第34節:焦燥
「やれやれ。そこの過ぎた紋を持つ子ならまだしも、実力で劣る者に面を剥がされるとは。フラドゥ、君はもう少し真剣味を持ちたまえ。兄弟たちのように廃棄されてしまうよ?」
「申し訳ありません」
口を開いたもう一人の仮面の男に、メイアの顔がさらに強張る。
「ホム……師……」
そのつぶやきに肩をすくめ、男は仮面を取り去った。
どうという特徴もない、錆揮が初めて見る男だ。
手合わせした感じでは、まだ力を隠しているようにも思える。
底が知れない、そんな不気味な男だった。
「ま、この場にいる者たちは全員死んでもらう運命だ。顔が割れたところで構いはしないがね」
「凄い自信だね」
メイアと幻鐘を庇うように立った錆揮が言うと、ホム呼ばれた男は飄々と言った。
「観察させて貰ったが、君はまだその紋を使いこなせていない。使いこなせない大陰紋を身に宿してなお意思を保っている理由は、その胸の血で描かれた陽紋のお陰だ。違うかな?」
「……だったら、どうだって言うんだ?」
「何。私がそれを削り落としたらどうなるのかと思ってね。興味がある。非常に、興味があるね」
「やってみろよ。その時は、お前も確実に死ぬけどな」
この紋が自分に過ぎた力である事など、百も承知している。
錆揮の意思を守る代わりに、血紋は大陰紋の力も押さえ込んでいた。
紋が解放されたなら、《鷹の衆》の皆が束になっても抑え込めないほどの力がホムらを襲う事になるのだ。
少し修行を真面目にしたくらいでは、陽紋が消えた時には錆揮は紋の力に呑まれるだろう。
それくらい分かっている。
それでも。
錆揮は短刀を構えた。
「お前らくらい、弱点が知れたからってどうって事ない。俺を殺せるのは……殺して良いのは」
この場で死なない決意と共に、錆揮は言う。
「白抜炙だけだ」
「意志だけで思い通りになるなら、苦労はない。お前らは何も分かっていない」
「何ですって?」
それまで黙っていたフラドゥの言葉に、メイアが反応した。
「メイア。セミテとアルハを殺したのは、俺だ」
アルハ。
初めて聞く名だったが、それがメイアの親友の名前なのだろう。
「何故……何故なのフラドゥ! 友人ではなかったの!? セミテは……アルハだって!」
「友人だったさ。無くすには惜しい二人だった。……だが、父の命令とあれば、従うほかに道はない」
「父……? 執政府の衛長が……?」
「それは表向きだよ。俺の父は、学長だ」
朱翼と対峙している学長に目をやってから、フラドゥは皮肉げに笑った。
「優秀な駒を、あの人は貪欲に求めている。九尾も、ホム師も、俺も同じだ。俺と俺の兄弟たちは、教会の孤児救済所から学長に買われた。そして学長の出す課題を突破出来なかった者は廃棄された。残ったのは、俺だけだ」
「何て事……」
メイアは、おぞましさを覚えているようだった。
そんなメイアに対し、フラドゥの目の奥に、ちり、と暗い感情が瞬く。
「同情するかい? ……俺は、お前のそういう所が、反吐が出るほど嫌いだよ。自分すら守れないような奴に上から見下されるのは、我慢がならない!」
フラドゥが不意に駆け出し、凶刃を振るった。
それを、錆揮は正面から受ける。
「孤児……ね」
錆揮は、嘲りの笑みを浮かべた。
その笑みは、自身とフラドゥ、両方に向けられたものだ。
「何がおかしい?」
「僕も孤児だ。姉はいるけどね。……お前には、兄弟が廃棄される時に〝力〟をくれる誰かはいなかったんだな」
鍔迫り合いから、フラドゥの刃をいなして錆揮は蹴りを放った。
フラドゥが離れるのに合わせて、ホムが呪紋を放つ。
「《土波》」
大地が抉れ、土砂の壁となってそそり立つと、そのまま錆揮たちに向かって崩れ落ちた。
「《門構》!」
機を見計らっていたのだろう、幻鐘が同時に呪を放つと、錆揮の前に高い壁がそそり立ってそれを受けた。
一瞬にして小高い山が出現し、フラドゥたちと錆揮側を分断する。
「助かった」
「ただの時間稼ぎだ。……赤銅を招ぶ。俺は動けん」
苦しそうな幻鐘は、見た目以上に深い衝撃を受けたようだった。
錆揮はうなずく。
「時間は稼ぐよ」
「助かる」
「許せない……」
二人のやり取りの後、ゆらり、と立ち上がったメイアの目は、血走っていた。
「アジ……欲望の為に、私の友人を……!」
そのまま走って行きそうなメイアに、錆揮は静止の声を掛けた。
「……憎しみで動いちゃいけない」
錆揮の言葉に、メイアは彼を睨みつける。
「何故!」
「憎しみは目を曇らせる。その手を血に染めれば、君はきっと後悔するよ」
「後悔などしないわ! あんな性根の腐った人間を殺して、後悔など……!」
そこで、左右から回り込んだフラドゥとホムが姿を見せる。
「ま、学長が殺されたところで私は構わないが……悪龍の招来には興味があるからね。邪魔はして欲しくないな」
ホムの短刀を受けながら、錆揮は逆の拳を振るった。
彼はそれを軽く避けて、錆揮の腕を巻き込んでへし折ろうと動く。
「貴方も、そういう人間か。呪紋士っていうのは頭のおかしい連中ばっかりなのか?」
常人を超える膂力で無理やり引き剥がして、錆揮はホムの肩に逆立ちするように上に跳んだ。
そのまま、逆手に持ち替えた短刀で首を狙うが、ホムは身を沈ませて避ける。
「あなたの仲間も同類だよ。真理を探究するのは私たちの性だ」
「姉さんを、一緒にして欲しくないな!」
一回転して着地した錆揮は、即席の山を登り始めたホムを追った。
眼下ではメイアが、フラドゥ短剣に対して右の手甲を盾にせめぎ合っている。
「邪魔をしないで、フラドゥ! 壬顕現!」
「そうはいかない。……癸顕現」
陰陽それぞれの速唱呪を口にして、飛び離れた二人が、互いに腕に描いた紋を発動させた。
「〈水鞭〉!」
「〈氷刃〉」
放たれた数個の氷の刃を、水流の鞭が弾き飛ばす。
そのまま襲い来る鞭を避けた。
余裕がなく、視野の狭いメイアに比べて、フラドゥはまだ本気を出していない。
理由は分からないが、錆揮にはそう見えた。
「姉さん、早く……」
ホムに追いすがりながら、錆揮は小さく呟いた。




