第7節:あの子は錆ちゃんが好き
錆揮が村の中にある長老の家を訪ねると、家の中から錆揮と入れ違うように中年の女性が出て来た所だった。
「おや錆ちゃん。どうしたの?」
「こんにちはトモエさん。野菜分けてもらおうと思って」
歳ちゃん付けで呼ばれるのは気恥ずかしいが、彼女にそれをやめろ、とは言えない。
トモエは、錆揮たち同様に人拐いの村に連れ去られたマドカと言う少女の母親であり、畑を取り仕切る偉い人だ。
彼女の好意で山菜以外にもちょっとした口利きで豊富な食材を得る事が出来ているので、気恥ずかしさ位は我慢しなければいけない。
「皆さんは変わりないかしら?」
「元気だよ」
元気過ぎて手合わせで一向に勝てやしないから腹立つけど、と錆揮は内心で付け足す。
トモエは、良い事だわねぇ、と言いながら再び出て来たばかりの家屋に入っていった。
「長老様~。【鷹の衆】が、野菜を分けて欲しいそうですよ。一人お使いを出して下さいな」
【鷹の衆】とは、御頭が纏める集団の通称だ。
『姫鷲』の異名を持つ御頭が従える山の民だから【鷹の衆】なのだ、と前に教えてもらった。
トモエに対して奥から返事があり、すぐに子どもが一人、錆揮の横を駆け抜けて行った。
「おお、錆揮」
続いて出て来た長老は、その響きに似合わない健康そうな大男だった。
元は木こりだったと言う彼は、蓄えた口ひげや髪に白髪が混じっているのが年齢を感じさせはするが大柄な体格はまるで衰えていない。
体が少しも大きくならない錆揮は、いつも長老を羨ましいと思っている。
「これ御頭から預かった荷物です。干し肉と活符が入ってます」
「ありがたし。須安翁と御頭に、感謝していたと伝えておくれ」
「須安様も御頭様も、本当に良くしてくださるわねぇ」
しみじみとトモエが言うのと同時に、視界に映った部屋の奥に見慣れない人物がいてこっちを見ているのと目が合う。
色の深い青髪の女性だ。錆揮は初めて見た髪色に思わず見つめ返してしまった。
頭を下げられたので、錆揮も慌てて礼を返す。
「あの人、お客さん?」
長老に尋ねる。
「ああ、旅の御方じゃ。薬草を探しながら行商をされているそうでの」
「へぇー。女の人なのに」
村には知り合いの行商以外は滅多に客がない筈だ。
それに、女性は屈強には見えなかった。どちらかというと華奢な印象だ。
一人で旅など危なくないのだろうか。
「この辺りも、それだけ安全になったのよ」
錆揮の言葉を受けて、トモエがしみじみと言う。
「昔は、この辺りも乱で荒れてねぇ。玉帝が倒れてから一層酷くて。那牟命王や【鷹の衆】が地を治めてくれたお陰で、本当に住みやすくなったしね。そりゃ元通りとはいかなかったけども」
錆揮は黙って彼女の聞いていた。いつもの話だ。
【鷹の衆】が何をしてくれたかを彼女が錆揮に語るのは【鷹の衆】に対する感謝がそれだけ深いからだ、と長老は言っていた。
だから、黙って聞いてやってくれ、と。
たまに長老の開く学所へ行くが、その中でも乱の頃の話を聞いた事があった。
彼女の言う乱とは、昔、西の皇国に居た『救世の御子』と呼ばれた少女を玉帝が拉致して処刑した事に端を発する戦争の事だ。
この玉帝の暴挙に対して、八岐大国の属国だった周辺四州と大陸四方の四国が同盟を組んで反旗を翻し、八岐大国を攻め滅ぼした。
結果、首都周辺は完全に壊滅し、大国は盗賊や陰魔の跋扈する無法地帯と化したらしい。
その後現れた那牟命王が凄まじい速さで領土を平定したが、それでも一気に秩序を取り戻す程、国の滅亡というのは甘いものではなかった。
姉の朱翼や錆揮が捕まって奴隷になったのも、丁度那牟命王が領土の平定を終えようとしていた頃の事だ。
時期を同じくして、御頭率いる【鷹の衆】がこの地に居を定めて、周囲の秩序を整え始めたのだという。
錆揮らが白抜炙に拾われたのは、マドカを攫って【鷹の衆】に攻められた人攫いの村だった。
「それはそうと、錆揮。マドカとは仲良くやっているかね?」
「? はい」
何故そんな事を訊くのだろう、と思っていたら、トモエが続けた。
「あの子は錆ちゃんの事が好きだからねぇ」
言われて、錆揮は自分の耳が熱くなるのを感じた。
あの村からこちらへ来る間に少しだけ話をして、以来、錆揮とは会えば話すくらいの仲になっている。
「そういう事を口にするものではない」
「あら、本当の事じゃないですか。知ってます? あの子、錆ちゃんが来るといっつも野菜を多めに入れてるんですよ」
トモエに対して長老が苦い顔をするのに、彼女は気にした様子もなくころころと笑った。
「あ、あの。俺、失礼します」
居心地が悪くなり、錆揮は頭を下げた。
「うむ。また学所を開く時においで」
「御頭によろしくねぇ」
はい、とうなずいて、錆揮は急いでその場を後にする。
「あ、錆揮さん」
畑に向かうと、十歳位の少女が錆揮の姿を見掛けて手を上げた。
嬉しそうに駆け寄って来た少女は、錆揮に向かって手に持った荷物を掲げてみせた。
「お野菜、いっぱい入れておきました」
陽を浴びて、軽くの浮いたまだ幼い顔を錆揮は思わず見つめてしまう。
御頭や姉の朱翼に比べれば美人とは言えないが、マドカは愛嬌がありよく笑うので、可愛いと錆揮は思っていた。
「どうされました?」
何も言わずに見つめる錆揮に、マドカは笑顔のまま、どこか恥じらうように目を反らす。
錆揮は慌てて首を横に振った。
「い、いや、何でもないよ。ありがとう」
「? はい」
先程の錆揮と同じように不思議そうに首を傾げるマドカに、錆揮は言葉に詰まってしまう。
何か喋らなければ、と少し焦ったが、マドカの方が先に口を開いた。
「お帰りの時は気をつけて下さいね。雨が降りそうですから」
言われてマドカを見ると、彼女は空を見上げている。
錆揮達の住む山とは反対の方向に薄い灰色の雲が見えた。
「本当だ。早く帰らなきゃ」
「はい……」
どことなく名残惜しそうなマドカに、錆揮は早くこの場を去りたいような、でも勿体ないような、はっきりしない気持ちを感じた。
「じゃあね」
「はい」
一度足を動かし始めると、錆揮はマドカの視線と雨の事が気になって、次第に足早になった。