第33節:嵌められたモノ
錆揮とメイア、幻鐘に仮面の男たちの相手を譲った無陀は、その足で悪龍の元へと向かった。
同じように悪龍に向かっていた烏の横に立ち、顕現したその腕を見上げる。
指の一本が、小柄な無陀の背丈ほどもあった。
「陰土の龍ねぇ。漏れ出た気配だけで、やりたくねー気持ちが湧き上がってくるねぇ」
「気合入れなさい。これほどの強敵と向かい合う機会は中々ないんだから」
指で頭を掻きながら泣き言を漏らす無陀に、拳を掌に打ち付けた烏は好戦的な笑みを浮かべて言った。
その様子を横目に見て、無陀は再度ため息を吐く。
理性的ではあるが、烏の本質は拳士……修行者である。
強敵との対峙は望むところなのだろう。
「……やっぱり気が乗らねーねぇ。アレクよりヤバそうだしねぇ」
悪龍が顕現したら、相手をするのは烏と無陀……彼らは事前にそう取り決めていた。
相性の問題もあるが、弥終を含むその三人が、《鷹の衆》として実力が優れていたからだ。
「おかんとおとんが居りゃ苦労しねーのにねぇ」
「いないんだから腹を括りなさい。……太白虎形!」
烏が指先を獣のように尖らせて上下に開く独特な構えを取り、足の裏を地面に張り付けるように足を開いて腰を落とした。
髪色が白に変色し、虹彩が猫科の獣のように細く尖る。
それを見て、無陀も跳んだ。
「長足飛!」
その呪に応えた無陀の全身の紋が、淡い緑に輝き。
無陀の体に、風を蹴る程の軽やかさを与える。
「シッ!」
悪龍の手の甲に軽く突き込んだ刃先は、鱗の一枚すら削れずに弾かれた。
「うっへぇ、硬過ぎだねぇ」
風紋は、木行高位紋である。
土とは相克関係にあるにも関わらず、その一発を悪龍はものともしていなかった。
そして無陀を掴もうと鈍く動き出した腕を避けて、彼はさらに高空へと駆け上がりながら。
ちらりと地上を見下ろすと、丁度烏が準備を終えたようだった。
「悠久なる大地こそ、我が力なり……!」
構えたまま動かない烏を中心に、無陀は大気が渦を巻くような感覚を覚えた。
ーーー練気拳の基礎、集気の法。
烏は金行の扱いを得意とする拳士であり、中でも、集めた気を練って身を金剛鬼の如く硬化する術を練り続けている。
彼女の本気の集気は、虎が肉を喰らうかのように周囲の土気を集めているのだ。
対峙する悪龍を形成しているのもまた、土気。
びくん、と震えて動きを止めた腕に、無陀は滑落しながら今度は本気の一撃を見舞った。
「刺ッ!」
自らを形成する気を吸う烏に意識を向けていた悪龍の鱗を、無陀の刃が今度こそ貫いた。
「効いたねぇ」
ニヤ、と笑いながら。
無陀は刃を引き抜いて、悪龍を翻弄するように宙を飛び回り始めた。
※※※
「熱っちーってのよ!」
狐火が変幻自在に舞い、時に大きく、時に素早く颯を翻弄していた。
自らを包もうとする狐火を払い、避けながら、颯は悪態をつく。
「助けてやろうってぇ恩人に向かって、その態度はねーだろってーのよ!」
「操られている不憫な華に向けて、その問いかけは無意味だ、全く無意味」
「見てねーでちっとは手伝えってーのよ!」
槌の柄を肩に当てて腕組みしながら見上げるだけの弥終に、颯は怒鳴った。
「見極めていただけだ、見極めていただけ」
「怠けてるよーにしか見えねーってのよ!」
まるで堪えた様子もなく言い訳する弥終に、さらに
言い返しながら、颯は風切を操って滑落する。
その直前まで颯の居た場所を、炎の塊である九尾の尾が長く伸びて、払った。
九尾本人は先程から動かず、感情の浮かばない目で颯を追っている。
颯は空に暮らしていた為に自在に舞えるが、本質的に火との相性は不利だった。
逆に土の使い手である弥終は、九尾との相性は良いが、空を飛べない上にやる気がないように見える。
「こ、の、畜生女! いい加減、大人しくしろってーのよ! 竜巻!」
瞬間的に、全身に強烈な風を纏って近くにあった狐火の幾つかを吹き散らした颯は、そのまま一直線に九尾に向かって突撃した。
兜を目深に被り、槍を突き出すように構え。
風切に身を伏せて、赤の房をたなびかせ。
襲い来る狐火に耐えて、加速のままに吹き散らしながら。
一陣の風となって、九尾に迫る。
その槍の先が届くより前に、九尾がゆらりと移動を始めた。
「逃がさねーってのよ!」
颯が突き抜けた後、急上昇しながら転回、そのまま急下降の軌道に入って、ただ旋回するよりも速く、早く、九尾に追従する。
「んぎぎぎぎ……ッ!」
体が引き千切れるような感覚に耐え抜いて、颯の穂先が再び九尾に狙いを定める。
さらに九尾が避けようとするが、そこを狙い済ましたように。
重い風切音を立てて、九尾の半分ほども大きさのある岩が、幾つも彼女の周囲を飛び掠めた。
「―――!?」
思わず動きを止めて、驚いたように口を開いた九尾が、視線を向けると。
持ち上げて積んだ岩を、槌で上から順番に叩き飛ばした弥終が立っていた。
九尾は、既に颯を避けきれない位置にいる。
彼女は、咄嗟に実体化した尾を全身に巻き付けて防御姿勢を取り―――。
「ここだ、ってーのよ!」
颯が、穂先を逸らして軌道を僅かに変更しながら、風切に備えていた鉄網を投げ広げた。
風を受けて大きく広がった網が九尾を覆い、重りが網に引かれてお互いに絡まると、身動きの取れない九尾を捕らえたまま落下する。
そこで。
「流石だ、流石」
待ち受けていた弥終が、地面に五つの紋を刻んだ。
「震山―――猿岩」
落ちてきた九尾は、紋から突き出た五つのつらら岩に包まれ、完全に身動きを封じられた。
再び尾を炎に変えて鉄網と岩の拘束を解こうとした九尾だが、拘束が外れることはなく、土の相生により火気が吸われてゆく。
横に着地した颯が弥終と共にしばらく見守っていると、徐々に九尾の動きが鈍り始めた。
弥終が言う。
「そろそろか、そろそろ」
「ああ、禁具を……」
と、颯が答えかけたところで、九尾の様子が変わった。
弱りかけていた動きが再び激しさを増し、より苦しむように呻いていた九尾の声が、ヒュ、と喉が詰まったような音を立ててから消える。
。
炎の勢いは、目に見えて弱まっていった。
「……解!」
弥終が槌で岩を叩いて拘束を解くと。
炎が霧散して、熱された網の中で。
裸体の九尾が涎を垂らし、舌を突き出し、白目を剥いていた。
こめかみに血管が浮き出したその様を見て、颯は言う。
「禁具が、喉を……!?」
「支配呪に、背水の呪いが組み込まれていたか……。哀れ、哀れな」
「助けねーのかよ!?」
颯の言葉に、弥終は首を横に振る。
「手遅れ。既に、手遅れ」
弥終が言うのと同時に、ぶつん、と何かが千切れる音がして、九尾の体から力が抜けた。
そのまま、女性から元の狐の姿に戻る。
「えげつねぇってーのよ……何の為に……」
颯が呟くと、弥終が顔を上げて学園のある方角を見た。
「礎、だ」
「何?」
「学園へ急ぐべき。悪龍の力が増す。……増すぞ」
弥終の言葉を証明するように、ゆらり、と九尾の体から白い靄が立ち上り、美女の姿を形取る。
苦しみに満ちた表情で弥終に、助けを求めるように手を伸ばし。
強力な力に引き摺られるように、学園の方へと揺らいで消え去った。
颯が弥終を見ると、いつも通り表情の読めない様子で少しの間九尾を見てから、颯に向かって頷いた。
「学園へ」
「ああ」
二人は短く言葉を交わして、駆け出した。




