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朱の呪紋士  作者: メアリー=ドゥ
第三章 疫病編
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第3節:アレクと藍樹


「ダハカ、という名前に心当たりはありますか?」


 アレクは、白抜炙と会ったその足で街の執政官であり自身の叔父でもあるハヌムを訪ねていた。


「いや。覚えはないな」

「では、この地に封じられているという存在に関しては、何かご存知ですか?」


 ハヌムは少し考えてから、棚にある資料の一つを手に取った。

 酷く古いもので、このミショナの街を開墾する際に記録された資料のようだ。


「この街は、龍脈溜まりが出来る条件には合致しているが、五行星配がおかしいという話は聞いた事がある。もし封じられた存在などというものが在り、それが強大な存在ならば理由としては妥当だな」

「何かが封印されてると、星配が偏るんですか? それは知りませんでした」


 のほほんと言うアレクに、ハヌムは眉をしかめる。


「其方、仮にも一軍を預かる者だろう」

「戦場の星配には気を配りますが、僕は元来、呪紋士ではないので。五行星配についてそこまで詳しくは知らないんですよ。普通、軍には副官というものが居ますしね」

「全く……」


 ハヌムは溜息を吐いてから、アレクに説明した。


 五行の内、生き物が住まうに適する土地は、陰陽の均衡が取れ木水土の五行が盛える土地だという。

 人の営みには金火の消費が多く、水は生命の糧、土木は土地の豊かさに直結するからだ。


 他に地形、すなわち山河や平地などの条件もあるが、皇国が本国のある西側ではない場所にミショナの街を構えるのにはそうした理由があった。

 北に近いのは、軍事的な事情として北の閻国や和繋国の王都への要衝という意味もある。


 侵攻があった際、本国とミショナで挟み撃ちに出来る位置なのだ。

 故にミショナの街は、倭繋国の北東に位置している。


 北東の方角というのは木水の方位だ。

 水気というのは最初に陰陽から北へ向けて分離した陰気、極陰であると言われており、陽よりも陰に親和する。

 故に水紋呪というものは、金水の陰気に満ちる大多数がぶつかる戦場において効力が高く、皇国において戦地特紋士が水の紋を刻む事を推奨されるのはこの為である。


 木気は逆に陽気に親和するが、陰陽から南へ向けて極陽たる火気が分離した後に現れた陽気であり、どちらかと言えば中庸に近い気である。

 木紋の上位に風紋があるように、木気は風の属性を持ち、薄いが広い『大気』というものは木気に属している故に、地上のどこであっても一定の星配が存在する。


 故に、北東という方角は陰陽の面においてもそれなりの均衡の保たれている地であり、またミショナの街がある場所は大那牟命の座す中心地『王都』に近しい。

 中心地とは、五行の内、他の四行気の寄り集まりである『土行』の支配する場所。


 完全な中庸である。

 だからこそミショナの街があるこの地は、中心地を除いて最も安定した星配の場所であると同時に、最も人が過ごしやすい場所であるとも言えるのだが……。


「地の五行が、ともすると土気に勝る……そう資料には書かれている」

「……中心地に近いのであれば、何もおかしな事はないのでは?」

「元々木水に勝る地で、特に水気は強い陰気だ。北の方位から中心に近い為に水気が多少陽転する事を考慮しても、ミショナの土地は陽木陰水の地だ」

「はぁ」

「にも関わらず、この龍脈溜まりは中庸に近い土に寄り続けるらしい。実際の記録上も、土の中庸に近づこうとする様子が見受けられる。これをおかしくないと感じるなら、そやつには呪紋の才がない」


 お前の事だと言わんばかりのハヌムに、アレクは苦笑を浮かべた。


「まぁ、僕がまともに扱えるのは藍樹(ランジュ)の龍気だけですしね」

「龍騎という言葉は、五行の理を修めた賢人を指す言葉だった筈なんだがな。この常識外れの型破りめ」


 アレクは、呪紋を扱わない。

 それは呪紋士でないという意味ではなく、身に紋を刺す刻紋の者でもなく、生活に必要な活符に至るまで全ての紋術を扱えないのだ。


 アレクは歯に絹着せぬ叔父が、決して本心から罵っている訳ではない事を知っていた。


※※※


 無才。

 そう影に日向に馬鹿にされる事を、アレクは幼少の頃から一切気にしていなかった。


 別に符を扱えずとも、火は起こせば良いし、水は汲めば良い。

 野山を駆け巡るにも足があればそれで良いし、騎竜出来ずとも馬がある。


 紋など無くても、獣や妖魔の相手は槍一本で事足りる。

 アレクにとってはそんな人の営みの矮小な事に拘るよりも、天地自然の中に感じる事の方が遥かに心地良く、大切だった。


 そんな彼に対して親兄弟姉妹ですら苦虫を噛み潰し、父に至っては罵倒する事すら多かったが。

 口では悪し様に言っても、他の者に接するのと同じように接してくれたのが叔父のハヌムであり、慕ってくれたのがメイアだった。


 彼の評価が一変させたのが、ある日出掛けた時に出会った一匹の蒼龍だ。

 挑んだわけではない。


 彼がいつものように山へ入り気持ちの良い場所を見つけて昼寝をしていると、どうやらそこは蒼龍の休憩所だったようで、不意に現れたのだ。

 敵愾心は感じなかったが、こちらを見定めるように地に降りもせず留まる蒼龍に、アレクは横の地面をぽんぽんと叩きながら話し掛けた。


『休まないのかい? 別に邪魔はしないよ。先に来ていたのは僕だから退かないけどね』


 霊的に人よりも高位の存在は、食事の必要性が低い代わりに自身に即した五行気の満ちる休息所を必要とするらしい、という事を、アレクは聞きかじっていた。

 恐らく、目の前の蒼龍にとってはアレクの居る場所がそうだったのだろう。


 心地よいと感じたのは、そこが特に木気の濃い場所だったからなのだ。

 蒼龍は、不意にアレクに興味を失ったように顔を逸らすと、横に降り立って寝そべった。


 そんな事が数度あった後、学び舎で従魔に関する儀式を行うというので、アレクも参加した。

 別に出たかった訳ではない。


 その時点でアレクは紋術に関する実技単位を全て落としており、紋術の落第は決定的だった。

 紋術の基礎すら修めていない者が、上職へ仕官する事は望めない。


 貴族とはいえ、下級騎士ですら危うい。

 なれなかった時は、家を出るか兵にでもなるか、とアレクは軽く考えていた。


 それでもアレクが授業などをサボらないのは、単にサボる理由がなかったからだ。

 アレクはどうも、自分が心の痛みというものに対して鈍い人間だと思っている。


 蔑む者たちを下らないとすら思えないーーー他者を害するなら話は別だが、自分の事ならば、人とはそういうものだ、という理屈のみで割り切れてしまっていた。

 自分に、紋術に関する才がない事も同様だった。


 しかし従魔契約が自分の番になって、ふとアレクは思った。


 あの蒼龍は美しい龍だった。

 少しは親しんだ自分が戯れに呼んだら来てくれるだろうか、と。


 龍と言葉を交わす事は、紋術の才のある者が合意の上でか従えるかは別として契約を結んだ時か、あるいは龍側が言葉を発する呪を行使した時だけだと言う。

 アレクは、呪の気配を感じ取る事も出来ない程の無才だ。


 戦いならば、相手の敵意や殺気、あるいは闘志といったものや挙動からそれらを見取り、避ける事も払う事も出来るが、相手に害意がなければ不可能である。

 一度話してみたい、そういう気持ちから龍を招ぶ陣の構築を頼んだ。


 嘲笑が起こり、陣を組む教師も苦い顔で、お前には無理だ、と一顧だにしなかったが。

 

「どうせ失敗するなら、どんな陣でも同じでしょう?」


 特に気を悪くもせずに片目を閉じたアレクに、呆れながら教師は符陣を組んでくれた。

 そうして、心の中で蒼龍に呼び掛けると。


 彼は、音もなく陣の中に現れて、教師の度肝を抜き、周囲の生徒たちを恐慌に陥れた。


「やぁ。来てくれて嬉しいよ」


 そう笑顔で呼びかけるアレクに、蒼龍は首を傾げた。


 ーーー幾ら呼び掛けても無視していた汝が、どういう風の吹き回しだ?


 初めて聞いた蒼龍の声は、どこか拗ねているように聞こえた。


「呼び掛けていた? それは済まない。僕には、どうも呪を聞く才能がないみたいでね」


 アレクの言葉に蒼龍は納得したように頷き、では今声が聞けるのは何故か、と問うて来た。


「これって、主従の契約を結ぶ儀式らしいんだ。その時には、龍声が聞けるという話を聞いてね。僕も一度、君と話をしたいと思っていたから」


 なるほど、と蒼龍は頷き、では、我との主従契約を望むか? と好戦的に牙を剥く。

 龍は、己を降す者か、より高位の者にしか従わない。


「別に僕が君の従者になっても良いけど……従者じゃ背中には乗せて貰えないよね?」


 是、の声に、アレクは槍を軽く構えた。


「じゃ、やろう。出来れば手加減して欲しいけど」


 そうしてアレクは、一切の呪紋を使わずに蒼龍を圧倒し、地に伏させた。


「僕の勝ちだね。名前を教えてくれる?」


 蒼龍は、自身の敗北を認めて素直に口を開いた。


 ーーー藍樹(ランジュ)。我は東方青龍に近しく連なる龍である。


「では藍樹。僕はアレク。アレキウス・ヴァユ・ガラテインだ。これからよろしくね」


 息一つ乱していないアレクの言葉を持って、二人の契約は為された。

 この件を認められ、将軍直々に軍へと勧誘されたアレクは、後に型破りの無才将軍、四団長の一人『蒼将』として名を馳せる事になる。

 

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