#2 化身作製
2066年 3月 28日 11:02
~{回廊}~
自分の部屋がある。
ベッドに寝たまま、床が、壁が、天井が崩れていく。
高層マンションの自室を覆う全ての壁がとり除かれた外には、外の世界ではなく、白い背景が広がっている。
数秒も経たないうちに全てがボロボロ剝がれて、視界が自分以外は何にもない真っ白な空間に切り替わっていた。
もちろん、これもVRの演出。
まるで眠りから覚めたような感覚だ。
だが、意識ははっきりとしている。
何もない空間に、1人の人間らしきカタチがいた。
いや、今出てきたはずだが、最初から居たのではないかと思うほど全然気づかなかった。
白いベールのようなものを包んでいるので、顔が見えない。
『はじめまして、ようこそ。VRゲームの世界へ。
いきなりで、混乱しているでしょう。
ここはまだ転移後の場所ではありません。
貴方様のリアルの世界と、ゲームの中の電脳世界を繋ぐ、廊下のような空間。
ゲームのロード画面、といった扱いでしょうか。
私はその案内人。導き手とでもお呼びください』
その人は語りかけてきた。頭の中に。
テレパシーのようなものか?
透き通っていてきれいな女の人の声だ。
おそらく……先程までのログインのカウントダウンをしていたのは、彼女の声だろう。
『それではまず初めに、こちらの誓約書。
貴方様のマイナンバー、氏名の電子署名の記入をお願いします。
本規約に同意し、規約を遵守していただかなければ、弊社のサービスをご利用いただくことはできません』
コンダクターがそう言い終えると、空から一枚の羊皮紙と羽ペンがゆっくりと降ってきた。
ちょうど胸元で制止し、細かな文字で描かれた文章が羊皮紙から浮かび上がる。
内容はいたってシンプルかつ大量。
ゲームとしての誓約書としては、従来の物と変わらないよくある同意書だ。
外部ツールでの干渉をした場合は法的措置もあるとか、ある違法行為でペナルティを受けたプレイヤーはアカウントが凍結とか。
だが、最後の一文。
赤色で書かれた文字は――。
“ゲームプレイ中に起こった身体的、精神的問題は全て自己責任であり、弊社は一切の責任を負いかねます”
プレイ開始を控え、このゲームを待ち望んだプレイヤーを怯えさせる、余計で、大事な一言。
もしも神経接続型ゲーム故に現実世界の体に障害が残ろうと。
もしもリアルすぎるゲーム故にストレス障害を負おうと。
それはすべて自己責任とされる。
「もし何か事件が起これば、この契約も意味をなさないとは思うけど……」
それでも同意すれば並大抵の不都合には目を瞑ることになる。
ごくっと飲み込んだ生唾の音が、コンダクターと誓約書とペン以外何も無い部屋に木霊した。
『私たちはデータを集めています。
あなた方はこれがただのゲームだと思っていますが、私たちとっては重要なビックデータの収容所なのです。
ゲームをやる人は穀潰し。時間を無為に過ごす、怠け者たち。生産性のない役立たず。
……そんなふうに思われていたのは、昔の話です。
あなた方が1時間プレイしていただくだけで、膨大な脳のデータが集まります』
「……今さら怖気づいて、どうすんだよ」
導き手が説明をしてくれているのも聞き流して、迷いを断ち切るようにペンをぐっとつかみ、震える手で書き込んだ。
なに、日本を代表する大企業、さらには国家が後ろ盾となっているゲームだ。
僕に残された最後の手段。
このゲームで一発逆転。
ゲーム内で金を稼ぎ、あわよくば魔王を倒して一攫千金。
何不自由ない、人並みに幸せな生活を取り戻すのだ。
最後の名前一文字を書き終えてペンを放すと、誓約書と共にスーッと上へ吸い込まれていった。
『ご記入ありがとうございます。
次に、キャラメイクを行います。
初めに貴方様がゲームで使用するお名前を教えてください』
今度は眼前にキーボードが現れる。
半透明で奥が透けたキーボード。
ひらがな、カタカナ、漢字だけでなく、英語やアラビア語など、あらゆる言語が入力できるようだ。
「そうだな……」
どうせなら、なじみ深い名前がいい。
「Martin」で、どうだろうか。
かの有名な音楽家や歌手も同じ名前だ。
父が好きだった映画の主人公もこの名前だった。
宙に浮いたキーボードは、視線に合わせて移動する。
打つのは少しコツがいるが、ふだんARゴーグルを使うイマドキの若者なら苦にならない。
『ありがとうございます。
重複を確認しますので少々お待ちください……申し訳ございません、こちらの名前は既に使われております。
ほかのお名前でお願いします』
なるほど、重複はできないと。
オンラインゲームだから当然といえば当然か。
名前を誰かと同じにしたり、変えられたりしたら、詐欺が横行してしまうのはこれまでのオンランゲームの歴史が物語っている。
この名前はありきたり過ぎたか。
ならば「Mart¡n」はどうだ?
小文字の「i」ではなく、エクスクラメーションマーク「!」の逆さ文字「¡」だ。
『重複を確認しますので少々お待ちください…………はい、今度は大丈夫です。
こちらはなんと読まれますか?』
「マーティン、で」
『音声確認完了、無事登録できました』
よし、通ったぞ。
しかし、もうこの名前を登録している人がいるとは奇遇である。
ゲーム内で出会ったら、ぜひとも友達になってほしいものだ。
『お待たせしました、次に貴方様があちらの世界で存在するための受肉体を作製していただきます。
第二の人生の姿ですので、慎重にお決めください。
現在、容姿変更の課金アイテムなど実装予定はありません、お気を付けください』
できるだけ手短に終わらせたいが、これからゲームをするうえでキャラメイクは重要な要素の一つになりうる。
丁寧にやらなければ。
『それではアバターの作成に移ります。
イチから作るのと、スキャンしたあなたの容姿を元に作る、どちらにしますか?
手短かに終わらせるにはスキャンからの方がいいですよ』
んー、出来ればイチカラ作りたいが……。
この間にも他のプレイヤーは僕の先を越していると思うと、焦ってしまう。
ここで時間をかけるくらいなら、手っ取り早くスキャンした容姿を元にしようか。
「スキャンした容姿からで、よろしくお願いします」
『かしこまりました、それではここに表示します』
その言葉と同時に、自分の体から自分の体が出て前後に分裂していった。
自分が目の前に歩き始めたのに、その歩き始めた自分を後ろで止まって見てるのだ。
いちいち演出が凝っている。
『この容姿を元に作成が可能です。
プライバシー保護のため、骨格パーツや目元パーツの一部をすでに変更しております。
またスキル等で、あらゆる肉体データは変化する場合があります。ご了承ください』
なんと、ゲーム内で鍛えれば肉体データに反映されるのか!
“筋力|(STR)増加”みたいなスキルが実装されていそうだ。
「そうだな、目を一重のつり目気味にして、髪型を変えて……。
いや、二重で真ん丸にするのも、かわいくなってNPC受けがしそうだ。
んー……悩むぞ。
あと目の色もどうしようか……」
思わず照れ隠しに声がでてしまう。
自分の身体を好きに整形するのは意外とこっ恥ずかしいものだった。
◆◇◆◇
――30分後。
「ようやく……完成しましたっ!!」
色々試して、少し時間が経ってしまったが、とりあえずは納得のいくアバターが完成した。
一度凝り始めてしまうと集中して時間を忘れてしまうのが、自分の悪い癖だ。
もうこれ以上どこかを弄ると、バランスが崩れてしまう、アバターの究極形。
自身をモデルにしたせいで低身長は否めない。
しかし匠は、あえて小ささを生かした、好感度重視というコンセプトのアバターを誕生させました。
髪は深い青色で、毛先にいくにつれて紫がかっている。
前髪は目にかかるくらいで、後ろ髪もかなり長めだ。癖っ毛を強めに、鮮やかな光沢を放つ。
筋肉が鍛えることで増えるのなら、髪の毛を切ったり染めたりすることもできるだろう。
その可能性に期待して少し長めにしてある。後でさらに納得のいくまで調整しなおす予定だ。
目はキリッとしているが奥二重、まつげはそこまで多くない。
オッドアイにも憧れたが、さすがに赤と緑とかだと中二臭すぎるので、よく見ないと気付かない程度に右目を藍色、左目を紫色にしてみた。
鼻筋はあまりいじらなかった。
口も正直いじる必要はない。
というか、いじったら口裂け女やハムスターみたいになっておかしかった。
顔の彫は浅いが、目を大きめにしっかりと描くことで、日本人というよりは西洋風の顔つきに。
全体的にキリッとした印象の好青年になった。
……身長のせいで少女にも見えてしまうが。
ショタっぽさがにじみ出ている。女性だ、と言われれば納得してしまう。
体つきも、線を細くしすぎたか?
しかし、これ以上長い時間をキャラメイクにかけるのもな……。
完璧を追い求めるときりがないものである。
『これでよろしいですか?
召喚された後は先程も申し上げた通り、変更することはできません』
ゆっくりとうなずく。
手直しよりも、早くプレイしたいという気持ちが上回った。
『それでは次に、各種説明に移りたいと思います。
まずは「メニュー」とおっしゃってください。
小さい声でもきちんと反応しますよ』
おお! なんだかようやく、それっぽくなってきた!
興奮気味に、言われた通りに行動する。
「メニュー!」
そう叫ぶとシュイィィ――ンと近未来的な音を立てて、目の前に奥が透ける半透明のディスプレイが現れた。
◆◇───-–- - -
2066/03/28 11:31
・ステータス
・アイテムストレージ
・フレンド
・メール
・インターネットブラウザ
・プレゼントボックス
・お問い合わせ
・設定
・ログアウト
- - - –-───◇◆
これが……メニュー画面か!
いろいろとポチポチ押して試していると、プレゼントボックスには初回記念として【回復ポーション・下】×10という文字が。
受け取りボタンを押すと、アイテムストレージに自動で格納された。
◆◇───-–- - -
【アイテムストレージ】
・回復ポーション下 ×10
- - - –-───◇◆
『この画面は普段他人には見えません。
設定より、視覚化、という項目をオンにしていただくと他の勇者様にも見えるようになります。
プレゼントは受け取って頂けたのですね、説明が少なく済んで助かります。
次にステータスという項目をタップか、言葉で仰ってください』
「ステータス!」
そう言うと、元あったウィンドウに上から重ねて、ステータス画面が出てきた。
◆◇───-–- - -
名前:Mart¡n
所属:中立
種族:勇者
称号:nothing
所持金: 0G
HP:100%■■■■■■■■■■
MP:100%■■■■■■■■■■
オリジン:【武起種】
装備:
【nothing】【nothing】【nothing】【nothing】【nothing】
装備外アイテム:
【布の服】
合計基礎身体値
STR:10 VIT:10 AGI:10 INT:10
保有スキル:
<nothing>
状態変化:
・nothing
- - - –-───◇◆
「おぉ……っ!」
これが……ステータス画面っ!!
ここにスキルや装備が載っていくのを想像するだけでも、ワクワクする。
まるでアニメか漫画で有名な“異世界召喚”を現実にされたかのようで、興奮が止まらないっ!
技術の進歩がここまで来たとは……感慨深いものである。
「人間が想像した物事はいつか必ず実現する」とは言うものだが、まさか異世界転生まで現実にできるようになるとは。
『勇者の場合、ステータス画面を開くと、ここで自身の覚えたスキルや装備を確認できます。
装備は5つまで装備可能であり、それ以上は“見た目装備”として装備外アイテムになります。
また、スキルのONとOFFもここから切り替えられます』
「5つまでなのは、指輪や腕輪を何個もはめて無限に強くなることを防ぐため、とかですか?」
『その通りです。ご理解が早く助かります』
コンダクターの言葉に感情の起伏は感じられないが、どこか嬉しそうにみえた。
『プレイヤーには、通常のRPGのような能力値を決める“基礎レベル”がありません。
能力値は基本的に装備によって決まります。
そのため、上手いプレイヤーは格上のステータスをもつ敵とも相手取ることが可能でしょう』
『しかし……』と導き手は話を続ける。
『その代わり、勇者にはスキルがあります。
スキルとは物理法則を捻じ曲げる異能、特殊技術、超能力、魔法のことです。
スキルは“システムに沿った行動”を一定回数以上行うことで、システムに認められて習得できます。
中には特殊条件の【隠しスキル】や、下級スキルを育ててようやく覚えられる【上級スキル】、いくつかのスキルが合わさって覚えられる【複合スキル】も存在するので、ぜひ見つけてみてください』
基礎レベルはないが、スキルにレベルはある。
しかし、スキルレベルが高いか低いかだけでは強さが測れない、か……面白い。
『また「誰かが取ったせいで2人目以降が取れなくなる」ような、いわゆる“ユニークスキル”は存在しません』
開発者曰くこの設定は重要らしい。
そりゃ誰か一人を贔屓していたら、ゲーム運営が成り立たなくなるもんな。
『それと、もう一つ。
スキルに加えて勇者の皆様が強くなるための要素がございます』
「……ん?
もう一つ?」
はじめて聞いた事実に首をかしげる。
『はい。
サービス開始まで秘密にしていた、これらとは別に勇者様が強くなるシステムがございます』
「これは……?」
目線を下ろすと。
いつの間にか片手に持っていたのは、拳大の球。
ラグビーボールのような楕円形で、茶色ですべすべとしている。
大きな……植物の種のようなものだ。
『それこそが勇者様が強くなるための、2つ目の贈り物。
武器の種、通称【オリジン】と言います』
そういえばどこかでちらりと見かけた……あの【オリジン】というワードは、このことだったのか。
しかし――。
「えっと……これが、武器?
これでどうやって魔物と戦うんですか?」
ブンブンと振り回しても、これが武器になるとは到底思えない。
片手で取り扱える重さ。
中身もあまり詰まっておらず、ラグビーボールとそっくりだ。
引き離そうとしても、てのひらにくっついて離れない。
『いえ、おっしゃる通りこのままでは武器にはなりません。
プレイヤーの皆様には1人に1つ紐づけられたこの【オリジン】を孵化させ、成長させ、進化させ……。
そして自分に合う武器へとオリジナルに育てていただきます』
「オリジナルに……育てられる……?」
非常に魅力的な言葉、オリジナルな成長。
だからこそのオリジン、か。
――やばい、これ、絶対楽しいやつだ。
もう興奮が止まらない。早くプレイしたい。
再び心臓の鼓動が早まり、期待に胸が膨らむ。
なんだよ、そんな要素までこのゲームは兼ね備えているのか。
開始直前に暴露するなんて、ますます興味と妄想が湧き出て止まらないじゃないか。
『先ほども申し上げた通り、勇者様自身は魔物を倒しても成長しません。
しかし、魔物を倒し、素材を喰わせることで【オリジン】が成長します。
【オリジン】は経験値を消費することで進化します。
アイテム素材を与えることで特殊な能力を付与することもできます。魔物のスキルや身体能力を奪い、己の力とするのです。
また、オリジンの形態はプレイヤーのスキル構成によっても変化します』
「――っじ、じゃあ、もし違うプレイヤーが全く同じ経験値を得て、同じアイテムを与えて、同じスキル構成だったら、全く同じオリジンに育つんですか?」
焦る気持ちで食い気味に質問をしてしまった。
その様子を察してか、導き手さんはなだめるようにゆっくりと、丁寧に答えてくれる。
『はい、そのとおりです。
オリジンには全ての可能性が刻まれており、これはどのプレイヤーも平等です。
もし他のプレイヤーで気になるオリジンがあれば、そのオリジンへと進化させることも、可能ではあります。
……そのためには必要素材とスキル構成を全て教えてもらうことが必須ですが。
ゲームを円滑に進めるためにも、思い通りのオリジンに育てたい場合にも、他プレイヤーとの協力は必要不可欠でしょう』
「なるほど……」
世界初のVRMMO。このゲームが成功するか失敗するかで、これからのゲーム業界が大きく変わる。
もし他人と同じが嫌なら、極端なスキル構成とレアな魔物を狩りまくって、誰も発現していないオリジンに進化させればいい。
それが強ければ当然真似されるだろうが、オンラインゲームという形態上、仕方のないことだろう。
「……で、これは手から離れないんですか?」
『はい。
病めるときも、健やかなるときも、富めるときも、貧しいときも、あなたと一緒ですよ』
「うわ、重たい……」
◆◇◆◇
『セットアップと説明は以上です。
何かご質問はありますか?』
「特にありません。丁寧な解説、ありがとうございます」
僕は笑顔で大きくうなずく。
僕の返事を聞き、コンダクターは最後の言葉を紡ぎ始めた。
『それでは、あちらでも準備が完了したようなので、これからあなたをお送りします。
……最後に一つだけ。
この電脳世界に法律はなく、殺人ですら法では裁かれません――ゲームのルール上、ペナルティはありますが。
どんなことをしても自由。
魔物とは戦わずに職人として腕を磨くも良し、商人としてプレイヤーをサポートするのも良し。
正義のヒーローになるも良し……贅と悪逆の限りを尽くす魔王になって頂いても構いません。
ですが、あちらの世界の人間もあなた方と同じ様に“その世界で生きている”という事だけは忘れないように。同じプレイヤーですら、画面の向こうには人間がいるのですから。
自由とは責任が伴うものです。
昨今は人工知能の人権についても騒がれていますので、お気をつけて。
あなたに素晴らしい二度目の人生を……』
言葉の終わりが聞こえるか聞こえないかのところで、またも意識がスッと持っていかれた。