第18節:望みと迷い
「俺も一緒に行って良いかよう?」
決勝当日の朝。
朝、朱翼と食堂で会った颯はそんな事を言い出した。
「別に構いませんが、どうされたのです?」
朱翼が訊き返すと、颯は口をへの字に曲げた。
焼いたベーコンと瑞々(みずみず)しいレタスを挟んだ黒パンを頬張り、もぐもぐと動かしながら朱翼を睨む。
「どうされたじゃねーってのよ、神の子。昨日、狙われてるかもってー話をしてたの、無陀に聞いたのよ」
素性を明かした後、颯は朱翼の事を神の子と呼ぶようになった。
颯の国の言葉らしい。
颯は口調こそ変わらないものの、朱翼をどこか敬う様子を見せていた。
「神の子。俺は酉の民として、神の子を守る責任があると考えてるよう。俺が古き勇士の風を手にして雲下国に来たのは、きっとお前を守れという導きなのだよ」
「はぁ……」
朱翼は曖昧に返事をして、茶に口を付けた。
まろ味があって美味しい。
そんな関係のない事に思考を巡らせたくなる程に、尊ぶべき信仰を持たない朱翼にとって颯の語る言葉は理解し難かった。
「神の子が行く末を憂いなく過ごせるよう、俺は守るってーのよ。役に立つよう? 俺は風切で舞えば、竜を堕とせる程度の腕はあるしよー」
「……私としてはありがたい話ですが、それで良いのですか?」
颯の人生は颯のものである。
それをまるで、朱翼に捧げるかのような物言いに彼女は抵抗を覚えた。
素直にそう颯に伝えると、颯はチーズを齧りながら何事か考え込み、やがて言った。
「臣下はいらん、ってー事かよう?」
「そう……ですね。私は人に仕えられる程、大した人間ではありません。むしろ私こそが、主人にこの身を捧げています。そういう意味では貴方と私は似ているのかもしれませんが、私と白抜炙の契約は、お互いに望んでいるものです。私は、貴方にそれを望みません」
「んー……だったらよう」
颯は自分の胸に手を当てて、真摯な目で朱翼を見た。
「俺も、朱翼の仲間に加えてくれってーのよ。【鷹の衆】ってーヤツによう」
朱翼は戸惑う。
「……それを決める権利は、私にはありません」
「なら、纏めの者に頼むってーのよ。誰だよう?」
どうあっても、朱翼の側から離れる選択肢はないようだ。
だが、それが颯自身の選択であれば、朱翼は否定する気は無かった。
「無陀と烏ですね。どちらが上、という事はないと思いますが、私達の現在の意思決定は合議です。あの二人の許可が出れば良いでしょう」
「分かった。後で聞いてみるよう」
※※※
「別に私は構わないけれど」
よく晴れた空の下。
大通りを歩いて学園に向かいながら颯が要望を伝えると、烏が言った。
弥終は一緒に居るが、自分が口を挟む事ではないと思っているのか、黙っている。
メイアは、今日は寄る所がある、と言って先に宿を出ていた。
「理由は?」
「酉の民には、『朱鳥口伝』が受け継がれてるよ。『神の子、世にいでし時、厄災と苦難に満ちて、やがて再び番を結ぶだろう』」
「全く意味が分かりません」
朱翼が言うと、颯はこちらの言葉で解釈を言う。
「『朱鳥口伝』は、我らが同胞への神よりの願いと言われているってーのよ。破滅の預言とその救済についての、神の知りうる限りの言葉を残したものよ。成人の儀において、我らは救う者が現れたら、その矛となり盾となる事を誓うよ。俺はそれを聞き届け、厄災と苦難の道程を共に歩く事を誇りてーのよ」
「救う者。それが私だと?」
「世を去りし神の一族の内より、救う者は現れると伝わってるのよ。神の子、お前は世において唯一と見える資格を有する者と、俺は思っているってーのよ」
それはかつて、須安が朱翼に語った事と同質の言葉だ。
彼は朱翼を『阿納の巫女』と呼び、世を救う術として呪紋を授けた。
同様の伝承が、空の上で受け継がれていた、という事なのだろう。
だが。
「その救世に関する、具体的な方法については?」
「それは俺の知り及ぶところではねーのよ。神のみが知る事なのだろーよ」
どうすれば救世を成せるのか。
太極紋と阿納の巫女が揃う事がその術である、と須安は言った。
阿納とは、我らが住まうこの大地。
しかし巫女として得るべきものは何なのか。
大極紋を完成させると何が起こるのか。
大地を救うとは、どういう事なのか。
そうした部分に関して、誰も何も知らない。
力を得ろ、と須安は言った。
あるいは彼は、その答えを口にせずとも知っているのかもしれない。
自力で見つけろ、という事なのだろうか。
朱翼にとっての力とは、呪紋だ。
故に、呪紋を修める為に朱翼は動いている。
呪の理を解す事。
大理に通じる事が、その術だという事なのだろう。
だが、朱翼は指針を欲していた。
焦っても仕方の無い事だと分かりながらも、答えの見えない問いを押し付けられ、朱翼は迷っている。
これ程に弱い自分が、本当に阿納の巫女、神の子と呼ばれる存在なのか。
「なぁ、俺は神の子の側に在りてーのよ。邪魔にはならんからよ」
それを証明している、と彼らが思っているのは、朱翼が持って生まれた髪と瞳の朱色だけだ。
朱翼の中に、確たる証明は何もない。
彼女には、それが苦しかった。
そして彼女が苦しい時に言葉をくれた白抜炙は、今、この場にはいない。
朱翼は、無性に白抜炙に会いたくなった。
お前は、ただの人間だと。
大それた事で悩む必要などないのだと。
彼に、そう言って欲しかった。
「弥終は、どう思う? 無陀にも一応相談はするけれど」
烏は、実はさして口数の多くはない弥終に意見を求めた。
「【鷹の衆】は」
弥終は淡々と言った。
「心より居場所を求める者を、拒んだ事はない。未だかつて、ない」
「弥終は問題ないと思うのね?」
「【鷹の衆】は、絆の者達。資格など必要ない。我らが仲間と認めれば、それか仲間の証だ」
弥終は、朱翼を見た。
「共に迷い、悩み、笑みを分かち合う仲間は、多いに越したことはない」
朱翼は内心を見透かされて、暗に、一人ではない、と言われているような気がした。
無類の女好きなのに、どこか達観したところのある弥終の言葉に。
朱翼は、少しだけ心が軽くなったような気がした。




