第3節:素顔
襲い掛かって来た謝治は、本来彼女に備わっている二本の腕を振るった。
「〝風威〟!」
彼女の手に握られた三鈷杵から放たれた暴風は。
「《葉衣》!」
即座に応じた無陀が、両手に纏った風で相殺した。
散じられた風が山の傾斜を駆け上がり、斜面に生えた木々を揺らして盛大な音を立てる。
山の外側を延びる山道は、右手に山頂、左手に眼下を望んでおり、頭上は拓けて空が見えていた。
「中天巡りて山東の、夏の翳りに風揺ぐ……」
詩の如き調べに乗せて、場の陽木陰火を悟った朱翼は薬指で黒式粉を舐めた。
「陽青星呑、辰星木生、顕現」
滑らかな動作で左腕に朱翼が紋を描いて東へと腕を振り向けると、黒から青に紋の光が色を変える。
そこで、謝治の残り四腕が振るわれた。
「〝暴威〟!」
朱翼の予想通り、こちらが本命だった。
狭い道で、逆巻く風同士のぶつかり合いにより発生した竜巻がみるみる内に成長し、逃げ場のない刃の風が朱翼達に迫る。
「立形壁成……《百樹》」
朱翼の声に応じて、木紋が大地から細くしなる木の幹が無数に生えて、木壁を作り出した。
竜巻の流れにそれが衝突すると、様々な方向に揺すられた細い幹が、しなる反動で竜巻の中に小さな乱流を大量に作り出す。
啄ばむような《百樹》の術式が竜巻を形成する流れを乱し、威力を弱めた竜巻に対して。
「……弥終」
「ああ。……土精に命ず、『震山・断崖!」
朱翼の言葉を受けて土紋鉄槌【震山】を地面に叩きつけた弥終が表した紋から、さらに土壁がそそり立って竜巻を阻んだ。
威力の弱まった風では弥終の生み出した土壁を突破出来ず、吹き散らされる。
それを見た謝治は忌々しげに牙を鳴らし、呻くように無陀に三鈷杵の一本を突き付ける。
「そこの者、女性であったか! 髭など生やしたような奇怪な姿で、我らを謀りおって!」
「へ!?」
謝治の言葉に、無陀が間抜けな声を上げる。
「……えーと?」
事の成り行きを傍観していた烏も、戸惑ったように謝治を見ていた。
「無陀は女性だったのですか?」
「姉さん、そんな訳ないでしょ」
朱翼が尋ねると、錆揮は呆れたように溜息を吐く。
「このような者でも、女性であれば愛せる……そう、女性であれば」
「弥終。残念ながらそーではねーのよ」
皮肉げに無陀に目を向ける弥終に、颯も笑いを堪えたような顔で言った。
「女ではないだと? ならば何故風紋を体に刻んでいるのだ! 気色の悪い!」
「……言ってる意味が、全然分からねーねぇ」
どんな反応を返して良いのか分からない様子で無陀が顎を掻く。
そこで、堪え切れなくなったのか、道羅がついに大声で笑った。
「かかか! 謝治よ、お主は本当の世間知らずよな。女のみが風紋を体に刻み込むは、修弥の民のみの掟よ。外の世界に、紋を刻むに男女の別などありはせぬ」
「なんとな!?」
三つの顔全てを驚愕に歪ませる謝治に、道羅は朱翼らに目を向けた。
「中々に骨のある者たちだ。謝治は一族の中でも随一の化身術の遣い手。その攻撃を防げるとは見所がある」
「認めて下さったのなら、願いを聞き入れて下さいますか?」
道羅は朱翼の問い掛けに鼻を鳴らし、顎をしゃくった。
「まずはその頭巾を取るが良い。物を頼むに目も見せぬでは、信用を得られる訳がなかろう」
朱翼は無陀と烏に目を向けたが、彼らも判断に困っているようだった。
「取ります。宜しいでしょうか?」
「だけどねぇ……」
「神の子。己の望むままにすると良いのよ」
渋る無陀に対し、颯が言葉を被せた。
「神の子が素顔を晒した事で道を阻む者が居るなら、従者として、俺が命を賭してでもそれを払うってーのよ。躊躇う事はねーのよ」
颯の言葉は、相変わらず朱翼への忠誠が滲むもので落ち着かないが、朱翼は頷いた。
顔と頭に巻いていた布を取ると、謝治が驚愕に目を見開く。
「朱き髪に朱き瞳……」
「なるほど。……神の子、か」
道羅が興味深げに朱翼の顔を眺めてから、太い笑みを浮かべた。
「良かろう。我らが里へ来るがいい」
「道羅!?」
「俺は朱翼という女に興味を持った。まぁ、願いを聞き届けるか否かは長に任せるがな。……が、里へ入ったら一つ手合わせ願おうか」
「理由を問うても?」
朱翼の言葉に、道羅は太い犬歯を剥いた。
笑みであるにも関わらず、そこには獰猛さが滲んでいる。
だが彼の口にした言葉は、予想外のものだった。
「俺に手合わせで負けたら、朱翼、お主は我が嫁となれ」




