#12 グレンの決意
2066年 3月 28日 19:05
~{王国:南ギルド会館}~
静かに酒をあおるグレン。
頭のなかにぐるぐるめぐる事はただ一つ、さきほどの公開試合。
――自分が馬鹿にした奴にやられた。
しかも、大勢の観客の前で。
それだけでも三回は腹を斬れるほど恥ずかしいというのに、腕が無くなったショックで取り乱してしまい、感情の暴走でログアウトした。
グレンがそれで逃げ出したのは、初めての魔物との戦闘以来のことだった。
「俺はビビりじゃねえ……強えんだ……。
俺はランキング5位の男なんだ……」
いつもなら、グレンが飲んでいるところに人は集まる。
それも一人ならばなおさら。
グレンとお近づきになりたい人はごまんといるのだ。
しかし、ぶつぶつと詠唱のように呪詛を唱える姿は、だれもが近寄りがたかった。
しばらくして、一人のプレイヤーが同じテーブルにやってくる。
ジェイやヒスイの代わりにその場に現れたのは、このゲームの世界では珍しい、黒髪の騎士だった。
この男こそがクラン【天賦零騎士団】の創設者であり、個性も我も強い騎士たちのまとめ役――クランマスターである。
無名のクランがここまで人気になったのは、ひとえにクロダの天才的な指導と戦術と手腕のおかげであった。
「どうしたグレン。
今日は大変だったそうだな」
「あぁ、クロダさんか……」
クロダと呼ばれた黒髪の騎士は、彼のとなりの席にドカッと座ると、大ジョッキとターキーを一つずつ注文した。
大柄な男だが顔にはシワが多く、老齢の騎士を模したアバターになっている。
アバターはしょせん作り物のため実年齢は分からないが、その一挙手一投足が自信に溢れていて、中身の年齢は相応に見えた。
「話はジェイに聞いた。
まさか、イベントの一位が寄生だったとはな。
あの不遇スキル<歌唱>を使ってあんなことができるなんて、我も驚きだ。
仕様の穴を突くなんて……まったく、よく気づいたものだね。
どおりであの後すぐにメンテナンスが入ったわけだ」
わずか1分のメンテナンスの内容には、スキルの修正というのが含まれていた。
そこには<歌唱>についての文言も記載されていたはず。
誰も使わないスキルだったがゆえに、これまであまり修正されていなかったらしい。
しかしクロダの話は、グレンに一切届いていなかった。
机に頭を打ちつけて嘆くグレンに、昨日までの自信家の面影はいっさいない。
「このイベントのために、俺らがどれだけ必死に努力したか……どれだけ必死にやってきたと思ってんだッ!!
2週間、死ぬ思いで一日20時間ログインして、あのバケモンと戦い続けてきたんだぞ!?」
「ああ、我らは頑張ったな。それは運営も知っているはずだ」
「苦痛、熱さ、ストレス……この気持ちが、あの小僧に分かるかッ!!」
またも突き立てた拳は、テーブルを真っ二つに割る。
クロダはそれを察して、彼の飲みかけのグラスをすっと避難させたため、床が汚れることはなかった。
遠くでウェイターが「2個目ぇ……」と嘆いているのを、クロダは憐みの目で会釈し、ジェスチャーで謝った。
しかしグレンの不満の吐き出しはまだ終わらない。
「それを『たった一度歌っただけで抜かしちゃいました』だってェ?
ふざけんなッ……ふざけんじゃねぇ……ッ!!」
このゲーム内の酒に、人を酔わせるデバフはついていない。
DWSはこれでも全年齢対象のゲームのため、脳に直接そんな危険な信号を送り込めるわけがない。
これは彼が雰囲気に酔っているだけだ。
「ここは……ここは、努力が報われる世界じゃなかったのかよ……ッ!!」
男がむせび泣く声は、酒場の喧騒に紛れて消える。
割れた机に突っ伏して、おめおめと泣く中年男性のすがたは、哀れだった。
クロダはそっとグレンの肩に手を置き、厳しい一言を言い放つ。
「小さいことを言うな、グレン」
まさかクロダが友人を慰めようともせず、逆に突き放すようなことを言うなんて思ってもみなかったのだろう。
グレンは泣くのをやめてクロダを睨んだ。
「く、クロダさん……ッ!
まさか、あいつに片棒担ぐっていうんですかッ!!
あのズルをした寄生野郎によ……ッ!!」
「いいや、違う。
冷静に考えるんだ」
怒りを訴えるグレンに、クロダはただ理性的に、淡々と事実だけを述べる。
「我らのクランは、たった一か月でここまで成長した。
いまやプロ集団とも肩をならべるほど、有名なクランの一角だ。
それを傍から見れば“ズルい”と思った者もいるだろう」
「たしかにそうだが……いやッ!
俺らは努力していましたッ!!
でもアイツは……アイツは、何の努力もせず、あの力を手に入れたんですよ……ッ!!」
「ズルいのは事実だろう。
しかし、手に入れるかどうかは運だ。
我らよりウンと努力をしても、芽も出ず、花も咲かず、誰にも知られないで終わる人間がいったい何万人いると思う?
上を見るんじゃない、下を見ろ。
お前は恵まれているんだ」
「でも……でもよォ……!!」
納得がいっていないグレンに、クロダは追い打ちをかけるように畳み掛ける。
口調は厳しくなり、声のトーンは険しくなった。
「それよりも重要なことがある。
運がいいとか悪いとかはどうでもいい。
問題は、その恵まれた地位や力の使い方だ」
これまで笑顔を浮かべていたクロダだったが、グレンの態度が変わらないことを理解すると――心を鬼にした。
ターキーを運んできたウェイトレスが「ヒィっ……」と声をあげてしまうほどには、彼の表情は怒りに染まっていた。
「その地位を、力をもって、お前は今日何をした?
ぼったくり店主を殴った、不正をした者を怒鳴りつけた……と我はジェイたちから聞いている。
これが果たして、正しいと思うか?」
「それは……」
「我らは現実では、ただの一般人。
リアルじゃ、うだつの上がらないサラリーマンや、君みたいなニート。
その鬱憤を、力を得たこの世界で晴らすとは、いったいどういう了見だ?」
「…………」
クロダの厳しい追及に、黙ってしまうグレン。
目をそらし、ことばを脳内で反芻してよく理解する。
そして、ようやくグレンは落ち着いた。
「……そうだ。
お、俺は……なんてことを……ッ!!
自分のした行いに気づいたグレンは、顔を青ざめる。
涙が頬をツーッとつたい、後悔の表情をクロダに向ける。
「これじゃあ、クズみたいな資本家と一緒じゃねえか……。
ああ、俺としたことが……まさか権力に狂っちまうなんて……」
「分かってくれたなら、それでいい」
おいおいと声をあげて泣くグレンは、まるで子供のようだった。
それを見たクロダはやりすぎたと反省しつつ、声をかけ続ける。
「人生とは波だ。いいこともあれば、悪いこともある。
やつにだって、必ず落ちぶれる時が来る。
そのときが来れば、お前のいらだちや嫉妬も、少しは晴れるだろう。
しかしそれは、私たちにも訪れることだ」
クロダは顔を寄せ、泣いたグレンにしっかりと意志を伝えるように、真正面に移動する。
「いつ落ちぶれてもいいよう、常に謙虚でいるんだ。
『驕る平家は久しからず』というだろう?
いつも心に余裕をもつんだ」
「クロダさん……俺、俺……」
「そこまで自分を責めるな。
ここから変わればいいのだから」
優しいクロダの口調は、よけいに彼を惨めにさせた。
グレンは泣き止むことはなく、ついには机に顔を伏せてクロダの言葉をかみしめていた。
「マーティンといったかな?
彼にも教えてあげたかった……」
そう呟いたあと「勘定を」と言ったクロダが、お金を残して酒場をあとにする。
去り際に、彼は思い出したようにグレンをいじった。
「そうそう、今回は安全エリアでログアウトしてよかったな!
また我らがお前を運ばなくてよかったぞ」
「う、うるせェな……ッ!」
安全エリアではなく、フィールドでログアウトすれば、アバターだけがこの世界に残る。
待っているのは無抵抗なままの死だ。
魔物との初戦闘のときは、勝手にログアウトして動かなくなったグレンの身体を、クロダとヒスイとジェイの3人が必死に運んで王国内に入れた。
そんな恥ずかしいすがたを披露しなかったぶん、まだ不幸中の幸いだろう。
またひとり残ったグレンは、ひととおり泣き止むとビールの最後の一口をグッと飲みほす。
浮かべた涙に、どんな感情をこめていたのだろうか。
ばっと勢いよく席を立つと、ウェイトレスに勘定を多めに支払った。
「これは今日壊しちまったテーブル代だ。
すまなかった」
力ある者は、力なき者を助ける、それが力を持った者の宿命。
力を振るうのは、同じ力がある者に対してのみ。
アニメのような臭いセリフだが、そのルールを作ったのは紛れもない自分自身だったからこそ、グレンは落ち込んでいた。
ギルドを出て、真っ赤な夕日を目にしたとき……彼は決意を固めた。
「――だがやっぱり、許せねェ」