第21節:誤算
朱翼は、炎を纏ったまま駆け出した。
最初に狙うのは、赤銅だ。
このまま突っ込むだけで、かなりの怪我を負うだろう。
存在を維持出来るだけの呪力を相克で消し飛ばせば、そのまま消える可能性もある。
それを赤銅自身も分かっているのだろう、身軽に跳ねて距離を取ろうとする。
しかし赤銅が踏んだ地面には、朱翼が待ち伏せの最中に仕掛けた罠が置かれていた。
符紋術の派生、置紋術と呼ばれるものだ。
予め紋を刻んでおいた符、あるいは地面や物に直接紋を描いて呪力を込めておき、条件を満たすと発動する。
今回地面に刻んでおいたのは、単純に火を発するだけの《火成》の置紋だ。
呪力に反応する紋に足を焼かれ、赤銅が痛みを感じて苦悶の鳴き声を上げる。
その隙に、朱翼は纏った炎を赤銅に押し付けた。
この紋による火は熱の再現であり、燃える事はないが、焼ける。
赤銅が苦し紛れに腕をめちゃくちゃに振るい始めたのを避けて、朱翼は跳び退った。
そこに、亥凍が突っ込んでくる。
大きく広げた《火成梟》の陽の火気と亥凍を形成する陰の水気が反応して炸裂し、亥凍の突進を止めた。
冷気と熱気がお互いを削り合い、濃密な白い霧を発生させる。
呪力が消える前に、朱翼は懐から符を取り出した。
白抜炙が消えてから、朱翼は刺紋の練度を高めるために符を作り続けている。
旅をする上で、水や火の確保に欠かせないという理由も勿論あった。
だが、覚えている白抜炙の戦術を学び取る事で、自身をより強く、自身の理に対する理解をより深める意味合いの方が強い。
その内に、幾つかまともに戦闘で使えるだけの威力を持った符を作る事が出来た。
試すのは初めてだが、今は都合が良い。
《火成梟》を纏っている間は、呪紋を描けないからだ。
「木生!」
呪力を解き放つ呪と共に、朱翼は符を打った。
陽木の符は狙いたがわず、亥凍の額にある角に張り付いた。
その途端、凄まじい咆哮と共に爆発的な冷気が広がった。
体に纏った炎の呪力が一瞬で消し飛ぶほどの威力の冷気のうずに、朱翼はとっさに身を伏せる。
冷気のが止んだのに合わせて起き上がると、辺り一面が白く凍りついていた。
赤銅も、呪力の塊であった冷気の奔流に巻き込まれたのか、姿が見えない。
「上手くいったと思ったのですが……これは予想外です」
思わず、独り言をつぶやく。
朱翼が狙った角は、本来であれば亥凍が呪力で冷気を操る際に使用するもので、言わば呪力操作の要に当たる部分だ。
ここを介して、どこかと相互に呪力が流れているのを見て取った朱翼は、呪紋士があれを媒介に亥凍を操っているのではlないかと推測した。
予想は当たっていたようで、彼女の陽木の符……以前、白抜炙が子患を始末するのに使っていたものを再現した符だ……が、相手の水気を吸い上げた事で亥凍の呪力体を消滅させる事に成功した。
予想外だったのは、制御を失った呪力が周囲に広がって荒れ狂った事と、それに巻き込まれて赤銅が消滅してしまった事だ。
丁度、朱翼が水を吸う木行で亥凍を制したのと同じ理屈で、赤銅の金気を炸裂した水気が吸い取ってしまったのだろう。
元々朱翼によって弱らされていたところにあれを喰らったのだから、きっと堪らなかったに違いない。
「申し訳ない事をしてしまいましたね」
少し可哀想になって、朱翼はどこへともなく頭を下げた。
本来なら、亥凍をこの方法で始末した後に赤銅と一騎討ちの予定だったのだ。
「仕方がありません。予定外に時間が出来てしまった事ですし、メイアの手助けに回りましょうか。しかし……」
朱翼は、不意に眉根を寄せる。
「せっかく昨日新調していただいたのに、もうダメになってしまいました」
朱翼は外套を脱ぎ捨てた。
モロに冷気を浴びた背中の部分が、凍ったあげくに表面が崩れ落ちている。
軽く手で荒れた部分を払うと、穴が空いてしまった。
「なんと言って謝りましょう」
無駄な出費だと烏に怒られる、と思ったところで。
朱翼は、ぽん、と手を打った。
「そういえば、優勝すれば賞金が出るのですから、勝てば良いのですよね」
そうとなればぐずぐずしていられない。
一刻も早くメイアと合流し、さっさと残った二人を始末するに限る。
「後ろから近づいて、一発で仕留めましょう。ちょっとずるいかもしれませんが、私が烏に大目に見てもらう為です」
勝つ事を最優先に思考を切り替えた朱翼は、外套を放置して森へと急いだ。




