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朱の呪紋士  作者: メアリー=ドゥ
第三章 疫病編
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第12節:朱翼の気配


『……ここへ来る途上に通った森は、古き森だ』


 白抜炙の問い掛けに、リィルはそう答えた。


『……森の中、龍脈の脇を走る街道の向こう側には、さらに深淵な森が広がっている』

『そこが、この伝承にある大いなるハダシュであると思いますか?』

『可能性は高い。……古来よりの森は、他に近くにはない筈だ』

『貴方が狩場として使っていた辺りに、何かありそうでしたか?』


 白抜炙に対して、リィルは静かに首を横に振った。


『……深く入る事はない。生きるに必要な金銭は些少だ』

『そうですね』


 目立つ事を嫌うリィルは、救世の御子であるティアを守る黒衣の戦鬼である。

 一攫千金を狙う連中と違い、金の為に無理や無茶はしない。


 彼は数多く生息する陰魔を最小限狩り、金に変えていた。

 そもそもリィルは、おそらくは単身で陰魔を狩っているだろう。


 彼の実力であれば、人里近いこの辺りで危険などほとんどない上に森で他者を回避するのも容易いため、相互に情報交換などする必要もない。

 もしかしたら、森での狩りを生業とする者らは何かを知っているかも知れないが、それはリィルではなく自分が探るべき話だ。


 そう考えて、白抜炙は斡旋所を訪れていた。

 疫病を防ぐための口布は風に晒しているとすぐに乾いてしまう為、頭布を口元まで巻いてその中に濡れた手巾の切れ端を入れた格好だ。


 我ながら怪しいが、自分が疫病に掛かってしまっては笑えない。

 斡旋係に話を聞くと、丁度試紋会に参加する為に森から帰り、そのまま止まっている一団がいるという。


 酒を奢るから話を聞かせて欲しいと願うと、彼らは快く了承してくれた。


(せつ)は酒を呑まん。修験の身だからな。食事だけで十分だ」


 一団の頭格らしき禿頭の男に酒を勧めると、彼はそう言った。


「何が知りたい?」

「近くにある森を狩場にしていると聞いた。奥まで立ち入った時に、何かおかしな事を感じたり、不思議なものを見たりしなかっただろうか」

「ひどく曖昧な問いかけだな」

「俺にもどういうものかは分からないが。この街で流行る疫病に効能がある何かが、そこに存在する筈なんだが」


 白抜炙の言葉に、一団の者たちは幾つか見聞きした不思議な事柄を教えてくれる。


 曰く、森で夜に自分以外の何かの声を聞いた。

 曰く、森の中で小さな獣魔が一匹だけいるのを見た。

 曰く、森の中に拓けた場所があり、苔むした石が中央に置かれていて、まるで何かの祭壇のように見えた。


 どれも白抜炙が求めるものとは違う話に思えたが、ふと誰かが口にした話を白抜炙は聞き留めた。


「そういや、あの森って奥に行きゃ行くほど歌樹(かじゅ)が増えるな」

「……歌樹?」

「ああ、葉を吹くと澄んだ声のような音を鳴らすからそう言われてる。北の閻国の方に多い樹でさ。だから歌樹、ってーんだけど」

「幹や根がぬめってるくらい水気が多い樹なんだよ。だからあの辺りってすげぇ湿ってたよな」

「そうそう、あれが密生してると歩きにくいったらありゃしねー」

「ああ、結構足、滑らせたな。そういや」


 白抜炙は、その言葉を心に留めた。

 しばらくして、白抜炙は後一つ残った謎の言葉を問い掛ける。


「誰か、コーダ、という何かを耳にした事はないだろうか」


 白抜炙の言葉に、禿頭の男は妙な顔をした。


「知っているが。さっきの話に出た歌樹を、閻国ではそう呼ぶ。向こうの方では、効能をそのまま名前として名付ける事が多いからな」

「効能?」

「ああ。Coun(コウン)-da()と言うのが、向こうでの歌樹の名前だ。この辺りで使う字を当てるなら、効土(コウド)。煎じて呑めば体や肌の渇きに効くと言われる粉薬になる。閻方薬と呼ばれているものだ」


 白抜炙は、それを知っていた。

 閻方薬は皇国の辺りで生じた薬と違い、熱を下げる、痛みを取るといった即効性の効能ではなく、長く飲み続ける事で体内の五行気を整え、病を癒す薬だ。


 御頭が、【鷹の衆】の誰かが体調を崩すとよく出してくれた、恐怖の薬だ。

 何が恐怖かと言うと、のたうつ程に臭く、不味いのである。


 お陰で閻方薬を呑みたくない【鷹の衆】は、二日酔い以外で体調を崩す事を自らに戒めるようになった。


「拙も少し持っている」

「そうなのか?」

「ああ。修験道は閻国を発祥の地としているからな。師から、言葉だけでなく薬学も少し学んでいた。然程難しい調合のものでもない。歌樹の葉から水を抜いて潰すから時間は掛かるが」

「……少し譲って貰えないか? 金は払う」

「いや。ここの払いに比べれば安いものだ。元手は掛かっていないしな。持ってこよう」


 言って、部屋から小さな袋を持ってきてくれた禿頭の男に礼を言い、白抜炙は尋ねる。


「もしこれが入り用になったら、再び訪ねさせて貰っても構わないだろうか」

「ああ。しばらく拙はこの街に留まる事になっているからな。半月は確実にいる。風信の符を渡しておこう」


 白抜炙は割符を受け取り、禿頭の男に対して頷いた。


「俺はシロ。名を教えて貰っても構わないだろうか」

「ああ」


 禿頭の男は、あっさりと頷いた。


「拙は、幻鐘(ゲンショウ)という」


※※※


ーーーーーーーーーー


暖かい冬の後、春風と共に風に溺れる病が来る。

湿枯を家に入れるな。

古き森が鍵となる。

煎じた歌樹の葉を呑めば、風に溺れる病は癒えるだろう。


ーーーーーーーーーー


「これが伝承の意味か。良くこの短時間でここまで解読したね」

「最後は実際に試してみたから、ほとんど間違いはないと思うが……」


 幻鐘に薬を分けて貰った後に、ミショナでは二つ騒動が起こったらしい。

 らしい、というのは、強大な存在の気配が生まれてすぐに消えた事に関しての話は秘匿され、同時に行われた領主交代劇は民衆の知るところになるまでまだ少し時間が掛かるという話だからだ。


 領主を皇国への裏切りの咎で弑し、アレクが新たな領主に就任したという報告を、白抜炙は伝承の解明を報告する前に受けたからだった。


「アカハダという疫病に掛かった少年に、煎じた歌樹の薬を呑ませた。しばらくして発作が起こったが、最初に見たよりも軽いものだった。確実に効きはするが、問題はその技術そのものがこの国にはない事と、根本的な解決になってない事だ」

「どういう意味かな?」

「疫病に掛かった者は、薬を呑めば確実に治るだろう。だが、原因であると見られる龍脈の乱れに、然程鎮まる気配がない。龍脈が戻らなければ湿枯も、数が減らない。このままでは、同じ状況が続く事になる」


 ティアの不調は、少し回復していた。

 長く動く事は出来ないが、それでも自分で動けるようになった彼女は、白抜炙に言ったのだ。


『いない時間が長すぎて、水の子たちが、ここに来れないようになってるの』


 地の星配が、長く変質させられ過ぎた事で陽木陰水ではなくなり始めているのだろう。

 そうなると、ミショナの街の水が枯れる。


 疫病よりも、さらに酷い状況になる可能性があるのだ。


「水が枯れる……」


 アレクは、白抜炙の言葉に厳しい表情を見せた。


「どうにかする方法は?」


 白抜炙は、横を見た。

 ティアの言葉を受けた彼が、白抜炙に同行を申し出たのだ。


「……呪紋士が必要だ。それも、甚大な力を持つ者が」


 アレクには連れだと紹介したが、同じ武人として力量を感じ取っているのだろう、アレクは鋭い気配を見せていた。


「何故だ?」

「……地の星配を変えるほどの力を持つ存在であれば、何者でも構わないが。地の星配を早急に整えるには、結界を整え、必要なものを集め、その上で結界術を行使する必要がある。日を選んで事を成すにしても、弱い者達を束ねるのでは不足だ。中心となる呪紋士が必要になる」

「それは……」


 と、アレクが口を開きかけたところで、不意に気配が生まれた。

 ティアとリィルに近しいが、より禍々しさを覚える気配に白抜炙が振り向くと、そこにホツマが立っていた。


 若い方の姿だがアレクも彼女を知っているらしく、何故か渋面を浮かべている。


「今度は何を?」

「おや、困っているようだから助けてやろうと思ったのさ。白抜炙が伝承を読み解いたから、ご褒美にね。対価は正当にいただくし、また望んだ結果が得られれば報酬を支払うのがあたしのやり方だ」

「……聞かせろ」


 リィルが目を細めるのに、ホツマは妖艶に微笑み返して白抜炙に手を差し出した。


「一つ預かるものをおくれ。ちゃんと返すが、そうさねぇ……白抜炙のものだと、確実に分かるもんがいいねぇ」


 ホツマが求める意味が察せられなかったが、白抜炙は考えた。

 髪は、このままであれば名の通り彼を示すが、抜いたり切ったりしてもただの白髪だ。


「符は如何でしょう?」


 ホツマなら、刻みの形で白抜炙だと分かるだろうと思っての提案だったが、彼女は全てを見透かすような目で意外な事を言い出した。


「なら……お前さんが最初に刻んだ(おこ)しの符。それを預かろうかねぇ」

「……返していただけるのですよね?」

「それは約束するよ」


 流石に渡すのは躊躇われる品だが、戻ってくるなら一時手放す位は許容するべきだろう。

 今為すべき事は、疫病の終息と、龍脈を整える事だ。


「さて。湿枯(シメリガラシ)に関しては、何か突き止めたのかい?」

「……いいえ。渇きの原因となる、という事くらいしか」


 白抜炙の符を受け取ったホツマの言葉に言い返すと、彼女は頷いて解説した。


「何故あれを調べろと言ったかというとね。あれが、風に溺れる病を発症させているからさ」


アレクは首をかしげる。


「あの丸い陰魔が? だが、今までそんな話は聞いた事がないですが」


 

 白抜炙も同じ気持ちだった。

 乾燥剤の代わりに使われるほど無害な陰魔である。


「無害に見えてもね、陰魔は陰魔なのさ。過ぎれば厄災を招くからこその陰魔だよ。湿枯は、多くが集うと害となる存在だ。奴らの内に眠る病の種が、お互いの乾燥によって増えて、外に溢れ出るからね」


 そうして、風に溺れる病を撒く、とホツマは告げた。


「だから、まずは湿枯を家に入れない事だ。そうさね、どこかの倉庫にでも集めて、中に土の符を置き、その周りを水の結界で覆うと良い。湿枯は消えて、倉から溢れる病の種は湿りに吸われて広がらないだろう」

「疫病の広がりを抑えるのはそれで良いですが、今のままでは龍脈が原因で増えている方が抑えられない。そちらは?」


 歌樹の葉を煎じた薬も、すぐに大量には作れないだろう。

 幻鐘も、作るのは時間が掛かると言っていた。


 そもそも材料が森の中で、それを大量に取りに行くのにもまた、時間が掛かる。

 その間に何人が死ぬか、という白抜炙の心を読んだように、ホツマは続けた。


「歌樹の葉を集めるのは問題ないさ。実があればそれで良い。呪紋士が居ればすぐに育てられる」

「……須安師ほどの実力者でなければ、枯らさずには育てられないでしょう」


 呪紋によって生育した樹木は、そのまま立ち枯れる。

 だが、ホツマは軽く首を傾げた。


「枯らして悪いかい? そもそも、効土の薬は歌樹の枯葉を使うもんだ。それに、枯らさずに樹を育てるだけ力を持つ者に、お前さんはもう一人、心当たりがあるはずさね」


 ホツマの言葉に白抜炙はティアを思い出したが、同じように言葉の意味に気付いたと思しきリィルが、ホツマを見据えた。


「……貴様」

「お前さんは違うんだろうが、あたしは、人は自分の面倒は自分で見るべきだと思うからねぇ。己を救う為には、己が努力を惜しんじゃいけないよ」


 ホツマは涼しげにリィルの底冷えする怒気を受け流し、話に置き去りにされているアレクへ、白抜炙の符を手渡した。


「これは、あんたが使うんだ。森へ誰を向かわせるかは、それだけで分かるだろう?」


 こちらは、白抜炙らには読めない話だ。

 彼女は何処まで『視えている』のか、苦い顔をするアレクに。


「疫病の噂は、那牟命(ナムチ)の耳にもそろそろ届くだろう。いずれ正式に、事を収めろという通達がある筈さ」

「……憎まれ役を押し付ける、という事ですか。気が進みませんね」

「それでも、『為さねばならぬ事』と思えば、お前さんはやるだろう?」


  場の全員を見回して、ホツマは言った。


「結界の準備は、須安が整えるそうだ。歌樹の実を持ち帰り、四隅四方に立てな。立てた後に結界を行使すれば、それで仕舞いだ。龍脈は整い、疫病の種は失せ、効土の薬によってフプタフトゥは去るだろう」

 

 最後に、ホツマはリィルに意味深な目を向けた。


「後は、お前さんがどうするか、だ」

「……」


 二人の間に見えない火花が散ったように、白抜炙には見えた。

 やがて、リィルが言う。


「……歌樹の旅には、俺が同道する。シラヌイ。お前とヴァルに、ティアを任せる」

「逆の方が宜しいのでは?」


 白抜炙の提案に、リィルは、いや、と短く呟いた。


「それでは、意に沿わないと考える者が居る。……気に食わんが、踊らなければ事態が鎮まらん」

「そういう事さ」


 ホツマは、出入り口に足を向けた。


「じゃ、なべて事もなくなるよう、せいぜい頑張りなよ。あたしの厄介になってる部族が、憂いなく旅立てるようにねぇ」

「……俺の修行も、そこまでですか?」


 目の前をすり抜けるホツマに言うと、白抜炙を見たホツマは指を立てる。


「覚えておくと良いよ、白抜炙。求めた道は、目指した心を忘れなければ、そこに答えがあるもんなんだ。あたしはね、憂いを喰らいはするが、お前さんを自ら救うような事はしない……だから最後の答えは、己自身で見つけな。後、二月(ふたつき)。その間に目をきちんと扱う術さえ身に付ければ、本来お前さんは、あたしに用なんかないはずなのさ」


 大極紋に至る道に在るのなら、答えは自分自身で見つけるもの。

 その言葉は、白抜炙の胸にすとん、と腑に落ちた。


 まるで突き放すような言い方だが、不思議と暖かさを感じるホツマの言葉に自然と頭を下げると。


「感謝はいらないよ。あたしは、ただの面倒くさがりの呪詛喰らいだからね」


 そうしてホツマが姿を消すと、疫病を治める為にアレクが動き出し。

 やがてそのアレクに呼ばれて、リィルはしばらくの間、白抜炙らの前から姿を消した。


 そして白抜炙は、刻紋士としての高みを目指した。


「待っていろ、朱翼(スイキ)。……錆揮(ショウキ)の命が大陰紋に喰われる前に、俺は刻紋を極める」


 ティアの事を気遣い、朱翼の行方に思いを馳せながらも、空いた時間はただひたすらに紋を刻み続ける。




 ーーー彼は、朱翼が直ぐ側に在る事に気付きながらも、鋼の心を以て自分自身を押さえつけていた。

 

 


 あれだけ露骨な態度を取られて、気がつかない訳がない。

 誰も彼もに試されるのは業腹だが、試される程度の存在でしかない自分自身を、白抜炙は知っていた。


「今の俺たちでは、足りねぇ。他者を跳ね除けてこの想いを遂げるには、この想い以外の、全てが足りねぇんだ……」


 紋を刻みながら、唇を噛み締めて、白抜炙は呻く。

 同じように試練を与えられているであろう朱翼も、熾しの符によって、白抜炙が生きている事を知った筈だ。


「どいつもこいつも……俺たちを、ナメるなよ」


 朱翼は屈しないだろう。

 今すぐに再会出来なくとも、いつか会える。


 白抜炙は、必ず朱翼が試練を潜り抜けると信じている。

 彼が愛しく想うあの少女は。


 大人しく見えて、実は気性が荒く、負けん気が強いのだ。


「絶対に、いつか、二人で、俺たちを利用しようとした奴等を、後悔させてやるぞ。……そうだろう、朱翼ーーー!」


 その為に、今は力を蓄えるのだ。


 白抜炙が、朱翼の元へ至る道も、未だに遠く。

 



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