第31節:日蝕
真昼、学園にて。
不思議に人の気配がない学園の広場で、朱翼、幻鐘、メイア、錆揮、烏、無陀の六人は、現れた人影と対峙した。
人払いの結界が施されているのか、あるいは学長の細工か。
「やはり、この場所だったのですね」
朱翼の言葉に、学長は笑みを見せた。
以前会った時とは違い、その笑みは酷く邪悪だ。
今、彼女たちのいる広場は、試紋会の会場となった場所だった。
「そうとも。やはり気付いたか。それとも、誰かの入れ知恵かな?」
愉しそうに笑う学長の側に、二人の人影が滲み出した。
一人は背の高い青年。
もう一人は、瘦せぎすの男。
どちらも仮面を被り、黒装束を身に纏っている。
「どちらにせよ、お互いにする事は変わらないでしょう? ……この足元が、悪龍の眠る地ならば」
「そうとも、神の末裔よ。まさかまさか、皇国の探し求めていた〝雛〟が自らこの手の内に飛び込んで来ようとは、僥倖であった」
カカ、とますます笑みを歪ませ、学長は両手を広げた。
「試紋会も、学園の主催も、街の発展も、全てそれが目的だった。……贄に相応しい者を選定し、龍脈を乱すために」
「然り。本流を流れた大禍が決定打となった。日蝕のある時に合わせて、龍脈の乱れが最も大きくなった好機に、試紋会が行われる。天は我を祝福しておるようだと思ったよ」
空が、陰り始めて世界が薄く闇に包まれ始める。
日蝕が、始まったのだ。
「そして我が手中には神の末裔たる雛。太古の悪龍の贄に、何よりも相応しい思わぬか?」
「やはりそれが狙いだったのですね」
薄々思っていた事だった。
学長の狙いが悪龍の復活であるならば、彼女に伝承を調べることを依頼するのはおかしい。
朱翼が事実を知って協力するとは限らず、詳細を調べて既に儀式が行われている事を突き止められれば、邪魔が入る事を危惧するのが当然。
それを敢えてバラすなら、考えられる可能性は二つだけ。
実際に学長が黒幕ではないか、あるいは、何らかの理由で朱翼にバレて欲しかったのだ。
そんな朱翼に、幻鐘が厳しい顔で言う。
「罠と分かっていたなら、何故ここに来た?」
「証拠がなかったのです。限りなく怪しくはありましたが、学長が関わっている痕跡はありませんでした。それに、調べている時間もなかった」
メイアが、悲しみを湛えた顔で学長へ呼びかける。
「学長……本当に、貴方が。貴方があの子を、そしてセミテを殺したのですか?」
「おお、メイア。そうとも、我が優秀な教え子よ」
黄色い歯を剥き、シュウシュウと口元から漏れる息の音を不快に響かせて、学長が嘲る。
「君も贄に相応しいが、残念ながら君の父上は慎重な男。不穏ある街から君を避難させたかと思えば、戻ってきた君は姫鷲の三士を護衛に連れておった。私の部下だけでは荷が重い」
怖気立つような猫なで声で、学長は続ける。
「しかし君は雛をも連れてきた。全く、君は優秀だ。この手で殺してあげよう」
「させねーねぇ。自分がいりゃー、俺らごと殺せるとでも言いたげだが」
「舐められたものね」
烏が両手を構え、無陀が双短剣を引き抜くと、彼の肩に止まった一葉もやる気に満ちた鳴き声を上げる。
「そうともさ、風の修羅、そして金の戦鬼よ。私が居れば……正確には今この場であれば君らが居ようと何の問題もない。まして、一人欠けている。大方、最後の贄の元へ向かったのだろう?」
「弥終がいなくても、問題はないよ」
前に出たのは、錆揮だった。
「お前みたいな奴らは、俺一人でも十分だ……五行星呑」
錆揮の全身に、黒黄色の紋が浮き上がって陰気を立ち昇らせる。
「ぐ……」
場の陰気が強すぎるのだろう、錆揮は奥歯を噛みしめるが、正気を保っているようだった。
「カカ、大陰紋か! まさかそれを纏う者が居ようとはな! だが……いつまで耐えれるかな?」
学長は錆揮の状態を正確に見抜き、狼狽えた様子もない。
外道と言えど、優秀な呪紋士である事実に疑いはないのだ。
「幻鐘」
「なんだ?」
「これが仮に罠だったとしても、何の問題もないのですよ」
朱翼は、頭巾を剥ぎ取った。
月光に、朱い髪が風にそよぎ。
朱色の瞳が、真っ直ぐに学長を射る。
そして朱き神鳥は、薄く笑った。
「罠であろうとなかろうと……私が仲間と共にあの外道を殺る事に、変わりはないのですから」
そんな朱翼に、幻鐘は呆れたように首を振り。
「なんと―――美しい」
学長が、魅入られたようにつぶやいた。
「その意志、美貌、そして才覚……なんと、我が力の糧となるにふさわしい……!」
学長は、我慢が切れたように開いた両手を複雑に動かし、宙に紋を描く。
舞った赤い式粉が軌跡に留まって淡く輝く。
「陰の黄に星を呑め―――」
ゆらりと揺らめいた宙の紋が、その色を赤から禍々しい黄色に変える。
「木を腐らせ、火を衰え、金を崩して、水を濁せよ」
地面が、緩やかに鳴動を始めた。
「させねーねぇ」
無陀が駆け出し。
「ははっ、無駄よ。行け!」
学長の指示に、仮面の一人が飛び出て彼の突撃を防ぐ。
「呼べよや、呼べよ。今日の蝕に。相応しき踊り手の舞いに。凶つ龍よ、我が元へ!」
呪を紡ぐ学長の周囲に、揺らめく白い靄のような人影が現れた。
それは、少女のような、少年のような、青年のような、女性のような、四つの影。
「あれは……!」
メイアが呻く。
その幻影のようなものは、殺された人々の、悪龍に囚われた魂なのだろう。
胸を打つ悲痛な叫びと共に踊り狂う様は、泣いているように見えた。
殺してくれ、と。
呪力の波動に合わせて彼らより伝わる悲しみに、朱翼は怒りを覚えた。
「学長……いえ、アジ。本来であれば龍脈にて安らぐべき魂を苦しめる貴方は、赦し難い存在です」
「ならば抵抗してみせよ、朱き雛よ! 無駄な足掻きだがな! 悪龍よ!」
学長の最後の呪が紡がれ、宙の紋が空高く浮き上がって日蝕と重なる。
周囲が、完全な日蝕によって完全な闇に包まれて。
闇より、一本の腕が現れた。
鋭い六本指のかぎ爪に、昏い黄土色の輝く鱗。
実体を結びかけては、周囲で踊る四つの影のように白く揺らめくその腕は。
気圧されるような邪気を放っている。
太古の陰魔が。
暴虐の化身が。
悪龍がーーーこの世に再び、顕現しようとしていた。




