第11節:為政者という存在
「ハダシュ、それにコーダの唄、か」
数日後に会ったアレクは口の中で言葉を転がし、新たに得た情報の書き付けに眉をしかめた。
「風溺病に関する記述とは分かっても、肝心なところがまるで分からないね」
「それでも十分に文章の意味は通る。時間の猶予がないから師に会おうにも、用事だと言って会おうとしてくれん」
「須安翁も答えてくれなかったしね。彼らはこっちの状況を楽しんでいるとしか思えないな」
「で、今日のその格好は一体何なんだ?」
会うのに指定された酒場にいたアレクは、まるで従者のような格好をしていた。
「これ? まぁ、こっちはこっちで調べ物があってね。目立たないように学園に行く必要があったから」
「学園?」
「近日中にね、龍脈の乱れと街中の殺人のついては解決するだろう、と須安翁は言っていた」
その言葉に、白抜炙は安堵を覚えた。
もしそれが本当なら、ティアの不調も回復するという事だ。
「二つの件に繋がりがあったのか?」
「鋭いね。龍脈の乱れがこれほどミショナの星配に影響しているのも、大禍を利用した儀式が行われているせいらしい。殺人は、その儀式の生贄だと」
「儀式……?」
「ま、詳しい内容は僕も知らない。僕にとって重要なのは、この儀式を行おうとしている連中の始末さ。街の領主が事態に絡んでいた。儀式を止める側と僕の方で、この街の膿を一気に排除する」
「……謀反を起こすという事か?」
「皇国の意を受けて動いているのはこちらだ。どちらかと言えば、更迭かな。行き先は地獄だけどね」
「領主の首がすげ変わるのか」
「うん。次の領主は僕になった」
「お前が?」
「そう。似合わないでしょ?」
軽い言葉と裏腹に冷めた顔で言うアレクに、白抜炙は、アカハダの話を聞いてから考えていた事を口にした。
「……お前の目から見て、この国の在り方は正しいと思うか?」
「どういう意味?」
白抜炙がアカハダの話をすると、アレクは事も無げに肩を竦めた。
「そんな子どもは、どこにでもいる。皇国の本国にもね。殊更大騒ぎするような事じゃない」
「何だと?」
白抜炙はアレクを睨み付けたが、彼はまるで意にも介さずに言葉を続ける。
「本国には、この国程にはそうした子どもはいないかもしれないし、逆に本国の方が広いから多いかも知れない。正確には分からないよ、僕も政事に詳しい訳ではないしね……ただ、軍を預かる者としての経験から、放って置かれる理由は分かる」
「理由?」
「そう。軍を維持するのに必要なものは何だと思う?」
アレクの問い掛けの意図が分からず、白抜炙は思った事を答えた。
「……兵じゃないのか?」
「いいや、一番重要なのは富だよ。あるいは、食事と言い換えても良い」
「それが、軍を維持する為に必要なものなのか」
「勿論だ。自給自足していた君達にはあまりピンと来ないかも知れないけど、普通、兵士が戦う為には食事が必要だ」
「それはそうだが」
人は、食わねば死ぬ。
そして食えない子どもを、白抜炙は自身やアカハダを含め数多く見てきた。
だがそれが、どう国の在り方に繋がるのかが全く分からない。
「兵を何百人と養うにはそれこそ膨大な食料が必要で、備蓄した食料を運ぶ人材は、実際に戦場で戦う兵士よりもさらに莫大な数になる。運ぶ彼ら自身の食事も必要だし、食料のある場所から遠くへ行けば行く程に運ぶ手間もかかり、運べなければ現地調達だ」
そうして略奪が起こる、と、アレクは言った。
「村を襲い、食料を奪い、自分達の軍を維持する。……この国は、食料のない軍隊と一緒だ」
アレクは、冷徹な顔で話を続けた。
「この国には富がない。つまり、国民という兵を食わせる事が出来ない。そして食えない兵士を抱えているせいで、周囲を囲む敵から食料を奪う事も出来ない。これが、和繋国の現状だ」
アレクは息を吐き、木製の茶碗から水をすする。
「それでもこの国が曲がりなりにも纏まっているのは、王の力が絶大で、他国に領土を分けて治世を委ねているからでもある。他国も自身の領土であればそこから富を得ようとするし、富を得る為には搾り取っていては尻すぼみにもなり、仮に大那牟命にバレたら制裁が待っている。だからまずは、民を肥えさせる」
「……まるで家畜を飼うような話だな」
不愉快な気持ちを感じながら口を挟んだ白抜炙に、アレクは苦笑した。
「そ、家畜を飼うのと変わらないよ。問題なのは、それではいつまでも、大那牟命の元には富が集まらないという部分だ。ないものを分け与える事は誰にだって不可能。だからいつまでも、食えない者の数が減らないのさ」
アレクの話は分かりやすかったが、それでは質問の答えになっていない。
「で、結局お前はこの国が現状で正しいと思うのか?」
「どうだろうね」
卓上の豆を摘んで頬張りながら、アレクは首を傾げる。
「『常在戦場の掟』。きっとそれは大那牟命の本心でもあるだろうけど、同時に富のないこの国を示す言葉でもある。弱者を救うだけのものがない。修労院だったっけ? その寮父とやらも、きっと悪辣な人物ではあるんだろうけど、それだけが搾取の理由じゃないと思うよ」
アレクは、人差し指を立てた。
「第一に、彼が子どもたちを養うのに必要なだけの国からの支給はない。修労院の設置は義務付けられていても、維持までは他国の義務じゃないからだ」
彼はもう一本、指を立てた。
「そうした現状を加味して第二に、それでも彼は、何処かから子ども達を養う金を得なければならない。修労院を預かりながら、子どもを養わなければ今度は裁かれる。その為の金銭をミショナの役所に、皇国に頼るかい? 無駄な事だと、その少年も言ったんだろう?」
だから結論として、とアレクは指を下ろして卓に付けた。
「子ども達を養う金は、子ども達自身から得るしかない。病気で放っておかれると言うが、そもそも医者にかかる金やクスリを買うだけの金があるのか。子どもにつきっきりで看病出来るだけの人手があるのか。そうした事を、君は考えたかい?」
アカハダは搾取された側であり、彼にとっては寮父の事情は関係がない。
確かに、言われてみれば一方的な話だが、だから納得出来るかと言われれば話は別だ。
「ならば放置するのが正しいのか。救われない者がいて、必要がない皇国が助けない事も分かる。俺だって救われなかった一人だったからな……だがお前達は為政者側だ。たまたま知り合いになったから問いかけている。為政者として、それが正しいとお前は思うのかと」
「正しいさ。為政者や支配者なんて、民から奪い取るだけの存在だ。奪い取っただけのものを返そうなんて思っているヤツは奇特なヤツさ」
アレクの言は、どこまでも単純だった。
彼は卓についた指を、今度は白抜炙へ向ける。
「誰だって、自分が幸せならそれで良い。君もそうだったんだろう? 【鷹の衆】が健在なら、君はこんなところでそんな少年と知り合う事も、また僕と知り合う事もなかった。そして平和に暮らしただろう。何も知らずに、自分だけがね」
「それが答えか」
皮肉な調子のアレクに、白抜炙は静かに問い返した。
自分の傲慢さは理解出来ている。
それでも知ってしまった以上は、考えずにはいられない。
「必要がないから助けないと言うのなら、必要があれ助けるのか? 民衆が家畜なら、労働力としてそうした孤児を取り込めば、より盛えるだろう」
「今以上を求めないのもまた、人の在り方だ。現状に満足していれば、わざわざ余計な事はしない」
「そういう考え方を好むのか?」
「いいや。反吐が出る程嫌いさ」
「何?」
それまでと一転して吐き捨てるようにアレクが言い、白抜炙は驚いた。
「僕は為政者がどういうものかを君に教えただけだ。君たちと変わらない人間だ、とね。だから、間違いもすれば怠惰にもなる。その上で言おう。ーーーだから僕は、この国を潰すつもりだと」
「何を言っている?」
話が飛躍し過ぎている。
人の耳があるところで、声を潜めているとはいえ、アレクの言葉は物騒極まるものだった。
「君は、この街の在り方に疑問を抱いた。ミショナ街の腐敗は、和繋国の腐敗の縮図だ。それを潰したいと君が思うなら、協力して貰っても良いと思ってね」
アレクは笑みを見せて、卓の上に頭を出して白抜炙に囁くように言った。
「……大那牟命の始末は、皇国の総意だ。だから僕はこの街の膿を出し、富を蓄え、大那牟命を殺してこの地域を皇国に併呑する。民衆側である君の意見は、非常に有意義だ」
「……出来ると思うのか、そんな事が」
「出来る出来ないじゃない、実行する為に何をしなければならないか、を考えないといけない立場なんだよ。僕はね。……拒否権なんて、ないからさ」
「だが、皇国でも事情は変わらないと言った」
アレクは頭を離して、背もたれに体を預けて足を組んだ。
「そう、変わらないさ。でもね、僕はその寮父も、この街で殺人を犯している連中も、それに加担しているらしき領主も、放っておく気はない。面倒くさいけど、大那牟命を殺すのは命令だしね。その為に必要な事は全てやる」
彼の言葉にはまるで迷いがなく、普段の軽薄な様子と違い、いつの間にか以前対峙した時と同様の覇気を纏っていた。
「ミショナは平和で、皆が安心して暮らせると思えば人も集まるから、疫病もさっさと治めないといけない。人が集まれば富が集まる。養うだけの開拓も必要になるけど、それを続ければこの街はさらに発展するだろう」
良いことを口にした後に、アレクは笑みと共に告げた。
「だがその後、この国は再び戦禍に見舞われる。ミショナの街でいずれ救われるだろう、君が拘る少年のような人々は、もっと増える。そうして後に、今よりも良くなるとは限らない」
「……減った分、増えると言うのなら、お前のやろうとしている事も今の為政者達と変わらないじゃないか」
「そう、結局はそれが、為政者のやる仕事だからね。でもね、シラヌイ」
アレクは珍しく、彼の名前を呼んだ。
「僕は平和主義だ。皆が平和に暮らせれば良いと、本気で心の底から思っている。そうでなければ、こんな地位はさっさと放り出して、今頃藍樹と気ままに旅をしているだろう」
「お前は、さっきから言っている事がころころ変わるな。どれが本心だ?」
「全て本心だよ。やるべき事と、僕が何を望んでいるかは別の話なのさ。……僕は平和が好きだ。でも、いきなり大それた事が出来る訳じゃない事も、理解している。だから身近なところから少しずつやるのさ」
アレクは、卓上の空の小さな皿を手に取った。
「まずはこの街を平和にするのが、僕の目標だ。そうして平和じゃなくなって、また平和に出来るか環境が整えば平和にしていく。そうして少しずつ輪を広げていくんだ」
手にした小さな皿を、アレクは少し大きな別の皿に乗せた。
「僕は軍人だ。平時は何もする必要はない。平和になればのんびり出来る。だから平和になって欲しいんだよ。世の中全てが平和になれば、僕は呑気に過ごせるようになる。それが理想だね」
「大那牟命を殺す為に戦争を起こすと言っておきながら、平和を口にするのか」
「そう、平和の為に争うのが戦争というものだ。僕はこれからミショナの街の掃除をするから、その間にどうするか考えておいて。勿論、君が協力しないからと言って戦争が起こらない訳ではないけどね」
アレクは席を立つと、思い出したように言った。
「ああ、そうそう。一つだけ伝え忘れていた。さっきの文言だけど、ハダシュというのだけは、似たような言葉が皇国にある」
「そうなのか?」
「ああ。テリブル・ハダーシュと言ってね。皇国最西の平原、その先に広がる強力な陰魔が生息する大森林がある。ハダーシュというのは、森を指す古い言葉だ」
「森……」
「もしこの辺りに古くからある森が存在すれば、それがハダシュという言葉の意味かもね」




