#14 脳漿炸裂ソライム
2066年 3月 29日 00:35
~{南エリアNo.1:はじまりの草原}~
「<重唱>によって、<歌唱>の効果は重複する。
<重唱>の効果には隠された力があるんだ」
20世紀の天才物理学者といえば、誰もがあげる名に「アインシュタイン」がいるだろう。
相対性理論を考案した、舌を出している絵で有名な、あの人物だ。
彼は物理学の数々の常識を覆した天才学者であったが、不思議でおかしくも有名な話がある。
アインシュタインは物理学者ながら、賞賛していたものがある。
“人類最大の発明”、“宇宙で最も偉大な力”と彼が賞賛していたものは……どんな物理法則でも、天才的発明でもなかった。
非常にシンプル、かつ凄まじいもの。
それこそが――“複利”だ。
考えかたじたいは古く、起源をたどればローマの時代の法にも見つかっている。
だがアインシュタインは近代化と産業革命がすすんだ20世紀に、あ《・》え《・》て《・》この言葉を残した。
それはなぜだろうか……。
こんな話がある。
とある小さな国家は、他国から金を借りるさいに「たったこれだけ?」と思うほどのわずかな利息を“複利”で承諾し……のちに国は崩壊した。
利息を払えない額になったところで、貸しつけられた国に従属し、小さな国の王はその他国の一般人に成り下がった。
それと、こんな話もだ。
幼い英雄が武勲をあげた。
その功績が認められ、王に謁見したさいに彼は「米を10粒、麦を10粒だけ、毎日頂きたい。ただし毎回10%ずつ増やして欲しい」と願った。
王は「そんなことでいいのか」とこころよく承諾したが、数年後にはこの約束を後悔することになる。
やがて英雄は、王との約束を破棄するのを条件に、その国の姫君を嫁にしたという。
膨れあがる利息を払いきれなくなった債務者が潰れる、あのよくある闇金の話も、たいていこの“複利”が関わっている。
単利、複利。
単利とは、元本にだけ利息がつく。
だが、複利は利息にも利息がつく。
「今回の場合は、こんな計算式だろう。
ステータス計算がこんな単純だとは思ってもみなかったけど」
ここに、STR《筋力》を10%上昇させる<歌唱>というスキルがある。
効果を受ける僕のSTRの初期値|(元本)は、10だった。
これに<歌唱>を90回かけると……。
――もし単利ならば。
元本にのみ利息はついていく計算のため、元本10の利息分である上昇値1が、<歌唱>をつかった回数90回分だけ足される。
最終的な値は100となる。
――しかし、複利ならば。
元本に加えて、増えていく利息にも利息がついて増えていく。
たった1度の歌唱では、単利と変わらない。
だが2度目の<歌唱>からは、元本10の利息分1を足した、11の10%……1.1が利息となる。
これを90回続けると……1.1倍の90乗がバフの倍率となり、最終的な値は――53130だ。
「ふぅ~、ようやく納得がいった。
これは……使えるね」
のどにつっかえた小骨がとれたような気分だ。
もし銃を持っていても、暴発しては意味がない。
使い方を理解して、正しい用途を守るなら、これ以上にいい武器はない。
「あと10回だけでも増やせれば、最大で13万超えのSTRが実現できるんだろうけど。
おそらく……息継ぎやら曲の合間があるせいで、ちょうど3分で歌えていないんだよな、たぶん。
あー、あともう少しだけ上げたい!!」
限界値を目指したくなるのは、ゲーマーの性。
かゆいところに手が届かず、そこをなんとか達成したいと考えるあたり、もうこのゲームにすっかりハマっている証拠だ。
「これに<増筋の付与>も合わせたら、きっとえぐいことになるぞ……ふふ、ふふふ」
マーティンは知らなかった。
余りあるステータスは毒にもなることを――。
◆◇◆◇
時刻はすでに真夜中。
ゲームのゴールデンタイムでエリアに溢れかえっていたプレイヤーたちは、日付を超えた辺りからだんだんと減っていく。
遠くに見える荒原には、うごく骨格標本の群れが闊歩している。
夜限定の魔物とか、そういったところだろう。
《――<鷹の鋭目>が習得可能になりました――》
《――<鑑定>が習得可能になりました――》
「あれはスケルトン……いや、“スカルトン”か。
だれもあれを狩ろうとはしないってことは、そうとう強いのか、それとも弱すぎるのか……理由があるんだろう。
あ、また転んでる」
ほとんどのプレイヤーは素通りしていき、足の遅いスカルトンはその場に取り残されている。
エリアが違うからか、歌っているあいだに襲ってくることはなかった。
「そしてここ草原には、あのRPGお決まりの魔物、ね」
エリアNo.1、はじまりの草原。
初めての関門である粘着系魔物――このゲームの名称では「ソライム」といったか。
草原に擬態して分かりづらいが、星がきらめき、その光に反射する魔物がゆっくりと蠢いている。
ブルブルっと震え、ときたま跳ねる。
むこうから攻撃してこなかったのをみるに、好戦的なタイプではないらしい。
「このゲームのスライム――じゃなかった、ソライムは思ったより大きいな。
あの大きさだと1メートルはあるんじゃないか?」
ぼーっと眺めていると、そのソライムに群がっていくプレイヤーがちらほら。
街道から飛び出して、一直線で駆けつけている。
ものの数秒で5人ほどが一か所に集まり、手に持った剣でソライムをタコ殴りにし始める。
「おら、おら!」
「喰らえ、ふんっ!!」
彼らは鉄剣を振り上げてはおろし、渾身の力で滅多打ちにする。
“斬る”というよりは“叩きつける”のほうが正しいだろう。
アバターはやけに美形であるのに、その行動からはサルが狂ったようにしか見えない。
笑みを浮かべる者、目をかっ開いて真顔で撃つ者。
全員が初心者の服を着こんでおり、自分と同じ初心者のはずなのに、武器で殴るのはそうと思えなかった。
「うわあ……。
さすがにあれは……やりすぎでしょ」
ソライムはヌルヌルの体で、うまく勇者の攻撃を受け流しているように見える。
当たっているが、あまり効いていない。
そのあいだにもどんどん人は集まってくる。
「くそ、俺がさきに見つけたんだぞ!」
「うっせえ! 早いもん勝ちだ!」
1分もしないうちに、ソライムを10人がかりで隙間を縫ってリンチする壮絶な光景ができあがった。
お互いがお互いを押しあって、我こそはとソライムに手を伸ばす。
さすがに10人からの一斉攻撃はソライムでも耐えきれなくなり、光の粒子になって霧散していく。
「むこうに沸いたぞー!」
「かかれー!」
また違う方でソライムらしきものが見えると、作物を喰い荒らすイナゴのように一斉に移動して、新たな獲物をフルボッコにする。
「おなじ初心者なのに、躊躇とかないのかな……」
敵は魔物、ぼくらを殺そうとする存在だ。
なのに恐れずに立ち向かうなんて、肝が据わっている。
仮にも、現実では世界一平和な国に生きる人たちなのに
それどころか優しさなんてものはなく、見つけたら我先にと殴り掛かるプレイヤーたち。
日本の単一サーバーしかないため、日本人が多いはずなのだが……ゆずり合いの精神なんて皆無だった。
「よし!
まずは検証もかねて、ソライムから倒してくか」
ぷるるんと震えるソライムが、また一匹リポップした。
距離は50メートルほど。
「よし、あいつに決めた!」
目標を定め、はじめてのまともな魔物討伐に意気込む。
鉄剣を握りしめて、ソライムに振り下ろすイメージトレーニングを何度かおこなう。
決心がつくと足に力をこめて、駆けだそうとしたが……ソライムに向かって思い切り地面を蹴ったそのとき、上昇しすぎた筋力は暴走を起こす。
「あれ――!?」
ぐっとアバターが前に押し出され、前方に発射される。
からだは前傾姿勢にバランスを崩す。
轟、と空気が揺れた。
まるでロケットスタートを決めるがごとく、身体は吹き飛んだ。
踏み込んだ地面にはクレーターをのこし、風圧は草原の雑草を一掃する。
視界は目まぐるしく変わり、あの【転移水晶】を使用したときよりも、はるかにコマ数の多い鮮明な早送り映像が視界に流れ込む。
「ぐぁ、足が――」
ステータスとは、身体能力を数値化したものである。
例えばVITのみが高すぎれば、身体の異常な鈍重化により、最終的にその場から動けなくなる。
AGIのみが高い場合は、体重の減少によって身体がうまく操れなくなり、最終的に風で飛ばされるほどになる。
そして……STRが突出して他が低すぎると、筋力の異常量で身体を操れなくなり、最終的に――自己崩壊を招く。
「と、止まれ――――っ!!」
意思に反して、身体はまえに飛ばされる。
ソライムめがけて勢いはいっさい緩まず、等速直線運動で地面と水平に、吸い寄せられるかのように飛ぶ。
そして……。
「危な――」
『ポヨ――』
正面衝突。
ソライムはすっ飛んできた僕に、驚く間すらなかっただろう。
このままじゃまずい、と思ったときにはもう遅い。
しかし身体の強度は、僕の方が何倍も硬かった。
――ベチャっ、と軽い音だけが聞こえた。
《―― ソライム を討伐しました ――》
《―― 1Gを獲得しました ――》
《―― 2経験値を獲得しました ――》
《―― 【空色の粘液】を獲得しました ――》
ソライムは爆発四散。
僕の身体のカタチに穴が開いて、そのまま光のポリゴン片となって消えていく。
しかしそれで終わりではない。
「止ま――グハッ」
ソライムを轢いたあとも勢いはとまらず、数十メートル過ぎたところで地面に足がつく。
そのせいで足が引っかかり、バランスを崩して転倒、しかし勢いは殺せず地面に何度かバウンド。
ソライムを潰した勢いのまま、5、6回ほど転がって叩きつけられたあと、顔面から地面に釘のように刺さってようやく止まった。
《――<自傷軽減>がLv.3になりました――》
《――<自傷軽減>がLv.4になりました――》
《――<亀の鈍皮>がLv.2になりました――》
《――<亀の鈍皮>がLv.3になりました――》
「ん……っぷは!!
い、痛い……。
吐きそうだ……」
三半規管がぐちゃぐちゃになるくらい転がったせいで、気持ちが悪い。
腕や足の骨は折れ、両足はへんな方向に曲がっていた。
アバラも何本か逝っているだろう。
さいわい、首の骨だけは無事だった。
瀕死の重体なのにふつうに話せるあたり、痛覚カットは偉大な機能だと再認識した。
「うわ、HPが残り1割だ、しかも全部自分のせいって」
ログを確認すると、やはりソライムから受けたダメージは0。
この惨状はすべて自傷ダメージだった。
「これは……やばいな」
後ろをふりかえると、その光景を見て絶句する。
飛んできた軌跡はわかりやすく、100メートルは続く剥げた道ができあがっていた。
周囲の草は押さえつけられたようにしなり、ソライムの粘液があたりに飛び散っている。
服や顔にもソライムの粘液はべっとりとついて、土や草と混ざり不快だった。
「とりあえず回復しないと……アイテムストレージ、【回復ポーション・下】!」
緑色の液体がはいったビンを具現化させ、ぐびぐびっと飲み干す。
味は……すこし苦い、うすい青汁のようなものだった。
1本につき体力は10%ずつ回復し、9本を使い果たしてようやくHPは満タンにもどる。
「回復薬はのこり1本。
これは……練習が必要だな」
さいわい、エリアのはじということもあり、ソライムの周りにプレイヤーはいなかった。
もし他プレイヤーに当たっていたらと思うと……ゾッとする。
「歌いながら徐々に身体を慣らしていくしかないか。
目標はMAXでのステータスに慣れること、と」
ステータスの値を確認すると、STRの値は43909まで落ちている。
<歌唱>の数がたった2回ぶん減るだけで、1万も変化するとは。
ふと、ザヴォルグさんが言っていたワードを思い出す。
「ザヴォルグさんは『<歌唱>はクソみたいなスキルだ』って言ってたけど、”弱いスキル”とは一言もいってなかった。
もしかして……強すぎるがゆえにってことか?」
この惨状を見れば、たしかに誰もがこぞって<歌唱>を使えばこの電脳世界はあっというまに崩壊するだろうと納得できてしまう。
しかし、引っかかる点もある。
「勇者には使ってほしくなかった……。
でも、勇者を強くするのが、あのネイティブの仕事のはず……」
元からこの世界にいたネイティブが、実は<歌唱>は育てると強いという事実を、知らないわけがない。
だがネイティブがどう考えているのであっても……もう知った以上、僕はこれを使わずにはいられない。
「ぜったい使いこなしてやる……!」