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朱の呪紋士  作者: メアリー=ドゥ
第四章 伝承編
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第1節:短い対話


「……白抜炙?」


 幻鐘より風信の割符を預かり、一人部屋に戻った朱翼が密やかに問いかけると、しばらく沈黙した後に戸惑ったような声が戻って来た。


『朱翼、か?』


 聞き間違うはずも無いその声は、間違いなく彼女の想い人のものだった。


「白抜炙……無事で」


  無事で良かった、と告げようとして、その続きは言葉にならなかった。

 

『何故お前が、幻鐘と?』


 白抜炙の問い掛けに、朱翼は彼と逸れてから今までの事を話した。


『……そういう事か』


 話を聞き終えて深い息を吐いた後、白抜炙も今までの事を話してくれた。


 アレクとの出会い、試紋会について尋ねられた事。

 刻紋の師に出会った事、疫病に侵された少年の事。


 この街で同じ時期にいながら、それぞれの理由で、あるいは人の手によってすれ違い続けていた事を、朱翼は知った。


 白抜炙は、まるで変わっていない。

 口でなんと言っても、お節介で、人の事を放って置けない彼のままだった。


「白抜炙。迎えに行きます。今は、どちらに?」


 彼は、アレクに人質に取られている訳ではなさそうだった。

 アレクが口にしたのは、朱翼に言うことを聞かせるための方便だったのだろう。


『……それは出来ない』

「何故です?」


 そう悟った朱翼が言うのに、白抜炙は否定を返した。


『俺は、刻紋を極める事を決めた。錆揮を救い、お前に並び立つために』


 白抜炙は言う。

 力なきままでは、今のように利用されるだけの存在でしかいられない、と。


『試練を与える者がいる。お前の力を狙う者も、お前に何かをさせようと目論む者もいる。そうした全てを跳ね除けるだけの力が、今の俺たちにはない』


 白抜炙の口調は、苦く、厳しいものだった。


『逃げるだけの力もない俺たちには。力を蓄えるだけの時間が必要だ。そして疫病も、俺には放っておく事は出来ない。……せめて、事が解決するまで、俺はお前には会えない』

「一目だけでも、良いのです」

『駄目だ』


 縋るような朱翼の言葉に、冷たい返事が戻る。


『俺の決意が、揺らぐ。……一度会えば離れ難いと、きっと、そう思ってしまう』


 冷たく心を抉る刃の言葉の後に返されたのは、今まで聞いた事のなかった、白抜炙の弱音のような返事だった。


「……白抜炙らしく、ないですね」


 ぽつりと朱翼が言葉を漏らすと、白抜炙は苦笑したようだった。


『意地だけでは、何も守れないと知った。俺は弱い』

「そんな事はありません」


 白抜炙は、朱翼よりもよほど心が強い。

 それでも会いたいと、そう願ってしまう朱翼よりも。


「どうしても、駄目でしょうか?」

『お前も珍しい。そこまで食い下がる事は、今までなかっただろう?』

「貴方を想う気持ちが、これほどに強いと。自分でも、離れて初めて知ったのです」


 だが、白抜炙の言葉には、間違いなく理がある。

 朱翼自身も、強大な存在を前には無力だと、悪龍を見て知ったのだから。


 アジが自滅の道を辿らなければ、彼女はあの場で死んでいただろう。

 

「……私は、それでも貴方に会いたいと思います。ですが、貴方がそう望むのなら」


 朱翼は、そして朱翼の心は、白抜炙のものだ。

 彼に捧げると誓うよりも前から、朱翼は白抜炙に従ってきた。


 強く在れ、と。

 彼は出会った時から、常にそう言い続けてきた。


 自分自身にも、彼はその誓いを常に課してきた。

 もう二度と白抜炙を自分の側から奪われない為に、それが必要な事だと彼が言うのなら、朱翼に否やはなかった。


 我儘を言うのは、再会した時でいい。

 迷いや悩みを胸に、理由もなく歌樹を求めて森へ行くのではなく。


 白抜炙が望んだ事だと、朱翼は目的を得たのだ。


 それだけでも。

 彼の声を聞き、その思いが聞けただけでも、それは朱翼にとって価値のある会話だった。


「再会したら」

『なんだ』

「……抱き締めて、下さいますか?」


 朱翼の願いに、白抜炙は絶句したようだった。


「何か、おかしな事を言いましたか?」

『いや。……お前は会った時から、自覚なく俺の心を揺する』

「……?」


 首をかしげる朱翼に対して、白抜炙は告げた。


『これで、話すのは終わりだ』

「……はい」

『再び会った時は、お前の願いを聞くと、約束する』


 そうして、風信の割符から緑の光が失せた。

 瞑目し、一度深く息を吸い込んでから、朱翼は割符を仕舞った。


「……私は、勝ってみせます。貴方の為に、全てに」


 雛ではなく、成鳥に。

 己自身で(つがい)であると定めた青年との再会の為に、朱翼は必ず帰ってくると決意を固めて、部屋を後にした。

 


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