第19節:試紋会決勝
「……いくら何でも、これはやり過ぎでは?」
決勝会場についた朱翼は、目の前の光景に思わずつぶやいた。
「そう? 毎年こんな感じだけれど」
「大体、これでは観客が試合を見る事すら出来ませんが」
決勝の会場は、昨日と同じ広場だ。
予選では五つの円が描かれていた広大な土地に、今日は一面を覆い尽くす森が広がっていた。
たった一晩でこれだけの水生木を行っては、龍脈の乱れが心配になる。
そんな心配をする朱翼に対して、メイアは気にした風もなく答えた。
「ああ、それは大丈夫よ。学園の広場の下には水脈が通っていて、種を蒔いておけば水紋結界を一晩張るだけでこうなるの」
「観戦の方は?」
「学長の『九尾』が、千里眼の呪法で観戦者に中の様子を見せているのよ」
「なるほど。つまり結局、目立つような事は出来ない訳ですね」
「……貴女が、まだ目立っていないつもりだった事の方が驚きなんだけど」
「目立っていない『つもり』では、ありましたよ?」
「ちょっと黙りなさい」
「ひどいですね……」
本当の事を言っているのに、顔をしかめられてしまった。
結果として目立ってしまった事は否定出来ない事実ではあるし、メイアの方が正しいという事は、朱翼にも分かっている。
「しかし会場がこういう状態なら、むしろ好都合ですね」
「何が?」
首を傾げるメイアに、朱翼は薄い笑みを覆面の下で浮かべた。
「私は、こういう領域の方が得意なので」
元々山師に育てられ、【鷹の衆】として住んでいたのも山の中だ。
木々に囲まれた環境は、朱翼の本分である。
「言っとくけど。私は足場の悪い場所でそんなに早く動けないからね?」
「ご心配なさらず。きちんと考えていますよ、その辺りも」
「なら良いけど……」
どことなく不安そうなメイアに、朱翼は大丈夫だとうなずいて見せた。
※※※
「どうせ、そういう事だろうと思っていたわ!」
叫んでから、メイアが呪紋を放った。
「《水鞭》!』
蛇のようにしなる水の鞭が形成され、メイアの腕の動きに合わせて、木々の間をうねりながら相手に迫る。
しかし相手は、木の遮蔽を利用して、その一撃を避けた。
「っ! 邪魔な!」
言いながらも手を止めずに再度呪紋を描き始めるメイアの背後に、一人の少年が降り立った。
それに気付き、メイアが目を見開く。
「しまった!」
「へへ、まず一人!」
少年が、言いながら呪紋を放とうとして。
「残念ですが」
その少年に音もなく忍び寄った朱翼が、軽く彼の宝玉に触れた。
「へ?」
ぼんやりと光る胸元の宝玉を見下ろして固まる少年に、瞬時に姿を消した朱翼が言う。
「終わりです。速やかに離脱して下さい」
あっという間に一人を始末したかと思うと、今度はメイアが撃ち漏らした方と思しき相手からも声が上がった。
「はぁ!? 嘘だろ!?」
メイアは、呆れた思いでいっぱいだった。
「あの子、一体どれだけ強いの?」
一対一でも十分に対戦相手を圧倒していたのに、決勝に至ってはメイアどころか相手にも姿すら見せないままで次々と始末していく。
決勝は、乱戦だ。
六組十二人いる予選通過者全員で、一斉に争う。
その内の四人を、朱翼は既に始末した事になる。
……メイアを囮に、相手をおびき寄せて、だ。
『メイアは、ずっと水の呪紋をその位置で打ち続けて下さい』
とだけ言い残して姿を消した朱翼に言われた通りにしているが、水紋に関してはどういう意図なのかはいまいち分からない。
「まぁ、勝てそうだし良いんだけど……」
と、言いつつも、どこか釈然としないメイアだった。
朱翼に会ってからこっち、メイアは自分の実力に自信がなくなっていた。
「っと、物思いに耽っている場合じゃなかったわね」
三たび現れた対戦相手に意識を向けて、メイアは再び水の呪紋を描き始めた。
※※※
策は上手くいっている、と朱翼は思った。
メイアを囮にするのは心が痛むが、この試紋会では別に死ぬわけでもないので、朱翼は最大限に彼女を利用させてもらう。
龍脈気脈に目を走らせると、遁行者がいるのが分かった。
彼も、危なげなくたまに顔を出しては敵を片付けている。
「やはり、最後はあの方との一騎打ちになりそうですね」
遁行術を使える者がそう何人も居はしないだろう。
間違いなく幻鐘だ。
幻鐘もこちらに気づいているのだろう。
近づいてくる気配はなく、やがて動きが止まる。
おそらく、こちら以外の始末を終えたに違いない。
予選決勝で棄権した相手の実力が分からないが、幻鐘との連携で力を発揮する類の呪紋士なら厄介な事になるかも知れない。
朱翼は、メイアと合流する事にした。
音もなく横に降り立つと、メイアが警戒した目を向けてからため息を吐く。
「せめて、一声掛けてくれる?」
「すみません。幻鐘さんが来ます」
メイアの顔が、緊張したものに変わる。
「勝てるの?」
「おそらくは。相手の相方次第です」
朱翼は呪紋を描いて、地面に手を当てた。
「《砂樹》」
呪紋を受けて、呪力が龍脈を走った。
そして、網を引くように徐々に再び、朱翼の掌があった辺りに集まっていく。
「何をしているの?」
メイアが不思議そうな顔をした。
今、朱翼が行使した呪紋は、戦闘には全く関係のない呪紋。
ただ、土中の金属を集めて塚を形成するだけの遅効性の呪紋である。
「金気を集めているのです」
朱翼は説明した。
幻鐘は、金を得意とする修験者だ。
今までメイアに水紋を打ってもらっていたのは、この場で金気が不足していると錯覚させる為だ。
「金気の不足は、金紋の威力を高めます。自分に有利な領域が形成されていると思わせる事で、少しでも油断が引き出せれば良いかと。戦闘の最中に龍脈を読むのはそれなりに困難なことだと教えて貰いましたので」
「相手の相方が火を得意としていたらどうするの?」
「この森の中で火紋を使う愚行を犯すとは思えませんが、その時は正面から叩き潰します」
朱翼は、誇りを滲ませて告げた。
「火紋は、私が一番得意とする呪紋ですから」
「そうだったわね。でも、私を巻き込まないでね」
「極力、配慮します」
「確約して欲しいんだけど!?」
言い募るメイアに聞こえないふりをしながら、朱翼は目を細めた。
「来ます。左に跳んで下さい」
そう言って、朱翼自身は右に跳んだ。
左右に割れるように散開した二人の立っていた地面から、幻鐘が飛び出してくる。
「予選と同じ手は通じませんよ?」
飛び上がったその手で木の枝を掴み、コウモリのように逆さに体を吊った姿勢から木の幹を蹴って、朱翼が上から幻鐘に飛び掛かる。
だが。
「いいぞ!」
幻鐘の声に、相方らしき男の声が応えた。
「《舞葉!」
「木生術……?」
朱翼はつぶやいて、即座に幻鐘への攻撃をやめて頭を庇うように体を丸めた。
直後、虫の群れの如き数の青葉が朱翼を襲った。
外套の表面を薙ぎ切りながら葉の大群が過ぎ去るのを見計らって、幻鐘が錫杖を振り被る。
「貰ったぞ!」
「させないわ! 《水槍》!」
幻鐘に対して、背後からメイアの水紋が襲う。
「ちっ!」
体を屈めてそれをやり過ごし、幻鐘が声がした方に向かって跳ねる。
お互いに呪紋を放ち切った状態だ。
このまま離れて仕切り直し、思ったところで。
森の奥から、赤毛の大猿、酉非の赤銅と、もう一体。
黒い猪が、突撃してきた。
その体に触れた草木が凍りついて砕けていくのが見える。
「あれは!?」
「亥凍……」
メイアが驚き。
朱翼が、戦慄とともにその名を口にした。




