表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
朱の呪紋士  作者: メアリー=ドゥ
第二章 悪龍編
76/118

第36節:最後の贄

「フラドゥウウウウッ!」

「ッ、耳障りに喚くな……!」


 怒りをもって襲い掛かって来るメイアを、フラドゥは避けながら短刀を閃かせる。

 しかし実力差を気迫で埋めているのか、彼女は怯む事なく足を跳ね上げ、肘を打ち、その合間に呪紋を放つ。


 死を恐れていないと思える程の至近でフラドゥの刃を躱す彼女は、無数の擦り傷を体に刻まれながらも止まらない。

 歯を食いしばり、乱れかける呼吸を無理やりに整えて、なりふり構わず戦う彼女は……途方もなく美しかった。


 そんな彼女を見つめながらも、幻鐘は動けない。


「まだだ……もう少し……」


 腕に描いた紋を静かに、悟られないように。

 慎重に小さく、出来る限り小さく、紋を展開していく。


 呪紋は、ただ紋を展開する事が一番簡単だ。

 しかし今、幻鐘はフラドゥに気付かれてはいけない。


 息を潜めるように、精密に。


(カノエ)顕現……」


 幻鐘は、修験の師とも呼べる先達に言われていた。

 実力をひけらかすような真似をするのは、二流の行いだと。


 得た力を必要な時に、目立たないように、必要なだけ使い、ただひたすらに理を追求していた彼。

 大きな力を持ちながら、人が困窮していようとも手を差し伸べない彼が理解出来ず、結局先達とは別れたが……。


 彼の語った言葉が、今なら分かる。


金霊、招来(ゴンリョウショウライ)


 中途半端な手助けは、結局のところ何もしないのと変わらないのだと、彼は得た仲間と共に斡旋を受けるうちに気付いた。

 途切れない依頼、上に行けば行くほど際限なく増えていく要求。


 人の欲望には限りがなく、力ある者が手を差し伸べれば引きずり落とすが如く群がる。


 そう。

 朱翼に、幾多の欲望を秘めた連中が群がるように、だ。


 故にこそ、真に力在る者は己の平穏の為に力を隠さねばならないのだ。

 真面目に修行してこなかった事が悔やまれる。


 気付くな。

 幻鐘は心の中でつぶやいた。


 朱翼との修行は付け焼き刃に過ぎなかったが、それでも彼女の言葉に従って呪力を、厳密に放出していく。

 僅かに漏れる呪力が燐光を煌めかせる度に、奥歯を噛む。


下抜上足(ゲバツジョウソク)……!」


 出来る限り静かに、深く。

 来るべき瞬間まで悟られないよう、しかし間に合うように。


 編み上げた紋をひけらかす事なく展開し、陣を組み上げて行く事の、なんと困難な事か。


 そして、その瞬間は訪れた。


 フラドゥが、ついに動きを止めたメイアを引きずり倒し。


「これで……!」


 手に持った刃を振り上げる。

 幻鐘は、編み上げ、保持していた呪紋を、手を前に突き出して一気に解放した。


「汝、《酉非(トリニアラズ)》ーーー」


 フラドゥの、真後ろに。


「名代、赤銅……!」


 赤銅が、これまでにない速度で顕現した。


※※※


 ()られる。


 引き倒されて息を詰めたメイアは、それでも目を見開いてフラドゥの顔を見つめた。


「これで……!」


 これで。

 何だと、言うのだろう。


 フラドゥの顔は、歪んでいた。

 歯を食いしばり、眉根を寄せて。


 まるで苦しむようなその表情に、メイアは思う。


 ーーーアルハたちを殺す時も、こんな顔をしていたの?


 しかし、フラドゥが刃を振り下ろそうとした手を、突如現れた何かが掴んだ。

 赤い剛毛に覆われた、毛むくじゃらの太い腕。


 そして、腕を掴んでいるのとは別の、もう一本の赤い腕が横薙ぎに払われて。

 掴まれていたフラドゥの腕が、三つの肉塊に姿を変えて吹き飛ばされた。


「ぐ、ガァアアアアアアッ!」


 肩口から先を失った痛みと衝撃は、凄まじいのだろう。

 フラドゥが絶叫を上げて、地面を転げた。


 現れた猿に似た妖魔を見上げると、フラドゥのものだった手首と短刀を放り出した赤銅と、目が合った。

 メイアは瞳孔のない妖魔の顔に、どこか荒々しさの中にも知性の色を感じる。


 その目線が不意に逸らされて、転げたフラドゥに目を移す。


「か、ハッ……!」


 ぼたぼたと肩から血を垂れ流す彼は、呼吸すら満足に出来ないようだ。

 地面に伏せて、残った腕で体を起こそうとする彼の口の端から、涎が地面にこぼれ落ちた。


「待って、赤銅!」


 トドメを刺そうと動き出した赤銅に、メイアが自分でも理由が分からないままに制止する。

 赤銅は、耳を傾けるように動きを止めた。


「話を……させて」


 赤銅が、幻鐘を見る。

 幻鐘は疲れたように全身から脱力していたが、今にも倒れ込みそうになる体を支えて未だ座っていた。

 彼が気絶すれば、赤銅は消えてしまうからだ。


「長くは、無理だ」


 それでも、幻鐘は許可してくれた。

 メイアは立ち上がり、よろめきながらフラドゥの前に立つ。


「フラドゥ……」

「ち……」


 見下ろすような格好になったメイアに、フラドゥは舌打ちして起き上がろうとするのを止めた。


「そんな顔すんなよ……腹立つんだよ、その顔……」

「……私の事が、嫌いだった?」


 メイアの問いかけに、少し黙ったフラドゥは。


「ああ、嫌いだったさ。いつもいつも、見せつけるみたいに、幸せそうな顔しやがって……」


 絞り出すような声で、そう言った。


「楽しそうに、笑いやがって、下吐が出る……お前も、セミテも。俺が、アルハを殺したのを知りもしないで、横で怒って、悲しんで……」


 フラドゥは、メイアを見上げるのをやめて、拳を握りしめた。


「お前らに、そんな顔をさせてるのが俺だって事を理解させられて……俺自身をゴミだと思わせてくれるお前らが、殺したいほど嫌いだったさ」


 泣いているような声だった。

 メイアは、そんなフラドゥの胸の内を、初めて聞いて。


 いつも笑っていた彼の。

 アルハとセミテと、子どもみたいな言い合いをした時に、いつも諌めてくれていた彼の。


 フラドゥの、いつも一歩引いていた理由を理解して。

 肩を、震わせた。


「……ごめんなさい。私は」

「言うな」


 フラドゥは、メイアの言葉を拒否した。


「謝るな。こんな、モンだろ……友達を殺したヤツの、末路なんて……」


 フラドゥの腕が動き、赤銅がメイアを庇うように前に出る。

 だが。


「なぁ、メイア。……お前は、俺が嫌いなお前のままでいろよ」


 赤銅の体に隠された向こう側から、フラドゥの声が聞こえて。

 刃が肉を裂き、血が噴き出す音が響いた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ