第5節:炎の主の教え
「我らに、森の先行きをせよ、と、望んだのはそなたで相違ないか」
小柄な老人の古めかしい言葉での問いかけに、朱翼は頷いた。
彼は謝治と違い、怒りを持ってはいないようだ、と朱翼は感じた。
ただ、その深い色の瞳で、朱翼を興味深げに見ている。
「朱翼、と申します。貴方が、修弥の長を務めておられる方でしょうか?」
「いかにも。統刃と申す。朱の瞳に、朱の髪を持つ者よ。何故そなたは、伝承に伝わる炎の主と同じ容姿であるのか」
「私は、その問いに対する答えを持っておりません。ですが私を見た者は、この場にいる颯も含め、私を神に連なる者である、と呼びます」
朱翼は脇の颯を見る。
「出自を知らぬとは、如何なる意味であるか」
「養父が言うには、私は山の奥深くに弟と共に捨てられていたそうです。敬虔な山神の信徒であった父は、神からの授かり物として、私と弟を育てました」
「次に問う。我らが大いなるハダシュへ、足を踏み入れんとするは如何なる理由か」
大いなるハダシュ。
それは、白抜炙が読み解いた伝承に記されていた言葉だ。
目指すものに間違いがなかったという確証を得た朱翼は、頷きながら長の言葉に答えた。
「ミショナの街では、乾きの病が流行っています。その病を鎮める為に、歌樹と呼ばれる樹に生る実を求めています」
「乾きの病……」
「コーダの歌に身を染めば、フプタフトゥは去るだろう。……古き言い伝えに、そう記されていたのです」
「血脈より離れし者が、古の伝承を知るは如何なる理由か」
「知を記録した書物を納めた場所で、私はそれを知りました。紐解けたのは、師より教わった知識と、仲間の尽力によって、です」
朱翼は、いい加減勘違いを正す事にした。
「長よ。私は自分自身を、神であるなどと思ってはおりません」
ざわり、と周囲にいた修弥の民がざわめく。
朱翼は構わず続けた。
「生まれ持ったこの瞳、この髪を狙う者、また崇める者がいるのは事実ですが、私自身は天変地異を起こす程の力を持っている訳ではありません。また人を救わんと望んでいる訳でもない。私はただ、私の目的の為にのみ動いているのです」
長は、朱翼の言葉を感情の読めない目で黙って聞いている。
「ミショナの街を救う事で、得るものがある。故に時間を掛けたくはありません。貴方がたが最も森を知る民であると言うのなら、その力をお貸し下さい。その為に必要な事があれば、出来る限りお応え致します」
長は少し考えてから、短く答えた。
「是」
「長……」
謝治が咎めるように言葉を発するが、長は首を横に振った。
「理のある物言いである、と感ずる。大いなるハダシュは我らが神域。奥深くに無遠慮に立ち入る者どもに比ぶれば、礼を失しておらぬと考える」
長は、朱翼に目を戻して言った。
「一両日。それだけの支度を整えて後、先行きを付ける」
「感謝致します」
朱翼が頭を下げると、長は答えぬままに自身の屋敷と思われる家に入って行った。
「では、世話役を剪定しよう。しばらくここで待つが良い」
道羅が言い、長に続いて謝治と共に家の中へ入って行った。
※※※
「面白き女であろう」
屋敷に入った道羅が笑みを浮かべながら長に言うと、謝治が即座に噛み付いた。
「何が面白いものか。お爺様、何故あのような者を受け入れるのです」
謝治は長の孫娘だった。
二人の言葉に、特に感情を揺らがせる訳でもない長は、『炎の主』の司祭でもある。
炎のような本質を生存の戦い以外では秘めよ、というのは、教えの一つでもあり、長はそれを守り続けているのだ。
「謝治。狭量に過ぎる。……あれは紛れもなく『炎の主』に連なる者なり」
長の言葉に、謝治は納得出来ない、言いたげな顔をした。
「我らと変わらぬ、唯人ではありませぬか! あの女自身も、そう言ったのではないですか?」
「『炎の主』は天に住まう人である。伝承を忘却せし者、信仰に生きる資格もなし」
軽く長に睨まれて、謝治は身を竦めた。
「……あの女の話が真実であるという保証が、どこにあると仰られる」
「逆に聞くがな、謝治よ」
道羅が、口を挟んだ。
「我らに伝わる伝承を、朱翼が知る術が何処にある」
「現に、乾きの病に関する話は知っていたではないか!」
謝治の反論に、道羅は長を見た。
長は、事実を口にする。
「遥か太古に、我らが祖先が別の民に伝えし事柄である。……かつて我らこそが、この土地においては異なる者であった。大いなるハダシュを得る為に、フプタフトゥから先住の民を救いし時に、祖先が遺した警告。知り及んだ所で不可思議とは言えぬ」
修弥の民の伝承には、こうある。
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『炎の主』は天に座す至高の人にして、世の滅びを前に地に下れり。
放浪の果て、滅びを退けんと流離いて後、燻るように消え果てり。
しかして『炎の主』、一言を人に残せり。
遥か隔てし時に、火の子らを旅立たせん。
火の子、山の加護の元の現れ、希望の種火とならん、と望む。
修弥の者、いづれか来たる種火の元、風雷を修めて従うべし。
種火を守り、大火とせよ。
さすれば、世の救済はならん。
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長は伝承の第一言を口に上らせ、告げた。
「救済の兆し、見誤るは愚者の所業である。かの者が種火であるとするならば、大いなるハダシュへ赴かせるは必然。……道羅。道中においてそれを見極めよ」
「応ともよ。まぁ、俺にとってはどちらでも構わぬ事ではあるがな」
道羅は楽しんでいた。
朱翼というあの女は、他とは違う何かを感じさせる。
それが神の気配であれ、別のものであれ、道羅にとっては何も違わない。
自分が面白いと思った、それが全てだ。
「もし神であるのなら、打ち倒して嫁にすれば俺も神か。おかしき事よ」
「何を馬鹿げた事を」
道羅の言葉に不愉快そうに吐き捨てる謝治の頭を、道羅は撫でる。
「其方を愛しておらぬ訳ではない。俺の愛は無限よ」
「ええい、触るな!」
嫌がるように手を払いながらも、謝治は耳をほのかに赤く染めている。
謝治は謝治で、可愛い女だと、道羅は思っていた。
「打ち倒すとは、如何なる意味か」
「おう、先ほど約束したのよ。俺と手合わせし、俺が勝てば嫁になるとな」
長は、どこか呆れたように微かに頭を横に振った。
「過信は身を滅ぼすものぞ。……『炎の主』の教えを軽く見てはならぬ」
「過信ではなく、自尊よ。修弥の者にも、森で戦った者にも、俺は一度たりとて遅れを取った事はない」
「いずれ泣きを見る事なくば、その言を認めてやろう」
そして、朱翼達の面倒を見る相手を定めて、道羅らは長を置いて朱翼の元へ戻った。




