第9節:掟の闇
「乾くと病に、か」
アレクは、少年をヴァルに預けたその足でアレクの屋敷を訪ねた白抜炙の言葉に、難しい顔をした。
「それに関しては周知させよう。口元を濡れた布で覆って外出するように、と触れを出せば大半は従うだろう」
「疫病を本気で治める気はあるか?」
「それは勿論。でも、方策が立たないからね。水行の衰えが絡んでいるというなら、結界の五行星配を変化させる事でなんとか出来ないか?」
「難しいだろうな」
「何故?」
アレクの疑問に、白抜炙は溜息を吐いた。
いちいちそこから説明しなきゃならんのか、という溜息だが、アレクは堪える様子もない。
元々、白抜炙の周りには五行に精通した者が揃いすぎていた感もあるので、彼は説明した。
「南に水行素を集めれば、他の土地が乾くだろうが。五行星配に影響を与える五行素は無限にその場に存在する訳じゃない。大規模結界を長時間特定の星配に偏らせるのは均衡を保つのが難しくなる上に、結界が大規模であればあるほど偏りが治まった時の影響も大きい。そして何より、南方の火行が衰える。灰染の効が薄れれば、土に携わる仕事をする者全てに影響がある」
「そこまで?」
「何の為に灰染の加工場が火素の集まる南にあると思ってるんだ。地を固める符が効力を弱めれば、治水に影響が出るだろうが。火に携わる鍛冶師の工場も同様に南にあるだろう? 鋼を鍛えるのに入れる火の調子が良くなければ粗悪な品になるからだ。軍にとっても、それは問題じゃないのか?」
アレクは事の複雑さにようやく気付いたようで、呻きを上げた。
天地の星配に意味があるように、人の営みの配されるにも同様の意味があるのだ。
「疫病は、乾きの条件が整う以外にも、龍脈の乱れによって陰気が増している事にも原因があるだろう。湿枯が増えたのは間違いなく龍脈の乱れが影響だ。体感として他の要因もありそうな気がするが」
「色々と考えてるね、君」
「人ごとか。水の大禍に関してはお前の仲間の女が原因だろうが」
「え? そうなの?」
執務机の向こうで驚いた顔をするアレクに、白抜炙は掌を机に叩きつけて、上からアレクを睨み据えた。
「あのな、そうそう大禍がどこでもここでも起こる訳がないだろうが! 俺が流された大禍とここの龍脈を乱した大禍は、同じ大禍だ! つまり原因の一端は俺たちとお前らにあるんだよ!」
「な、なるほど……」
アレクがもごもごと、それは叔父上には伝えないでおこう、と小さく呟いたのを、白抜炙は白けた目で見てやった。
「……何?」
「いや。錆揮が隠し事をする時と同じような顔をしていたからな。ガキかお前は」
「怒られるの、嫌じゃない」
あはは、と誤魔化すアレクに、白抜炙は再び溜息を吐いた。
「とりあえず、疫病に関しては俺も本腰を入れて調べる。貰った手掛かりについてもな」
「助かるよ。学園に同じ記述の古い記録があった事を、僕の方でも調べてくれた人がいてね。ただ、言葉が古過ぎる上に、どうも東側の言葉みたいでね。解読出来るかどうかが分からない」
「皇国の呪紋士は頼りないな」
「そりゃ、君のとこの雛やお師匠様に比べれば誰だって劣るさ。だから、君に期待するよ」
「言われなくても、やる」
※※※
「お帰り」
白抜炙が宿に戻ると、少年は口を塞がれ手足を縛られて、長椅子の上に転がされていた。
「……何をしてるんだ、一体」
ティアには今、リィルが付いている。
ここは白抜炙の為に用意された部屋だ。
机の上で表皮を舐めていたヴァルが、顔を上げて器用に翼を竦めた。
「起きたら逃げようとしたからさ。シロが戻って来るまでは置いとこうと思って」
「一応病人なんだが」
「あれだけ元気なら、今は平気じゃないの?」
ヴァルの言葉に少年を見ると、彼は元気に暴れて声を上げている。
多分、解けと言っているのだろう。
白抜炙が久し振りに視線に殺気を込めると、少年はさっと青ざめて押し黙った。
空気に聡いのは、苦労をして来た証拠だ。
「逃げるな。そして喚くな。良いか、発作を起こしたお前を医者に連れて行ったのは俺だ。その治療費も俺が払った。食事もさせてやるし、縄も解いてやる。……だが、頼むから安静にしていろ」
近付いて口の縄を取ってやると、顔に赤い跡を付けた少年はぷはっ! と息をついた。
手足の縄を解く間に、質問する。
「名は」
「……アカハダ」
少年は、思いの外素直に答えた。
「通り名か」
「本当の名前なんて知らねーよ。捨て子だもん」
ふて腐れた顔をした少年は、確かに赤みがかった肌をしている。
おそらくは『赤肌』だろうと、白抜炙は検討を付けて笑みを浮かべた。
「俺と同じだな。俺は白抜炙。この髪が、名前の理由だ」
アカハダは、縄を解き終えた白抜炙の顔と髪をまじまじと見つめた。
「あんたも、捨て子だったのか」
「ああ。運良く生き延びた。お前と違って頑丈だからな」
「俺だって、この流行り病に掛かるまでは病気一つしなかったよ!」
良い負けん気だ、と白抜炙は思った。
「……だから拾ってくれたのか?」
「盗人をしようとした事を許したと思うなよ。逃げれば捕まえて突き出すぞ。だが、俺はこの病の事を調べているからな。お前の情報も欲しいし、何より死なれると寝覚めが悪い」
白抜炙は、アカハダの頭に手を置いて、屈んで目を覗き込んだ。
「お前を助けるのはお前為じゃなく、俺の為だ。だから大人しくしていろ。お前のその後の処遇を考えるのは、病気が治った後だ」
頭から手を離した後も、しばらく不思議そうに白抜炙を見ていたアカハダは、やがてこくりと頷いた。
「……わかった」
「よし。まずはお前の腹ごしらえだ」
帰りに寄った露店で買った魚の炙り焼きを、白抜炙は袋から取り出して渡した。
表面の皮が火に炙られて縮れ、茶色い焼き目の隙間から白い身が覗いている。
まだ暖かく、仄かに湯気と共に焦げた香りが立つと、アカハダはごくりと喉を鳴らしてそれを受け取った。
ガツガツと、凄まじい勢い身を食み、肉や皮が見る見るうちに無くなっていく。
骨ごと噛み砕いて吞み下す様に、未だこの国は貧しているのだと悟らずにはいられない。
白抜炙は、本当に恵まれているのだ。
アカハダが食事を終えると、白抜炙は質問した。
「お前、何処に住んでた」
「南の、鉄作りしてるとこの近く。冬でもあったかいし、雑用が結構あったから……」
「今はないのか?」
「ヘマして、元いた所で使ってくれなくなった。一緒に働いてた奴らが、鉄鋼を盗んで消えたんだ。仲間だと思ってたけど、俺が他の奴より真面目に働いてたのが、気に食わなかったみたいで……」
「お前も同じだと思われた?」
「鉄鋼置き場に、俺の腰袋が落ちてたって。盗まれて探してたんだけど見つからなかったやつで……やってないって言っても信じて貰えなくて、持ってた金、全部取られて」
俯いてボソボソと喋る彼は、本当に落ち込んでいるように見えた。
彼と比べて、他の連中は真面目に働け、とでも叱責されていたのだろう。
正直で真面目な人間が、いつでも報われるとは限らないのだ。
「……お前、何で修労院を嫌がる?」
「あそこの寮夫は、ヒデェんだよ。回される仕事のアガリは全部アイツが受け取って、飯は一日一食、麦粥だけだ。それも朝から晩まで働かされて、腹が減りすぎて動けなくなった奴は病気だって雑魚寝部屋に閉じ込められる」
修労院の内情を、アカハダは吐き出すように語った。
「熱が出たままほっとかれて死んだ奴もいた。でも、俺らが訴えても役人も助けてくんねー。引き戻されるだけだ」
「……そうか」
修労院は、厳密には皇国の管理下にはない。
和繋国の施策によって設置は義務付けられているが、内情をどうするかは各所の国や領主の采配に任されている。
異国の、それも籍もない捨て子を気にする貴族はいない。
中央である、大那牟命の膝元に訴えても同じだ。
彼の掲げる理念はたった一つ……『常在戦場の掟』のみ。
それは、生き抜く力を持たない者はただ喰われるだけの、弱肉強食の掟だ。
常に戦を、戦火の火種を望む旋風の覇王らしいその理念は天意自然に沿う、自然の理に近しい。
だが力なき人々が生きるには、掟はあまりにも厳しいのだと、白抜炙は改めて思った。
自身が自然の暴威にも等しいあの王が何を考えているのかは、凡人に過ぎない白抜炙が幾ら考えた所で正確に理解は出来ないだろう。
それでも。
「……民草を蔑ろにする為政者に、価値があるのか?」
「え?」
白抜炙の言葉を聞き咎めてアカハダが声を上げるが、白抜炙はそれに答えなかった。




