、聴覚神経に訴えかける機械音声。
この声が、ゲーム全般のシステム音声なのだろう。
「ついに……ついに始まるのか……」
目を瞑り、呼吸を整える。
見慣れた六畳間から異世界へ飛び込む、心の準備も整える。
《――神経接続50%……――》
あぁ、ついに、待ちに待ったVRゲームか。
だんだんと体の感覚がなくなっていく。
「あぁ……来る……来r……」
しだいに呂律が回らなくなり、言葉も発せなくなる。
視界が歪んで、白くなった。
瞼や口を自分で閉じれなくなる前に、すぐに閉じた。
体の感覚は着々と失われ、自分という人間が思考そのものになる錯覚を覚える。
眠りに落ちるようだ――VRの原理といえば、浅い睡眠であるレム睡眠状態で、ゲームの夢を見させるような仕組みのため、この感想は正しかったりする。
文鎮のように固まった体は、ログアウトするまではもう自分の意思で動かせない。
思考は常に回り続ける。
現実よりもリアルなゲーム……。
それは一体、なんなのだろうか。
《――神経接続100%到達――》
ついに、心臓の鼓動と息をしていること以外、何も感じなくなった。
手足の感覚が失われ、目を開けても閉じても何もない。
……というか、開けているのか閉じているのかすら分からない。
多分、瞼すら動かせていないのだろう。
呼吸をしているのに、呼吸音が全く聞こえない。
布団のかび臭い匂いすら、感じられない。
何にも、無い。
死ぬって、こういうことなのかも。
もし神経接続に不備があったら……。
そう思うと、途端に恐怖が全思考を支配した。
時間にしたらコンマ一秒にも満たない。
だが、感覚神経と運動神経が全て途切れた今が、永遠に感じた。
――もう、だめだ、発狂しそうだ。
でも発狂できない。
あぁ、あああぁ、ぁぁぁあああ!!
一体、どうなるんだ……!!
《――GAME START――》