第40節:白抜炙の欠片
無陀が、情報を提供してくれたという禿鷹を、許可を得てメイアの食事会に誘った。
彼女の父は街の有力者だ。
異存はなかろう、と無陀は言っていたが、まさか東の頭目が供も連れずに現れるとは、朱翼は思っていなかった。
よほど腕に覚えがあるらしい。
「すまない、私の側からも是非食事会に、と言われる方が居てね。同席させて貰ってもよろしいか?」
食事会の席についた時、メイアの父、ハヌムが言うのに軽く了承したが。
現れた人物を見て、颯以外の【鷹の衆】は全員殺気立った。
誰よりも先に、その人物の名を呼んだのは、朱翼自身。
「アレク……!」
「久しぶりだね。元気そうで何よりだ」
正装に近い服装ではあるものの、鎧は身に付けていない。
流石に槍は所持していたが、争う気はない、とばかりにさっさと椅子に腰掛けると、彼は槍を背もたれにもたせかけた。
「座ってくれ。ここで殺し合いをする気かい? 君たちは、随分とメイア嬢の世話になっただろうに」
「って言われてもねぇ。俺たちの村を滅ぼした張本人を目の前にして、それは出来ない相談だと思うけどねぇ」
「……何ですって?」
事情がよく呑み込めていなかったメイアが、鋭くアレクに目を向ける。
「アレク兄様。どういう事?」
「色々と事情があってね。そちらの方が禿鷹かい?」
「是。私も今の話は聞き捨てがならない。マリア様の死に、貴方が関わっているのか?」
「否定はしないけど、あれは不可抗力だ。とりあえず、一つだけ言わせてくれ。君たちにも関わりのある話だ」
朱翼たちに座る気配がないと見たアレクが、今にも飛び掛かりそうなこちらを見て仕方がなさそうに言う。
「君たちの探し人を、僕は保護している」
アレクの言葉に。
【鷹の衆】全員に……特に朱翼に衝撃が走った。
「どういう、意味ですか」
震える声で問う朱翼に、アレクは微笑を浮かべたまま返事をする。
「そのままの意味だよ。シラヌイ。彼を見つけて、僕が保護した。……ああ、手は出さない方が良いよ。僕が時間通りに帰らなければ、彼の命は保証しない」
白抜炙。
自らの想い人の名が仇敵の口から紡がれた事に、朱翼は頭の芯が焼け付きそうな程に激昂した。
「会わせなさい。今すぐに!」
「残念ながら、そういう訳にはいかない」
牙を剥く朱翼とは裏腹に、アレクは冷静だった。
冷たく張り詰める空気の中に、仇敵の声だけがただ響く。
「この場にお邪魔させて貰ったのは、交渉の為だ。旅立つのを少し待って欲しいとね。代わりに僕の依頼を受けてくれれば、報酬として彼との再会を約束しよう」
「信用しろと言うの? 貴方を?」
烏の厳しい声に、アレクは懐から取り出したものを卓上に滑らせた。
「証拠として預かったものだ。これを見せれば、信用が得られるだろうと」
出てきたのは……古ぼけ、割れたものを接いだ一枚の板。
白抜炙が大切に持っていた、最初に作ったという熾の符だった。
指を伸ばして、朱翼はそれに触れる。
泣きそうになった。
生きている。
白抜炙は生きていた。
その証拠が、今、手の中にある。
朱翼は符に頬を摺り寄せた。
会いたい。
白抜炙に、会いたい。
信じていた。
でも、不安だった。
押し寄せる情動に、朱翼は懇願する。
「会わせて……」
涙が、堪えきれずに一筋溢れた。
「お願い……一目で、良いから……」
「言っただろう? それは、出来ない」
「アレク兄様! 見損なったわ! 紳士が、婦女子の涙を見て何とも思わないの!?」
メイアが、アレクに対して平手を打ったが、アレクはあっさりと躱した。
「耳が痛いけどね。メイア。これは為政者としての決定だ」
「為政者ですって?」
「そうだよ。先立って、君にも情報が入っているだろう? 領主はアジの協力者だったから、処刑した。後釜には僕が座ることになった。代理だけどね」
「に、兄様が……?」
「そうだよ。これでも皇国五将の一人だ。資格については誰にも異論はないだろう?」
「お父様は、それを了承したの?」
「むしろ願ってもない事だろう? アレクは有能だ。能力はあるがやる気のない男が、やる気を見せた。拒絶する理由はない」
責めるようなメイアに、ハヌムも為政者の顔で応じる。
「つまり、貴方がこれからミショナの街の支配者か……蒼将アレク。和繋国に入ったとは聞いていたが」
禿鷹も苦い顔をしている。
しかし、アレクは彼に笑顔を向けた。
「僕は、あなた方を無理に従えようとは思わない。譲るべき点は譲るよ。この場に同席させて貰ったのだって、貴方が来ると聞いていたからだ。僕の領地で、無用な争いの火種は残しておきたくないからね」
「なるほど、そういう話か。では、私はこの件に関しては口を挟まない事を約束しよう」
「感謝する。さて、スイキ」
アレクは、朱翼に向けて話しかけた。
「僕が出す条件は一つ。この街で流行っている疫病を鎮めてほしい」
「どういう……意味ですか」
心は未だ千々に乱れているが、朱翼はなんとか言葉を絞り出した。
白抜炙に会わせてくれるのなら。
何でもしよう。
そう。
悪龍を眠らせた時以上に悪辣な事であっても。
朱翼は、アレクの次の言葉を待った。
「そのままの意味だ。この街では疫病が流行り始めている。その原因は龍脈の乱れ。即ち呪力の乱れによるものだと思われる。しかし、肝心の乱れを鎮める事が僕には出来ない。だから、君にこの解決を依頼する。報酬は、先ほど言った通りだ」
「何故、私なのです」
かつて師に問いかけたのと同様の問いを、朱翼は口にした。
「そうだね。まず一つに、君以上に龍脈への理解が深い者は、ほとんど存在しない」
アレクは、意味ありげに烏と無陀に目を向けた。
「そしてそのほとんど存在しない内の二人、須安老と大那牟命が、その解決に君を指名した。それが理由だ」
少しの間。
誰も、何も言わなかった。
「引き受けましょう」
朱翼は、深く息を吸い込み、契約の呪を口にする。
「疫病を鎮め、白抜炙を取り戻し……私から何もかも奪うあなた方を、全員殺します」
「救世の巫女とは思えない程の物騒な、発言は聞かなかった事にしよう」
アレクは、殺気を隠そうともせずに睨みつける朱翼を尻目に、飄々と退出した。
「では、良い晩餐を。君の成長に、期待している」
閉まった扉は、朱翼の想いを拒絶するように重い音を立てた。
白抜炙と朱翼の距離は、未だ遠く。




