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朱の呪紋士  作者: メアリー=ドゥ
第一章 巣立編
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第6節:見よ、標的は赤く燃えている。

 森の奥、少し開けた野原の中にあるいおり


 その前に置かれた椅子に老人が一人腰掛けて、庵から少し離れた場所に置いてある的と向かい合う朱翼の方を見ていた。

 朱翼は、頭に布を巻いている。

 外に出る時は必ずそうするよう、白抜炙から命じられていた。

 村の近くに降りる時は、顔まで隠すように言われている。

 天にある黒い太陽は頂点を過ぎて傾きかけ、野原には緩く風が吹いていた。


「始め」

 腰掛けた老人の低く重々しい声を合図に、朱翼は腰の後ろに手を伸ばす。


 そこに吊られているのは『紋具』と呼ばれるものの一つで、呪紋の媒体である式粉しきこを収納する道具だ。もう数年の付き合いになる。

 外見は波状に曲げた硬皮を二枚重ねて結った五連の皮筒で、筒にはそれぞれが五指に対応した五色の粉が入っている。

 朱翼は右から二つ目、青い式粉が入った筒に薬指を入れ、粉を指で舐めて引き抜いた。

 その腕を正面の的に真っすぐ伸ばす。


陽赤ようせきに星を呑む」


 呪を口にしながら右腕の手首の中央から肘に向かってまっすぐ青い線を引くと、引かれた線が薄い青光を発した。

 最初の直線に交わる様にさらに数条の線を描くと、それらも同様に青光を放つ。


歳星さいせいより火を生ず―――顕現」


 言霊と同時に、南の方角に紋を描いた左掌を振り向ける。

 腕に描いた光と線が青から赤に色を変え、朱翼の掌に炎が生じた。


「炎凝してしゃくを形取り」


 炎を保ったまま腕を正面に戻して拳を握り込むと、炎が拳の中に圧縮される。


「炎変じてえいと成す」


 圧縮された炎が中指と薬指の隙間から伸びて、仄かに青みを帯びた細く長い針へと変じた。


「《火針ヒバリ》」


 静かに訣呪を口にしながら、五指を弾いて横に腕を振る。

 朱翼の手に生まれた炎の長針が、鳥の羽のような薄い炎を散らしながら空気を焼く甲高い音を立てて撃ち出された。


 的を射て突き抜けた《火針》がそのまま解けるように宙に散じた後、少し間を置いて的が燃え上がる。


 朱翼が腕に描いた紋は、《火針》を放つと同時に消えていた。


 呪紋しゅもんの基礎たる五行八卦術の一、火紋術。

 五行を表す呪と八卦に由来する紋を組み合わせ、木火土金水の五つに属する現象を顕現する呪術だ。


壬生みずのえ


 不意に老人が呟いた。


「顕現.散形濡成さんけいじゅせい.《雨降ウゴウ》」


 老人の腕にもいつの間にか黒い紋が描かれており、その呪紋は小さな雨雲を炎の上に発生させる。

 雨雲は唐突に強い雨を的のみに降らせて火を消した後、《火針》と同様に解けて消えた。


「見事だ」

「ありがとうございます」


 火を消した老人の短い言葉に、朱翼は両掌を合わせて頭を下げた。

 彼は朱翼の師父であり、名を須安という。

 朱翼は彼に呪紋の教えを乞う立場であり、非礼は許されていない。


「世にはことわりがある」


 須安は言う。


「全ての事象は根源に理を持つ故に、理に縛られる」


 当然それは朱翼も諳んじているが、師は忘れてはならぬ原則として何度でも繰り返す。


「これを逆手に取り、理を顕わす事で無より事象を生じる呪術。それが、呪紋しゅもんだ」


 朱翼は頷き、師の言葉を次いだ。


「はい。故に呪紋を扱う者は、星を読み、天気地脈の全てを解し、場において最も効果的な選択を行わなければならぬ、と」


 師は、朱翼の言葉に表情も声音も変えない。


「そうだ。故に、理を解さぬ者は、例え呪紋を扱えようと呪紋士と呼べぬ」

「はい」


 朱翼は、師のいつでも変わらぬ鉄面皮と語り口が嫌いではない。

 理を以て、揺るぎなく語る言葉はむしろ心地よくすらある。


「では、問う。この[場]に於いて火行を顕わす事は、正しいと言えるか?」


 朱翼は頷いた。


「[場]の天気地脈に於いて、暦はしゅん。地形においてはさん。方位は山頂より西せい。天候は晴れていますが快晴ではなく、時刻は昼と夕の間。この条件の元、最も正しい採択は、木行・陰の術です」


 師は、黙って聞いている。


「ですが、現在、空には白月が在ります」


 見上げれば、空には低く真昼の月が浮いていた。形は上弦だ。


「また、陰陽可分ひりつは陰中陽。すなわち先程の天気地脈の配置に、木気と金気の盛えと、火行の衰えを加えねばなりません。結果として五行気の配置は、木火の差分が最も大きくなります。木が高く、火が低い」


 五行は木火土金水の順に巡るものだ。

 木素が強ければ火紋の効力は増し、また火素が木素より少なければ少ない程、木素が火素に変わろうとする力も増す。


 それらを口にした朱翼は、一呼吸置いて最後に自身の答えを述べた。


「今の[場]においては、火行・陰陽のいずれかに属する術が最も効果が高いと考えました」


 師は、朱翼に対して一つ頷いた。


「良いだろう」


 朱翼は、内心でほっと息を吐いた。


「だがさかしい」


 緩んだ所に、冷や水を浴びせるように師は言う。


「お前は、己の得意とする火行の術を行使出来ると感じた事に合わせて星を読んだ。それでは、呪紋を正しく行使したとは言えぬ」


 朱翼は、図星を突かれて息を呑んだ。


「実際には木火の配置と、陰水・陰木の[場]の配置は同一に近い。得られる結果に歴然の差はない。であるならば、 それも口にすべき事だ」

「………」


 師が目を細める。


「考慮すべき更なる要素に気付く点は良し。採択にも問題はない。正すべきは、その心根。己の利のみを考慮して星を読んた結果を秘するなど、呪紋士として二流の行いだ」


 朱翼はうなだれた。師の言葉が耳に痛い。


「申し訳ありません」


 重い沈黙が下り、朱翼は顔を上げる事が出来なかった。

 やがて、師が再び口を開く。


「汝の才は、際立っている」


 師の語り口は変わらない。


「世界の在り様を理屈でなく肌で感じる者は、汝が思うより遥かに稀少」


 朱翼には、己自身も指摘されるまで気付かなかった力があった。

 天気地脈から五行の配置を理屈でなく感じ取る能力。

 神通力だ、と師は言う。


「だが、才にのみ頼る者はやがて足元を掬われる。戒めよ。才とは、努力と自制を以て初めて意味のある天分となる。驕る者に、先はない」

「はい」

「今日はこれまでとする。迎えが来た」


 師の言葉に、朱翼は顔を上げて庵に続く山道に目を向けると、白抜炙が歩いて来るのが見えた。

 



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