第2節:修弥の民
「そこで留まれ。反すれば斬る」
山間に響いた女性の声を聞いて、朱翼は足を止めた。
彼女は、無陀ら【鷹の衆】と共に、ある集落を訪ねているところだった。
ミショナの街よりさらに森に向かった先の分かれ道を行った先にある小山。
旅慣れた者ならば日帰りで向かえるその山は、禿鷹とは別の先住の民が住まう場所らしい。
「来意を問う。何者であるか」
声は周囲の何処からか響いて来た。
姿は見えない。
朱翼は、自分と同じように立ち止まった無陀の顔を見た。
彼の頷きに、朱翼が口を開く。
「禿鷹より、こちらを訪ねるようにと言付かった者です。名を朱翼と申します」
朱翼の言葉に、細道の脇に山の斜面から二つの影が跳んだ。
道の先に並んで立つのは、二人の男女。
一人は白抜炙のような浅黒い肌をした中肉中背の赤髪の男で、もう一人は抜けるように肌の白い美貌の女性だ。
男の方は自信に満ちた粗野な笑みを浮かべており、手に小樽を下げている。
腰帯には、丸みを帯びた柄の両側に槍の刃が付いた見慣れない武器を差していた。
女性は、黒目しかないように見えるほど瞳の大きな女性で、一重瞼の小作りな顔に緑の刺紋を施している。
こちらは手に男と似たような武器を両手に持っているが、女性のものは三本の反りのある刃が細長い球形を描いており、これも柄の両側それぞれに備わっている。
そして二人の何よりも特徴的な外見は、その額に盛り上がるコブのようなツノだった。
「これより先は、我ら修弥の一族の領域である。改めて来意を述べよ」
声を荒げる訳ではないが、伸びやかに響く声音で女性が問い掛けるのに、朱翼は応じた。
「これより、森へ歌樹の実を得る為に参ります。その導きをお願いしたく参上致しました」
「ほぉ」
反応したのは男性の方だった。
「我らを顎で使いに来たと言うか。これは愉快」
女性は、咎めるように男を一瞥した後に、朱翼に言い返した。
「我らはまつろわぬ。そして従わぬ。去ね」
女性の言葉に、朱翼は首を横に振った。
「禿鷹は、貴方がた以上に森を知る者は居らぬと言いました。私たちは出来るだけ早く事を成し、ミショナの街へと戻らねばなりません。ただで案内をお願いするとは言いません。導きとなる条件を、提示していただけませんか」
引かない朱翼に対して、男はますますおかしげに喉を鳴らし、グビリと小樽の中身を口にした。
「面白い」
「道羅」
ついに声を上げて咎める女性に、道羅と呼ばれた男はニヤニヤと笑う。
「良いじゃねぇか、謝治。顔も晒さねぇ怪しい女が、神のみに従う我らが誇りを愚弄する願いを携えて来た。恐れ知らずとはこの事」
道羅の言葉に、無陀は指先で顎を掻いた。
「朱翼。これは外れじゃねぇかねぇ?」
頑なな謝治に戦意を見せる道羅を見て、面倒ごとが嫌いな無陀がトボけた顔で問い掛けて来る。
「ですが、禿鷹の言葉を信じるのなら、彼ら以上の手助けはあり得ません」
「その禿鷹自身も、お勧めはしないと言っていたけどねぇ」
古来よりの血を受け継ぐ修弥の民は誇り高き一族であり、世俗に交わる事を良しとせぬ、と。
最も森に詳しい者を紹介して欲しいと告げた朱翼に、禿鷹は渋面を浮かべながらそう言った。
朱翼は、道羅の物言いに軽く首を傾げた。
「時を徒らに消費するのは、合理ではありません。愚弄しているつもりもまた、ありません。それとも貴方がたは、自身が最も森を知る者ではないと思っておられるのでしょうか」
朱翼の言葉に、謝治は殺気を見せた。
「侮辱か」
「……おかしいですね。先程から敬意を払っている筈なのですが」
朱翼は、何故彼らがあんなにも怒っているのかがまるで分からなかった。
最も森を知る誇り高き一族であるというのなら、森を知る者を求める自分にとって尊敬に値する相手であり、謝礼を支払うと口にする事で礼を失さずにその力を借り受けられる、と思ったのだが。
しかし朱翼以外の面々は。
「朱翼。お前の物言いは無礼と取られても仕方がねーねぇ」
「言葉が丁寧なのに、言葉足らずなのよね、朱翼は」
無陀と烏は頭が痛そうに言い。
「姉さん。悪いけど、俺にも挑発してるようにしか聞こえないよ」
「言葉とは壁。……分かり合うには、足りない。そう、足りない」
弟の錆揮と、弥終は呆れ顔で。
「誇りの在り方が神の子とは違うんだろーよ」
颯はどこか呑気そうに、それぞれに言った。
生真面目そうな謝治はピリピリとした空気を発しているが、道羅はついに笑い声を上げた。
「誇りの在り方が違う、と来たか! 面白い事を言うな、貴様は」
「神の子は、誇り誉れについてあまり考えた事がねーんだろうよ。まぁ、神の身であれば仕方のねー事だけどよ」
「神だと……?」
謝治が、颯の言葉に反応した。
「颯」
烏が目配せするが、颯は意に介さない。
「誇りとは、己に根ざすものと、信じる対象に根ざすものが在ろーよ。【鷹の衆】は前者で、奴らや俺は後者よ。俺に近い者の思考は決まってらーよ。俺だって神の子が愚弄されたと感じれば、奴らのように怒るだろーよ」
「貴様も信仰に生きる者か」
道羅の問い掛けに、颯は頷いた。
「そう。俺は朱き鳥に従いし者の末裔よ。従うべき相手以外に従うのは業腹と思おうもんよ。それでも俺は一族の中では変わり者だったがよ。さて、道羅の名を持つ者よ。お前さんは俺と同じと見受けよーよ」
「どういう意味でだ?」
ニヤリと笑う道羅に、颯も似たような笑みを返した。
「頭が固くないという意味でよ。我らが酉の民は、さて信仰に凝り固まっていた一族よ。掟が最も重要と考えよったよ。でも俺は、信仰の意味を考え続けよー者よ」
「信仰の意味……それは如何なるものだ?」
「重要なのは掟でなく、掟に込められた意味よ。従うべき神は、遥か遠き者ではなく、掟に定められし通りにいずれ近くに現れる者と思いよったよ。掟に縛られ濁った目では、さて、それを見定める事は出来ないものよ」
「我が一族の目が曇っていると言うか!」
謝治が噛み付くと、颯はいつも通り、素直に謝治に目を向けてあっさりと言った。
「お前さんの目は曇っていよーよ。でも、道羅はどうだろーよ?」
颯の問い掛けに、道羅は朱翼に目を向けて来た。
二人のやり取りは、朱翼にはよく分からない話だったが、彼は颯の話には興味を持っているようだった。
「貴様が神と呼ぶその女が、我らの信ずる『炎の主』であると言うか」
「自らを神と名乗るなど……最早我慢がならぬ!」
謝治は言い、手に持って武器を体の前に構えた。
「三鈷杵! 我が意に応えよ! 風転・化身!」
謝治の呪と共に、三鈷杵に刻まれた紋と謝治の体を覆う風紋が共鳴し、彼女の体が変質する。
体躯が倍近くに膨れ上がり、正面の顔の他に、全く同じ顔がさらに二つ、頭の後ろに現れ。
腕がさらに四本、その肩口から生えた。
手にはそれぞれに三鈷杵と呼ばれた武器を握り、三面の顔が噛み締めた顎から二本の牙が生えて憤怒の形相になり、ツノが鋭く伸びた。
異様な変質を目の当たりにし、朱翼はぽつりと呟く。
「……化身術」
天気地脈の呪力を介し、自身に眠る遠き祖先の姿に還る秘術、と朱翼は師・須安から習っていた。
大きく変質した肉体の大半は、招来術同様に、呪力によって形成された肉体である。
三面六臂に化身した謝治が、道羅の横から跳んで朱翼らに襲い掛かった。
道羅は、それを静かな目で眺めていた。




