表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
朱の呪紋士  作者: メアリー=ドゥ
第三章 疫病編
88/118

第8節:風溺病


 必要な物資の買い出しの為に外に出た白抜炙は、背後から迫ってきた気配を察して避けた。


「うわ!」


 白抜炙の腰袋に伸ばされて空を切ったのは子どもの腕だった。

 軽く掴んで押さえ込むと、睨み付けて来たのは年端もいかない少年だ。


「離せよッ!」


 少年は怒鳴り声を上げたが、当然その程度で白抜炙は怯まない。


「人の金を盗もうとしておいて、そんな言い草が通る訳ないだろうが。こんな事をしていないで真面目に働け」

「働けるならこんな事してねーよっ!」


 少年は暴れるが、その力は弱い。

 よく見ればろくに食べていないのか、痩せ細っていた。


 白抜炙は思わずため息を吐く。

 昔の自分と、恐らくは同じ境遇なのだろう。


 拾っても養う当てもなく、放り捨てても金を恵んでも同じことを繰り返すだけだ。

 役人に突き出せば、修労院に送られるだろう。


 気は進まないが、と思いながら、周囲の目もあって少年を抱え上げた白抜炙は足早にその場を離れた。


「離せ!」

「さっきと返答は同じだ。役人に叱られてから、大人しく修労院へ行け。飯くらいは食わせて貰えるだろう」

「あんなクソみたいなとこ……!」 


 言い掛けた少年が、不意に咳き込んだ。

 水に溺れているような異様な音が混じっていて、白抜炙は大通りから外れた場所で足を止めた。


「……病気か?」

「ごぼっ! てめーに、がぼっ! 関係ねーだろ……!」


 言いながら苦しげに喉を押さえていた少年の体から、不意に力が抜けた。


「おい!」


 慌てて白抜炙が顔を覗き込むと、少年は口の端から涎を大量に溢しながら気絶していた。

 白抜炙は舌打ちして、近くにある医者の家へと駆け込んだ。


※※※


「風溺病だね」


 少年を診た医者は言い、首を横に振った。


「最近流行っている病だ」

「疫病か?」

「そう言われてるね」


 白抜炙は、寝台で眠る少年の顔を見た。

 頬が痩け、目の下が落ち窪んでいるその顔を見ると、何故か苛立ちを覚える。


 疫病によって苦しんでいるのは、何もこの少年だけではない。

 それでも、苦しむ彼の姿を見て、白抜炙は救いたいと思った。


 だが、今すぐにどうにか出来る訳ではない……その事実に、苛立つのだ、と白抜炙は気付く。

 今までは実感を伴わなかった事柄が、急に身近なものに感じられた。


 疫病の遠因の一つに、龍脈を流れた水の大禍があるというのなら、それはスケアを最後の最後まで殺し切れなかった白抜炙と、あの女の手綱を締め切れなかったアレクに原因がある。

 少年の様子を見るにつけ、悠長にしている余裕はない事を感じながら、白抜炙は医者に訊ねた。


「この病は、本当に治らないのか?」

「今のところ、治療法は見つかってない。お上からの通達で、湿枯が増えてるのも要因の一つって事は分かってるんだが……何が本当の原因なのか分からない事にはね」

「このまま放っておくとどうなる?」

「安静にしていれば進行は遅いが、発作が起こると溺れるように呼吸が出来なくなり、発作の時には陰気を伴う水を吐く。発作が治まらなければ、そのまま死ぬ事も多い。何人か見たが、広がっているのはこの子のような貧民層が多いね」

「……医者に掛かれずに、死んでいる人の数が多い可能性があるのか」


 貴族どころか、平民ですらない者達……流れ者や、かつての白抜炙らのような徒党は、一度国が失われた戦火によって、生まれの記録すら抹消されている。

 そして和繋国は、歴史の浅い国だ。


 戸籍を持たない者から生まれて捨てられた孤児であった白抜炙は、そもそも籍を持っていない。

 この少年も、それは同じだろう。


「医者に掛かる気が、貧民にはそもそもないだろうしね。この病は、龍脈が乱れた後に現れた病だ。この間龍脈を過ぎたのは水の大禍だと言うし、反動で星配が枯れているのかもね。だから乾くんだ」


 その物言いに、白抜炙はふと疑問を覚えた。

 ただの医者にしては、物言いが五行に馴染む者のそれだったからだ。


「貴方は、五行に造詣が?」

「一応ね。私は呪医を目指していたから。でも、才がなくて本当に齧っただけなんだ。呪紋の扱いに関しては、簡単な外傷の治癒くらいしか出来ない」


 どこか恥じるように笑った医者は、言葉を続けた。


「でも、患者の中には天気地脈の影響で体調を崩す人もたまに来るから、星配に関しては気になるんだよね」

「なるほど。では、貴方はこの病が水に関する病であると思いますか?」


 医者は、戸惑ったように白抜炙を見た。


「と言うと?」

「湿枯の増大、龍脈の大禍、と二つ水行に関する事柄があり、この病は大禍の後に来た。もしかしたら、他にも水行に関する事柄が絡んでいるかもしれない。そう思ったのです」

「君も、呪紋を修めているのかい?」

「同じく、齧る程度には」


 医者は白抜炙の答えに頷き、少し考えるように遠くに目を向けた。


「病は、南で特に広がっている」

「南、ですか」

「そう。南区には、灰染(はいぜん)工場(こうば)があるんだ」

「灰染……」


 それは、白抜炙にとって馴染み深いものだった。

 灰染というのは、灰と粘土を練り固めた符板であり、含情(がんじょう)樹と呼ばれる樹木を焼いた灰を使う。


 土行刻紋の素材である。

 土は火より生まれる為、土に還る前の火素を含む灰を使うのだ。


「火行の場で広がる病、ですか」

「水気が薄い場所、と考えると、条件には合致するだろう? 行く時は、濡れた布で口許を覆うといい。この病には、渇くと掛かるんだ。だから、心の臓や腹を病んだ者も掛かりやすい」

「他には、どうでしょうか」

「この間の冬は、この辺りは暖かかった。暖かい冬は水気の衰えを呼ぶ。それに、このミショナの土地は土気の地らしいから、土克水だ。今は、水行が弱まる条件が整い過ぎてるね。君と話して初めて気付いたけど」


 医者が感心したように言うが、白抜炙は内心別の事を考えていた。

 本来この地は、白抜炙の目には陽木陰水の土地であるように見受けられたので、医者の告げた話とは齟齬がある。

 が、彼はあえてそれを口にしなかった。


「色々と助かりました。この子は動かしても?」

「構わないよ。発作が治まっているし、ここにいてもしてやれる事はないしね。ただ、安静にさせておく事だ」

「はい」


 白抜炙は頷いて金を払うと、礼を言ってその場を後にした。

 結局、なし崩し的に拾う事になったな、と思いながら。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ