第5節:見え過ぎる目
白抜炙は、リィルらを連れてアレクと合流すると目的の場所へと向かった。
東区の一角に仮設された、天幕で作られた放浪民の居住区だ。
ホツマへの面通しを願ったアレクに、ホツマの弟子だという、ルフと名乗った女は頷いて見せた。
「話は伺っています。こちらへ」
案内された中央付近の天幕の中にいたのは、異様な気配を持つ者だった。
「ワタイがホツマだ」
「僕の役目はここまでだ。白抜炙。何か用があるなら西区の執政官、ハヌムが管理する別邸を訪ねるか、これに連絡を。僕からの連絡があれば、宿の方に伝令を走らせるから、寝ぐらを変えるなら教えてくれ」
風信の割符を差し出すアレクに、白抜炙は訝しさを覚える。
「そちらからの連絡も符で良いんじゃないのか?」
「僕は風信を受ける事は出来るけど、自分で連絡は無理なんだ。元々、呪紋の素質がなくてね。藍樹の声を聞くために、龍声と同じ性質の『声』は聞けるようになったんだけど」
皇国蒼将の意外な言葉に驚いたが、白抜炙は頷いた。
「じゃあね」
アレクが言ってルフと共に出て行くと、白抜炙は改めてホツマに向き直った。
その異様さは、どう言い表せばいいのだろう。
極端に陰に寄った呪力を内に秘めながら、それがまるで外に影響を与えていない。
むしろ、周囲の陰気を吸い取り、それをさらに陽気で作り出した肉体の檻に閉じ込めているような在りようは、常人ならば一瞬で魂が崩壊していてもおかしくない状態だ。
にも関わらず、彼女は体内に閉じ込めた陰気の影響をまるで受けていないかのように、魂が在ると思しき胸元だけが綺麗な陰陽を保っている。
「……まるで、【大禍】だ」
ホツマの気配を白抜炙がそう言い表すと、ホツマはおかしげに笑った。
「おや、随分見所があるね。一発で見抜くかい。ワタイは『呪詛喰らい』さ。須安は〝ただ在る者〟と評した。言い得て妙さね。理を乱す陰気を吸い続ける、ただそれだけの女だ」
しゃがれた老婆の言葉に、リィルがポツリと言う。
「……何故そんな姿をしている?」
「人が歳を取らなきゃおかしいだろう。放浪民らは、アタシの正体を知らないのさ。長にしか教えてないからね」
言う間に、老婆の声がねっとりとした色気を含む妙齢の女性の声音に変わった。
その変化に、白抜炙は驚く。
「呪紋……?」
「理を操るという意味では同じようなもんだけどね。アタシはどっちかと言や、ティアと似たような存在だ。ま、アタシの事はあんたにゃ関係ない。問題は、あんたが大極紋の刺し手に相応しいかどうかの方だろ?」
ホツマの言葉に、白抜炙は頷いた。
「貴女に教えを請え、と師に言い伝えられました」
「ふぅん。新しい目は、どの程度まで普通の事が見えてるんだい?」
彼女には、何もかも見透かされているように、白抜炙には感じられた。
「……歩くに支障のない程度、です。この目になってから、一度も紋を刻んだ事はありません」
「なら、それが出来るところから始めな。本質を見る目は、今のあんたにゃまだ過ぎた代物さね。だから、きちんと見えない。ティア、救いを与えるのは構わないが、少しは力を制御しちゃどうだい? 相変わらず抑えがからっきしだねぇ」
「ごめんなさい、ほつま」
申し訳なさそうなティアに、リィルが険を含む声音で言い返す。
「……分かっているだろう。出来もしない事をティアに求めるな」
「だが、努力は怠るもんじゃなかだろう? ーーー白抜炙。ティアの癒したその目は、普通と違う目じゃないよ。ただ『見え過ぎる』ようにされちまっただけだ。雛と同じようにね」
「朱翼の事も知っているんですか!?」
思わず白抜炙が身を乗り出すと、ホツマは手をかざしてそれを抑えた。
「生きてる事を知ってるだけさね。どこに居るかまでは分からない」
生きている、と聞いて、白抜炙は安堵を覚えた。
それなら、今度はその内会えると、信じることが出来る。
「……見え過ぎる、というのは、どういう意味なのでしょう?」
高揚する気持ちを抑えながら、必要と感じた事を問い掛ける白抜炙に、ホツマは何がおかしいのか微かに笑った。
「そのまんまの意味さ。あんたの目は今、物事の本質を見透かしちまってるんだ。だから、曇らす事を覚えな。曇らした目で、皆が物事を見てることを理解し、真理から目を逸らすのさ」
まるで雲を掴むような曖昧な返答に、白抜炙は眉根を寄せる。
「さっぱり意味が分かりません」
「実演してみせようかね。コツを掴みな」
言いながら立ち上がったホツマが、以前のティアのように白抜炙の目に触れた。
「朧に霞め」
ホツマの力在る呪によって、ぼやけたようになった視界に、鮮明に景色が映る。
「これは……!?」
まさか再び見る事もないと思っていた人が人の姿である様子に目を見開くと、目の前に見すぼらしい格好をした美し過ぎる女の顔があって、白抜炙は仰け反った。
彼女がホツマなのだろう。
視界は、すぐに元に戻った。
「どうだい? 感覚は掴めたかい?」
「……なんとなく、は」
言いながらやってみる。
感覚としては、わざと焦点をぼやけさせて目を見辛くするような感じだ。
すると先ほどより不鮮明だが、五行気に人に姿が重なって見えるようになった。
「筋が良いね」
ホツマが笑いながら、元の場所に腰を下ろす。
「理屈は理解出来たみたいだね」
「……これをしながら紋を刻むのは、随分骨が折れそうです」
白抜炙の言葉に、ホツマは首を横に振った。
「慣れだよ。何でも最初はしんどいモンさね」
「ですかね……」
「で、リィル」
ホツマは不意に、リィルに顔を向けた。
「あんたは、何しに来たんだい?」
「……ティアの不調の原因について、知っているか」
リィルの問いかけに、ホツマはあっさりと、知ってるよ、と答えた。